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日産の迷走に学べなかったホンダと独走状態のトヨタの構図
最近、ホンダが出した新車「ヴェゼル」が波紋を呼んでいる。
ホンダの車なのに、「CXハリアー」と揶揄されているのだ。
CXというのはマツダ車で、ハリアーはトヨタ車。
ホンダヴェゼルのフロントがCX似、リアがハリアー似、というところからCXハリアーと揶揄されているのだ。
ちょっと面白いので、車のデザインについて考察してみた。
グリルとプロポーション
左上が新型ヴェゼルのフロント、左下がマツダのCX-5。
右上が新型ヴェゼルのリア、右下がトヨタハリアーのリア。
確かにホンダCXハリアーだ。
ただ、揶揄されてはいるものの新型ヴェゼルは売れると思う。
なぜなら、売れるグリルとプロポーションだからである。
残念ではあるが、ここに来てホンダも「トレンドに合わせた売れるデザイン」を選択してきた。
ホンダは今までそれとすぐにわかる流行りの大きいグリルとは一線を画してきた。
ホンダのグリルは仮面ライダーのベルトみたいになっているものの、昔のデザインを踏襲しながらアップデートを繰り返してきたデザインだ。
ホンダのその一線を画してきたグリルのデザインの良い悪いは別として、そこからはホンダは簡単にはグローバルトレンドに右へ倣えはしないよという日本人としての意地みたいなものが感じら、そういう精神って忘れちゃいけないなぁとそこまでホンダが好きなわけでもないのだが妙に僕の感情に響くものがあり、移り変わりの早いマーケットをどうたたかっていくのかすごく興味深かったし注目もしていた。
しかし、ホンダは売れる顔、つまりグローバルトレンドに乗っかったのだ。
セルアウトだ。
販売台数減少と基幹車種の重圧がそういう選択をさせたのだろう。
今回の選択には一抹の寂しさを覚えるが、同時に致し方ないといった同情の念も抱いている。
グローバルトレンドに逆らっていつまでも独自路線のスタンスを取っていられるほど悠長なことは言っていられない規模の企業だからだ。
ただ、それだったら今までの時流に乗らない抵抗は何だったんだと言いたくなるが、正確に言えばホンダが選択したのではなく世の中が選択したのだ。
つまり仮面ライダーのベルトのようなホンダの顔は世間からNOを突きつけられたのだ。
セルシオvsインフィニティQX45の雌雄を決するたたかい
画像引用:webCG Car Graphic
これは新型ヴェゼルの画像です。
横顔はパッと見アウディやレンジローバーあたりと見間違えてしまうほどキレイなシルエットになっている。
なぜ横からのシルエットの写真を貼り付けたかというと、僕はこの「横顔」がヒットするかしないかを大きく左右していると踏んでいるからだ。
「セルシオvsインフィニティQX45」がわかりやすい構図なので、ちょっと遡ってみたい。
トヨタのセルシオは車高高めでどちらかというと当時のドイツ車寄りに、一方の日産インフィニティQX45はイギリス車寄りの車高低めのデザイン。
高級車志向が一気に高まってきた時代でこの国内ツートップから出された2車種の投入は当時大きな話題を読んだが、結果はセルシオの圧勝に終わった。
日産は攻めたデザインで勝負したが、世の中は無難で安心を選択したのだ。
その後、フラッグシップのプレジデントがインフィニティのフォーマットを上手く進化させた。
皮肉なことにこのプレジデントはトヨタを黙らせた。
誤解を恐れずに言えば、ライバルのセンチュリーはフルモデルチェンジをしなかったのだ。
いくらトヨタであってもあれ以上のものは当時作る自信がなかったのだろう。
フルモデルチェンジをしなかったと言うより見送ったという見方の方が正しいかもしれない。
そのくらいかっこよかった。
トヨタはセンチュリーvsプレジデントでは「守り」を優先したのだ。
今のベントレーや新型センチュリーも3代目プレジデントのアップデート版と言っても過言ではないデザインとなっている。
皮肉なものだとつくづく思う。
話を戻す。
セルシオは何の変哲もないデザイン、一方のインフィニティは攻めたデザインだった。
クラウンとさほど変わらないセルシオに対して、インフィニティは今までの日産には存在していない全く新しいデザインで勝負したのだ。
でも、みんなが選択したのはセルシオだった。
しかも、圧勝で。
インフィニティブランドが今でも日本導入されないのは、この「敗北」がトラウマなのだと思う。
そのくらい完膚なきまでにやられてしまった。
セルシオvsインフィニティは世界へリーチをかけるのはどっちだと社運を賭けたたたかいだったことから、トヨタvs日産の構図は事実上ここで終止符が打たれたと言っても過言ではない。
何の変哲もないデザインのセルシオだが、特筆すべき点はやはり世界一の静粛性だろう。
エンジンがかかっていてももう一度イグニッションキーを回してしまうほどセルシオの静粛性は群を抜いていた。
高級セダンのフロントランナーだった欧州車になす術はなく、反則技とも言える「二重ガラス」が静粛性向上の打開策だったのだ。
この成功でセルシオ(レクサス)は海外のアーティストにも認められるほどの地位を獲得していったのだ。
一方、日産はその敗北から「大衆に寄せた」デザイン、つまりトヨタのような車高高めのセダンを出すようになっていき、いわゆる「らしさ」を失って迷走に拍車がかかっていった。
プロポーションから攻めの日産が消えてしまったのだ。
その凋落ぶりはあえて説明する必要もないだろう。
現在のコンパクトカーもすごくわかりやすい。
トヨタのヤリスなんかはグローバルスタンダードのアウディを上手く意識したフロントとキレイな横顔に仕上げてきたのだ。
ではヤリスを何代も買い続けていくかと言えばNOだ。
でも、トヨタはそれでいいのだ。
トヨタは、思い入れがあるないとかではなく「世界のトヨタ」であり続けることに目を向けているのだから。
ヤリスを乗り換える頃にはまた新しい世界のトヨタ車が発表されているに違いない。
トヨタのデザインで魅力的なものは正直ほとんどない。
でも、現実が正解。
これでもかというくらい新車種を投入して対抗車のシェアをどんどん奪っていく中で、車好きのハートを掴む復活シリーズをちょいちょい入れてくるのだから、それをやられると目が離せなくなる。
トヨタはそうやってブランドを確立してきたのだ。
日産の迷走に学べなかったホンダ
「お客様は神様です。」
三波春夫さんは変な言葉を流布してしまいました。
神様なら絶対です。
従わなくてはならない。
この言葉のせいで世界で例を見ないくらい日本は消費者が非常に強くなった。
そう言った面で彼の罪は重い。
お店とお客様は主従関係ではなく、パートナーと考える。
例えば、ミュージシャンがファンのニーズを聞くだろうか?
