見出し画像

忘れ去られた日本の神々と古代日本人の心(そのうち内容更新予定)

縄文期

縄文時代、私達が習った事といえば、狩りを行い、集落に住む、文明としては洗練されていない文化の中で1万年から2万年を生きた人達。

そういうことになっていた、様々な研究がなされ、様々な角度から再認識される中で、多様な解釈がされ始めている。

画像1

当時の人達の寿命は25歳と短く、3000万体もの土偶が発見されている。しかもそのどれもがバラバラにされていて、集落の至る所に散らばる様に配置されていた。

この土偶は安産祈願の為、身代わりとして壊される、神様に間違って連れて行かれない為の考え方の様ではあるが。

土偶にも幾つか種類があり、ハート型や遮光型やビーナス型、その他ミミズク型

遮光型とミミズク型土偶

画像5

宇宙人説なども勿論あるが、植物霊、動物霊説などもある、猿や、猫の様なものも発見されており、アニミズムという観点から観ても女性を生み出す存在とし、神聖視していた事からしても個人的ににはこちらが有力な気はする。

  ハート型土偶

画像5

縄文人は主にオニグルミというものを食べていたと知られているがそれがこれには使われている、この独特なフォルムは樹木を意味し、大地に根差す根と幹と広がる枝葉をモチーフとしている、つまりは木々という存在が恵みを与えてくれている事を意味している。そしてこれらのサイズは大きく、故意的に破壊されていない事から、安産祈願的なものではないと推測されている。

ヴィーナス型土偶

画像6

こちらはまた特殊なフォルムです、女性性と男性性つまりはシンボルです。縄文人の考え方の一つに縄文土器の所でも出て来ますが、原因と経過と結果というものがあります。つまりは種子としての男性の種と、生成する女性の器と実りとしての子、これを一つの土偶として表現しています。下半身は男性器、胴体は女性と妊娠、そして頭部は子供として表現してあります、頭部のデザインのトグロは実りを意味します。ちなみにこれに関しては巫女の呪術具であった可能性も考えられている様ですね。

その女性の肉体美に対する造形ではなく、女性観、生命、精霊、営みへの感謝、そういったものへと思いを象徴する土偶、何とも素晴らしい感覚を持っていたのだなと思う。

遺影

画像6

その他にも足型、手形のついた土器が発見されるが、この数も多い。

これは我が子や妻などの死んだ人の遺影として家庭に飾られていた様だ。

男性は女性に対し様々な装飾品を加工してあげていた事は、質の硬い材料を多く使用していたことから考えられる。

縄文土器

画像3

火焔式土器、縄文期の土器といえば複雑で装飾的な土器が有名ではあるが、これは争いなどが無かった事が窺える、まぁ単純に考えて争い事ベースではこんなもの作ってる暇もないのだろうが、当時の女性の装飾品から考えても着飾る部分もあり、同じ様な事が言える。

当時使われていた石器なども小型の物ばかりで、これは技術がないと解釈するにはあまりに陳腐すぎるかに思う、要は人を殺せる様なサイズのものは無かったと解釈するのも自然な流れだからだ。

女性の埋葬の際にはそれまで男性の与えた装飾品で埋め尽くされる形で埋葬される。

これだけでも何とも幸せそうで、素晴らしい民族性を持っていたんだなと考えさせられる。

短い命が故に争い事を嫌い、ごく純粋な人間愛に満たされた生き方、そんな生き方をしていた古代日本の縄文人の根底には自然との共存と畏敬の念を持ち、命の尊さを知る、アニミズム的な営みを長年続けてきたと考えると、何とも涙すら出そうな感覚になる。

やがてこの神道的な心や神は、弥生期、徐福の渡来、政権争い、渡来人、仏教伝来、神仏習合、これらの流れを経て時代と共に地中奥深くに押し込まれていく事となる。

大袈裟な言い方かもしれないが、我々は今一度その土の中へと手を伸ばし、神を引き上げる行為の必要性を感じる。

これを傲慢とも取る人もいるかもしれないが、日本の神々の懐の深さは、そういう運命でさへ受け入れてしまえるほどの尊さを感じる。

目先のものに飛びついた我々の先祖の犯した代償を神々が払っているとするならば、我々は事実を知り、尊いものへ目を向け改めなければならないと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?