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#me too. 私が性犯罪被害を受けてから今。

今日この記事を書くにあたり、相当悩みました。前日、記事を書くことを決めたのですが、その晩はひどい悪夢にうなされました。朝起きて、「やっぱりやめた方が良いのか」「まだ時期尚早か」と自問自答しましたが、案外サラッとコンパクトに書きまとめる事で、私の中でまた何かが一歩前に進む気がして。ここに自分の過去を晒すこととします。

まず最初に、この記事は性被害について書きます。

同じような体験をされた方、フラッシュバックを起こす可能性がある方は読まない方が良いかもしれません、ご自身での判断を宜しくお願いします。




では始めます。


#MeTooは、セクハラや性的暴行などの性犯罪被害の体験を告白・共有する際にSNSで使用されるハッシュタグである。「私も被害者である」という意味で「私も」を意味する英語にハッシュタグを付している。「Me Too」「#metoo」なども用いられる。 
wikipedia


幼少期。
ADHDの私。住んでいたマンションの同じ年頃の女の子たちは人形ごっこが大好き。私は落ち着いていられず、木に登ったり虫を追いかけたりしているうちに孤立していました。

低学年ごろのある日。

中年のおじさんが困った様子で自転車置き場で何かを探していました。
興味を持つと行動が止まらないのが子どもという生物。しかもADHDという特性も手伝っておじさんの所に駆け寄る私。


ちょっと待て、

と、今の私の声が届いていたなら。


届くはずもなく、私はおじさんの近くでおじさんの挙動を興味津々で見ています。
すぐに声はかけられました。


「ねえねえ、今、○○さんの自転車を探しているんだ。ラベルに名前が書いてあるから、手伝ってくれない?急いでるんだよ。」

「いいよ!」


一緒になって必死に自転車を探しました。一台一台、真面目に。
その人も探していました。多分。

そのうちまた声をかけられました。


「ああ、ここに無いということは、あっちの1号棟の自転車置き場かも知れない。行こう。」

「うん!」


疑う余地もなく、ただ人助けをしているつもりで着いて行った先に待っていたのは、悪夢、いや、悪夢ではなく現実の、地獄。でした。


しばらくは自転車を探していたんです。
そして言われました。


「ねえ、ちょっとこっちに来て。そこに立ってみて。」


「うん?」疑問符は浮かんだとは思うけど、それに従いました。


そこは、トタンでできた自転車置き場の、死角。


90度の角に立たされ、

詳細の表現は自己都合により省きますが


その場で、下着を脱がされ、腰を抱え上げられ、そうです。


I was raped.


信じられないと思うけど本当です。
その時に、そいつが言ってたことも覚えています。

でも吐きそうなので書きません。書けません。


性被害に軽度も重度もありません。が、私の場合は、raped。という表現です。
もちろん流血もしたし、後遺症もあります。


何が起きているのか理解ができず、ただただ本能的に身の危険が及んでいることだけは解り、それでも身動きは取れないどころか息苦しい圧迫感で、声のひとつも出せない恐怖の中、ひたすら脅されながら痛みに耐えました。

やっと解放される、と思ったら、そいつは自分の自転車を持ってやがって、後ろに乗れ乗らないと殺すぞと脅されました。
怖すぎて、足が動かない。
すると今度は甘い声で、「欲しいものなんでも買ってあげるよ、ここに乗れば。」と、私の手首を掴む。

運命の分かれ道だったと思います。ですが私は生きています、今実際に、ここに。

思い切り手を振り払って、マンションの管理人の部屋まで何度も転びながら泣きながら逃げて、「助けて、助けて」と管理人の部屋のドアを叩きました。
ドアが開いた時の脱力感と管理人さんの驚愕の眼差しが忘れられません。

管理人が私の家に連絡を入れて、母親が迎えに来ました。
家へ連れて帰られると即、風呂に連れて行かれ、痛む流血部にさらなる苦痛を与えるように怒鳴りながら洗い流されました。

