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[第4話]長いトンネルの間

ところ変われば人は変わる⁈

なんとなく入れた大学、なんとなく楽しそうなキャンパスライフ、環境を変えさえすればきっといい方へ向かうはずとなんとなく思っていた自分。あぁ本当だ、制服も時間割もなく自分で全部を決めていく自由と責任が心地いい緊張感になって、自分が摂食障害であることをほんの少しの間忘れさせてくれた。しかしその緊張感にも慣れたころ、ふと、サークルやらコンパやらで盛り上がっている同級生たちを、とても遠いところから眺めている自分がいた。私が人生でやりたいことがここで見つかるのだろうか。本来なら大学へ進学する前に考えるようなことをぼんやりと思い、そして夏休みが明けてからも、私は家にいることが多くなった。

日がな一日、本を読み、寝て、を繰り返し、家族がいない時間を見計らって食べては吐く。吐いた後は猛烈な眠気に襲われるのでまた寝て、起きて誰もいなければまた詰め込むように食べて、また吐く。一度治まったかのように思った摂食障害は、強力になって戻ってきてしまった。

大学へ行かないなら働きなさい、という母の言葉をもっともだなと思い、アルバイトを2つ掛け持ちし、週に一度だけ必須科目だけ受講しに大学へ通う生活を始めた。そうだった、こうして忙しくしていれば食べる時間が無くなるから大丈夫。まったくもって乱暴な解決方法だった。

ところ変われば価値観は変わる⁈

アルバイトで貯めたお金は、ただただ親の負担になっていた大学の授業料に充てるべきであったが、結局自分のために使った。今なら海外に行かれる(留学のための休学といえば聞こえもいいし)一年間他のことをして、その間に大学を辞めるか卒業するか考えることにした。約二年間で貯めた数百万は休学費用と海外の生活費になった。

旅立った先はAUSTRALIAで、日本文化を紹介する先生として、田舎の小学校に赴任。斡旋業者は、私が仕事をボランティアでする代わりにホームステイ先を紹介、安価で提供してくれた。

摂食障害の不安は常に心の片隅にあったけれど、それを抑え込むような緊張の毎日だった。ストレスで過食気味であったが、吐くために食べるものを買うような自由で十分なお金がなかったのもあって、嘔吐して寝込むことはなかった。

そして多くの人が日本人に会うのが初めてという小さな町で、背の低い私はどこへ行ってもお人形のように可愛らしいと言われた。ハイカロリーな食事の毎日で、私がどんなに太ってもそれはずっと変わらなかった。だって周りは私よりも二回りも三回りも大きかったから。今振り返ると当時は相当なおデブちゃんだったのに、明るくいられたのは環境によるものが大きい。

ステイ先の家族はあたたかく私を迎え入れてくれて、家族の一人として向き合ってくれたので、適当な愛想笑いはすぐに見抜かれた。What do you think about it? Tell me how do you feel? 誰かに合わせてその場をしのごうとすると必ず意見を求められた。はっきりと意見が言えないのは拙い英語のせいだけじゃない、自分が考えていないから。それは太ってきたことよりもショックな気づきだった。

ところ戻れば人は変わる⁉

帰国後、悩むことなく復学を決めた。やりたいことが見つからなかったとしても、せめて自分の意見を言えるようになろう。休学前はほとんど大学へ行っていなかったので、復学後は卒業単位を取るために必死だった。時々キャンパスで見かけるスーツ姿の元同級生が遠く眩しく見えるときもあったが、「考えるときに止まらない方がいいよ、進みながら考えればいいんじゃないかな」と元後輩の同級生に言われて、どうにか小さな一歩一歩を積み重ねて卒業することができた。卒業したい、、、みんなに追いつくのが精いっぱいで就職活動はどうにもうまく進まなかったが、運よくご縁に助けられ、アルバイトではあったが希望の教育機関での仕事も決まった。卒業も就職活動も常にぎりぎり、タイマーの数字がひとつづつ減っていくような不安と焦りの毎日で過食嘔吐することも少なくなかったが、以前の私と違ったのは、それでも引き籠らずに動き続けていたことだった。

〜続く〜


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