[第5話]悲劇の主演女優賞
偶然の必然
摂食障害を隠すつもりはなかったが、だれにも相談できずに一進一退を繰り返しながら社会人生活(仮)を送った数年間、仕事の傍ら通信教育を受けて資格を獲得したおかげで(仮)が取れて、晴れて正式採用が決まった。その手続きのため健康診断証が必要になり、家から一番近い内科・心療内科の看板があるクリニックへ向かった。健診は滞りなく進み、待合室で証明書が作成されのを待っている時、ふと掲示板の張り紙に目がいった。
"ストレス等で身体的症状のある方へ”
心と体の関係を考えながら、体の不調をケアしていきましょう。当院にお気軽にご相談ください。
摂食障害、過敏性腸症候群、自律神経失調症、更年期障害、月経前緊張症など。
会計を済ませた。「次回の予約は必要ないのでこれで終わりです」と封筒に入った証明書を手渡された時、何も考えずに次の予約をお願いしていた。
事情聴取⁈
初めての心療内科受診、私が記入した問診票に沿ってたくさん質問をされた。(そんなこと分からないんだけど、、、)と答えに困る質問も少なくなかった。しばらく黙っていると、先生がキーワードになるかもしれない言葉をぽつぽつ発してくれるのだけれど、どれも私の気持ちにぴったり合わなくて、そんなときは苦笑いして首をかしげた。
「あなたの家族のことを教えてもらえますか?」-「父、母、姉です。」
「お一人お一人のことをもう少し詳しく話してもらえますか?」ー「。。。」
何が聞きたいんだろう、、、色々ありすぎてどこから話していいのか分からない気もするし、そんな色々は珍しくもないからあえて話すことでもない気もする。父、母、姉の顔を思い浮かべる。怒りも不満も湧いてこない。かといって感謝の気持ちも湧いてこない。感情が働かなくて、ただみんなが何をしているかどんな生活を送っているのか、目に見えていたことから言葉を選んで、少しずつ話はじめた。感情がこもるような話なんて何一つしなかったのに、私は話しながらポロポロと泣いていた。
「次来る時に、おうちの方と一緒に来ることはできますか?あなたが一番頼みやすい、話しやすい人と、一緒にお話ししましょう。」
診察の終わりにそう言われた。嫌だな...無理でしょ…でもこれで解決できるなら頼んでみようと思った。
想定外のドラマ
父は一緒に暮らしていない、姉はアメリカの大学にいる、結局頼める相手は母親しかいなかった。「知っていると思うけど実は食べたり吐いたりが治らないの、だから今度一緒にクリニックへ来てほしい」と初めて自分の口から伝えた。母は少し悲しそうな顔になったが、私で助けになるならと承諾してくれた。
約束の日、殺風景な部屋で母と私は隣に座り、先生はその向かい側に座った。ここまでくる経緯と前回の診察の内容を先生が報告する。私にとっては確認、母にとっては予想しなかった私の思いを知らされる時間。そして先生は母に尋ねた。お母さんはこの時どんなことを感じましたか?本当ならどうしたかったですか?それらひとつひとつに答える母の声が、私には少し怒っているように聞こえた。(呼ばない方がよかったかな…)母の様子が気になったが隣にいる母の顔を見ることができなかった。
「一度で解決できるものではありません。少しづつ焦らずにこじれた糸をほどいていきましょう。お母さまもまた一緒にいらしてください。」と言われカウンセリングは終わった。母には外で待っててもらって、私は次の予約を入れてから外に出た。ほんの少しの気まずい沈黙のあと、私から「付き合ってくれてありがとう」と言った。いいのよ、と軽く笑って返事をした母が、そのあとに続けた言葉。
「でもさ、今はなしていたような問題ってどこの家庭にも一つや二つ、あるものなんじゃないの?みんな同じような思いしてさ、でも仕方ないってどうにかやっているんじゃないのかしら。お母さん、なんだか全部私のせいにされてるみたいでなんか嫌だったわ。」
さっき病院内で発していた言葉に怒りの音を感じたのは、気のせいではなかったようだ。「ごめんね。」と言った。私にイラついているわけではないのは分かっていたが、それ以外返す言葉が見つからなかった。
私は何を期待していたんだろう。先生を通して私の話を聞いた後、今まで何も気が付かなくてごめんね、辛かったね、と母親が抱きしめてくれるとでも思っていたのだろうか。あぁそんな期待も確かに少しあった。抱きしめるまで行かなくても、大変だったね、とか、苦しかったね、とか少し寄り添ってくれるかもしれないと思っていたんだ。自分の中にあったそんな期待に気が付いた時、思わずフッと息が漏れて笑ってしまった。
母の正直な感想は、私を悲しくさせるどころか、私を一気に目覚めさせた。いったい誰に期待してんだか!お母さんに抱きしめられたら摂食障害が治る⁈そんなことない。じゃあ母をイラつかせたあのお医者さんが治してくれる⁈それもない。だって私は母から十分な愛情をもらっていることを自覚していたし、カウンセリング中にやたら家族の不和について掘り下げようとする先生に、実は私自身もうんざりしていた。
悲劇のヒロイン、降板
結局、心療内科へいっても摂食障害は治らなかったが、私は克服に向けて大きなカギを得た気がした。
それ以来、母娘の間に摂食障害の話が出ることはなく、私は二回目のカウンセリングをキャンセルした。母に嫌な思いをさせながら、診察室で気持ちを紐解いて、摂食障害の原因探しをしたいわけじゃない。いや、原因は知りたかったけど、あの場でそれが分かる気がしなかった。
摂食障害を何かのせいにすることはできる。受験でも両親の離婚でも、他の何かでも。でも同じストレス下にいて、摂食障害にならない人もいる。結局、過食嘔吐は私が選んでやったこと。だったら自分でやめることもできるんじゃないかなと思い始めていた。
今、母は私が摂食障害があるとはっきり知っている、それだけで過食嘔吐の頻度は少なくなった。母は心配しつつも、まぁあまり気にしないことよ、と諦めのような極意のような一言をくれた。もうすでに成人して数年経っていた私にとって、この距離を保ってくれたことは有難かった。しっかり寄り添って可哀そうな子ども扱いされていたら、私はたちまち自分の足で立つことをやめていたかもしれない。
摂食障害とうまく付き合っていくといえるほど、上手にコントロールできなかったが、食べて吐きたくなったらその時はしょうがない、と戦うより受け入れるように、いつの間にか変化していた。
〜続く〜
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