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力って付けなくても付けてもいいし、そもそも力って何?

"何かを訴え、現状を変えたければ自分に力をつけろ、まずは自分から変われ。努力しろ。政治があかん、教育制度が変わらなければ、と他人のせいにするよりも。"

この真意はわからないけど、橋下徹氏の"現状に文句があるなら文句を言わずに自分が政治家になって変えてみろ、"と既視感がある。

たしかに文句ばかり言って何もしない人や、動いていても的外れだったり、と色んな背景があるとは思う。でも、何かを変えたければ、努力して、あなたの声を多くに届けるくらい力をつけろというのは無理があるなと。

人は多様だし、多様な背景がある。

がんばりたくてもがんばれない人もいるし、がんばってがんばって結果が出せなくて絶望しても、それでも毎日生きていかなきゃならない、壮絶な人生を歩む人を私は、あなたは力がないとはとても言えない。そもそも努力出来る人だけが、がんばって全国を飛び回る事だけがすごいことなのか…?それぞれの立ち位置でその人が出来る事を無理なく続けたらいいのではないか。人から理解されやすい形でがんばれる人は結果が見えるから、モチベーションが保ちやすいのではないか。結果を出せたのは、その人に備わる様々な能力や環境の恩恵のおかげでもあるし。

自分が恵まれていて、その恵みを持たない他者からの嫉妬やどうせお前にはわかるまい、という眼差しに罪悪感を感じ、その居心地の悪さから逃れたいから、'〇〇制度が悪いんだ…'と言うのも短絡的ではないか。もちろん言わんとする事はわからんでもない。私も現実社会の中で当たり前とされている色々な事柄に対して、それでいいのか?人類は…とか考えてしまう。でもそれもそれぞれの視点から見える景色は違うのだろうと思う。

変えたければ力をつけろと言うならば、あなたがこの国の権力者になって、〇〇制度を変えたらどうだろうか…と言いそうになった。その場で反対意見は言わないけれど。一方通行なコミュニケーションの場ではまともな議論は出来ない。

現実は一筋縄ではいかないし、そもそもイデオロギーや価値観を押し付けてはいけない。〇〇制度を変えたとて、子どもが幸せになるとは限らない。〇〇制度を変えたら、不幸な人が減るとも思わない。夫婦の在り方、家族とは何か、家父長制クソくらえ…も、わかる、わかるよ…でもきっとそんな簡単な事じゃないよなぁとも思う。家父長制でとても幸せな人もいるだろうし。

それと同様に、教育が変わらないと…と言う人の真意はわからないけど、実際に日本の国家予算、教育費や子どもにかける割合低過ぎて国連から度々勧告されてるけどスルーされている。この国の制度を左右してる層の人たちの頭はすぐに変えられないだろうけど、市民が束になって地道に訴えていくしかない。教育を変えないと…と言って具体的に何か出来なくても自責する必要はないと思う。自分の半径5メートルの人と思いを共有するくらいでいい。

何百、何千、何万に影響を与えたから偉いのではなくて、相手が例え1人でも自分の信念を貫いていけるかどうか…そこに人としての真価が問われる様な気がするなぁ…中村哲さんの映画を観た後で尚更そう思う。

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