つまらなそうな曲ができそうだ。
関係は主従ではないのだ。
場末の温泉で昔のヒット曲を物憂げに歌っている今は売れない演歌歌手ならそのような要望に応えるかもしれないが・・・。
ロッカーは自分のロックンロールを貫き、それにファンが付く。
要望を聞くと言うよりは、こちらから提案していく。
その提案に手を挙げてくれたお客様には精一杯もてなす。
これが目指すべきカタチではないだろうか。
日産は売れているトヨタやドイツ車のデザインに自ら寄せていったのだ。
寄せにいったデザインに魅力はなく、凋落の運命をたどったのだ。
そういった歴史があっただけに、ホンダがどこまで貫けるのかを見てみたかったというのがある。
しかし、歴史は繰り返された。
がんばっていればいつか報われる。持ち続ければ、いつか夢は叶う。そんなのは幻想だ。たいてい、努力は報われない。たいてい、正義は糧やしない。たいてい、夢はかなわない。そんなこと、現実の世の中ではよくあることだ。けれど、それがどうした?スタートはそこからだ。チャレンジは失敗の山。新しいことをやれば、必ずしくじる。腹が立つ。だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。さあ、きのうまでの自分を超えろ。きのうまでのHondaを超えろ。
負けるもんか。
これはホンダのキャッチコピーです。
ホンダの新型ヴェゼル、キレイなデザインなので売れるだろう。
でも、「負けるもんか」のスピリットはそこからは感じられない。
新型ヴェゼルを買った人が、何代も買い替えていくとは到底思えない。
歴史から学ぶ
バブルの時代に鬼怒川温泉がすごく流行った。
バブルの時代ということもあって、会社の社員50人くらいの団体が大型バスで来るというのが多かったため、大きい宴会場で騒ぐというのに特化した建物をどんどん作っていったという。
その後、バブルは崩壊し温泉は団体から個人で楽しむものにシフトしていった。
しかし、団体客が来なくなっていったのにそのままの状態で経営を続けていた温泉が多く、どんどん潰れていった。
どんどん潰れていく中でも個人客相手に細々とやっているところはなんとか上手くいっていた。
で、鬼怒川温泉は役所みたいなところからお金をもらったのでそれを配りましょうということになった。
その時に、個人客相手に細々と上手くやれている状況に合わせて頑張っていたところには「あなたのところは上手くいっているからお金は要らないよね」となって、その分バブル狙いでお客様がいなくて潰れた無能の旅館にガンガンお金を突っ込んでいった。
で、無能のところが、自分達の努力で一生懸命頑張っている個人向けのところのお客様を奪い始めていった。
結果として、その無能がやっている大型向けの旅館はそんなに個人向けにきちんとしているわけではないから、「別に鬼怒川温泉ってそんなにいいところじゃないよね」というふうになっていって、個人向けにきちんとちょっとずつ頑張っていたところもお客様を奪われて、鬼怒川温泉全体として評価が下がってお客様が減っていった、という話。
要は、無能にお金を与えると、無能さで頑張っている人の足を引っ張り始める、という話。
日産自動車は今は利益を出せていないし、車も売れていない。
で、日本にはトヨタ自動車っていう世界中できちんと車を売って利益を上げている会社がある。
公的資金を日産に突っ込んでトヨタのシェアを奪うとトヨタの利益が下がる。
トヨタの利益が下がるとトヨタの研究開発費が下がる。
結果として、トヨタが世界であげる利益が下がる。
それはなぜ起きたかというと無能の日産がトヨタの売り上げを奪ったから。
じゃあなぜ無能の日産がトヨタの売り上げを奪えたかというと、公的資金を日産に突っ込んだからですよねってことになる。
無能にお金を突っ込むと有能の足を引っ張ることになる。
これは、日産に公的資金を突っ込むことに反対したひろゆき氏の話。
鬼怒川温泉が廃れた話はとても興味深い。
ライバルはお互いを高め合うために存在する。
スポーツではライバル無しに一人で記録を出すことは難しく、そのためにあえて伴走者やライバルを用意する。
日産はこれからフェアレディZやアリアなど期待の持てる車が出てくる。
どう贔屓目に見てもかっこいいとは言えない今までのVモーショングリルも新型にアップデートされ、アリアやノートを見る限り今度は受け入れられそうだ。
今の日産は無能と見られている。
歴史から学んで、もう一度強い日産を復活させて欲しい。
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