「知らない人について行ったらダメってあれだけ言ったでしょうが!」


母親はショックだったのかもしれない。
でも、知らない方向けに書きますが私は今すでにこの母親とは絶縁しています。幼少期からずっと虐待をされ、お前は犯罪者にしかならないと言い続けた母親ですから、縁を切ったことに後悔はありません。
あの母親だから、同情してくれなかったのでしょう。痛かったね、怖かったね、ってなんで言えないの、とは思いません。
【私が悪いんだ。】
私の中で、被害に遭ったのは自分のせいなんだ、という認識が確定したのもこの時でした。


その後のことは正直、記憶が曖昧で飛んでいるのですが、気づいたら警察の人からあれこれ聞かれ、どれにも答えられずにいると隣にいた母親が怒るので嘘をついて早くこの場から離れたいと思っていたと思います。


これが私のトラウマ体験です。全ては語れませんが、大体察してください。


それでよく、子どもを3人も生めたね、と思う方もおられるかもしれませんが、子を授かるのは幸せなことだとは思いますが正直私にはいつも苦痛が伴っていました。苦痛と恐怖が。

ただ、夫には人生で初めてこのトラウマの出来事を話した相手で、この人は、違う男だ。大丈夫だ。と思わせてくれるほどの何かを持っていた人で、夫はいつもとても大事に丁重に扱ってくれました。

出産は苦痛を伴うと書きましたが、陣痛とかそういう物理的な苦痛はまだ楽だったんですよ。それより、定期検診の内診なんかは事件のことを思い出して怖くていつも医者にリラックスしてくださいと言われていました。
出産も思うようには行かなかったし(恐怖心があって)、3回とも産後に同性の助産師さんに導尿を頼んだのですが(後遺症で尿道が普通じゃない)同性でもどうしても抵抗があり、助産師さんは首を傾げていました。

うちの子は3人とも女の子。しかも年頃的に、小児性愛者のターゲットになりそうな年頃。不安しかない。恐怖しかない。昨日見た夢も、子どもが性被害に遭う夢でした。

性被害は心の殺人です。私は一度死んだと思ってます。
半分死んだまま、ずっと生きてました。トラウマをパンドラの匣に隠しながら。

ADHDでお世話になっていた精神科医にある日、このトラウマのことを打ち明けました。Dr.は顔を歪めて「辛かったですね」と言ってくれました。
「もし、今あなたが治療したいというのなら、全国的にも有名なトラウマ治療の専門機関をご紹介します。ですが、パンドラの匣を敢えて開かないという選択肢もありますよ。」
Dr.はそう言いました。

私は…もしこの重荷が、呪いから、解放されるのなら苦しくても治療して良くなりたい。乗り越えたい、過去を。そう告げて、専門機関に2年以上通いました。

そのトラウマケアセンターでは、治療に9割程度有効であるとされている暴露療法というもので治療を受けました。(途中治療法の変更はありましたが詳細は割愛します)

あいにく私は、残る1割、つまり治療に無効どころか悪化する経過を辿りました。
度重なるフラッシュバックの波に飲まれ続け、息ができなくなり、自分を見失ってしまいました。悪いパターンです。

結局、入院することになりました。
そのトラウマケアセンターは入院施設ではなかったので、入院ができる精神病院に送られ、入院。そのころは、解離性障害という新たな障害を患ってしまっていました。

治すために必死に通ったのに、気づいたら私は古い精神科病院の閉鎖病棟で、拘束されていました。両手両足胴の固定です。
今となってはあまり覚えてないのですが、当時は自分を見失い制御不能な状態だったようです。
情けなさと悔しさばかりでした。
そして、子どもたち。どれほど悲しい思いをさせたか、寂しい思いをさせたか、怖い思いをさせたか。悔やんでも悔やみきれません。


結局私は2度入院して、カウンセリングで少しずつですが回復していき、解離性障害も症状はほぼ寛解に至りました。

そしていざ事件と心の折り合いをつける為のカウンセリングが始まろうとしていた時期に、担当医であった老人院長と大喧嘩になり、病院を追放されましたw(笑えない)


うまく行かない。うまく行かない。


1つの事件が、1人の人生をぐちゃぐちゃに崩壊したのです。
1人の欲望が、1人の人間の自我をめちゃくちゃに破壊したのです。


しばらくは精神的に疲弊し切っていて(院長と大喧嘩になり追放される前から)、1日のほとんど臥床していました。

鬱も拗らせ、自殺未遂もしました。

もう、何が正しいのかすらわからなかった時期があったのです。

ですが、ずっと見守り続けてくれた夫の存在、そしてかけがえのない大事な子どもたちの存在、私の事情を打ち明ける事に抵抗を感じない限られた友人、彼らの存在で生かされました。

結局、そのクソ院長のせいでカウンセリング継続ができなくなり、事件との折り合いがつけれなくなり途方に暮れていた頃、たまたま繋がった電話先が今通っている発達障害支援センターでした。

女性の相談員さんで(以前のカウンセラーは良い方ですが男性だったのでちょっと言いづらい場面も正直ありました)メインには発達障害のことを相談に行っているのでトラウマの話はまだしていません。
ですが、
その相談員さんは、先日私の話を聞いて目を潤していました。特にトラウマの話はしていないのですが、私が「色々あったけど、諦めずにここに辿り着けて良かったと思っています。」そういうと深く頷いてくれました。


もう何十年も前の話なのに、忘れられません。乗り越えられません。

ですが、もう、一緒に生きていくしかないのかな、と思います。
幸い、臥してばかりの生活は時の流れとともに回復していき、今もバランスは悪いけどそれでもめっちゃくちゃ元気になりました。

先日長女が言いました。

「ママ!最近で一番日焼けしたね、この夏!嬉しいよ!」と。


子どもたちにまでそう言わせてしまうくらい、貧弱になっていた私ですが、生きていてよかった。

子どもたちに同じ思いは、同じ体験は、絶対してほしくない。自分の身を犠牲にすれば子どもたちの安全が確保されるならいくらでも捧げるわ、という気持ちです。
ですがそういう保証も何も無いので、毎日元気に帰ってきてくれる子どもたちに感謝するばかりです。(もちろん危機管理に関しては、他の親御さんより具体的にしているつもりです)

もう一度言いますが、性暴力は心の殺人です。

そして幼い人間を狙う者は生きる価値の無い殺人者だと思っています。


いつまでも追いかけてくる影に、私はいつの日か大手を振って「お疲れさん、ほなな。二度と会うかボケ」と言える日が来るのかな。

でもこの痛みを抱えながら生きることで子どもたちが護られるのならば、私は痛みを抱え続けても良い気がします。




もうすぐ年末か。今年も生きてたな。
泣いたこともあったけど、沢山笑うこともあった。
家族全員元気で無事で、幸せじゃないか。

私1人きりだったら、とっくにこの世にいないと思うから。
ありがとう、家族。


というわけで苦しい話ですみません。
正直に打ち明けれるようになった、というのは前進していることだと私は捉えています。

ただ幼かった自分に言ってあげたい。


あなたは悪くない。




世の中にはさまざまな人が色んな国で性被害に遭って苦しんでいます。
#me too.
私も同じ。

初めてこうして公にできたことで、もし世界のどこかの誰かが救われるのなら。


最後に一つだけ言わせてください。
あなたの隣にも、性犯罪などの被害で苦しんでいる人がいるかもしれません。いつ出会うかは分かりません。
被害に遭っている人は想像以上に苦しんでいます。
もしも被害を受けたことを告白されたら、狼狽えないでください。
質問攻めにしたり、批判したりなどは言語道断です。
ただ、その人を肯定する姿勢を、長期間に渡る態度で見せてあげて下さい。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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