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那須川天心と武尊は実現するのか?を考察

那須川天心と武尊の試合が今までで一番現実味を帯びてきている。

これは、K-1武尊が大晦日RIZINの天心の試合観戦に訪れたからだ。

対戦実現の可能性を含めた意思表示。

K-1は今までK-1での試合以外は認めていなかった(もし対戦したいのであればK-1と独占契約してくださいといったスタンスを崩さなかった)ので、K-1選手ともし対戦を希望するならばK-1と契約しなければならないというハードルがあった。

天心が出てくる前のK-1は業界全体が盛り上がるならば協力を惜しまないといった今よりもオープンな団体に見えた。

RIZIN立ち上げに協力的だったし、事実武尊はRIZINで試合を行っている。

武尊だけでなくその頃まだK-1所属だったHIROYAもRIZINで試合を行なっている。

こういった前例があるにもかかわらず、天心がRIZINに出現以降K-1は頑なに他団体での試合を禁止し、契約を理由にあらゆる可能性を潰す動きに徹し始めた。

RISEの天心とK-1の武尊の試合を成立させるために中立な場にあるRIZINも実現に向けて世間を巻き込んで動いてみたが、天心対武尊を煽ることは営業妨害だと訴訟問題にまで発展するなどむしろ逆効果となった。

それほど、史上最高傑作のキックボクサー那須川天心の存在はK-1をそして格闘技界の勢力図を大きく変えてしまった。

天心がK-1と契約すれば、例え数試合査定試合が組まれたとしても武尊との試合はすぐにでも組まれただろう。

そして、天心にとってはそんな査定試合も難なくクリアできてしまうことも見えていた。

確かに天心がK-1に乗り込んで征圧してしまうというのもロマンがあって見てみたいという気持ちも少なからずある。

しかし、K-1の契約は3年とも言われていて独占契約ともなればK-1にしかメリットがなく、RISE・RIZIN連合とWin-Winの関係が成立しないビジネスとなってしまうため、RISE・RIZINとしてはメインイベンター(正確に言えば、天心はRISEの正社員であってRIZINでは契約社員みたいな感じなのだが、実際天心が動くときはRISEとRIZINの人間がセットで動いているので、両団体のエースと言っても過言ではない)天心がK-1と独占契約を結ぶことを許すわけにはいかなかった。

あらゆる可能性を秘めた天心自身もがんじがらめの契約を望まなかったし、天心のK-1との独占契約はデメリットの方が大きいことをファンも理解していたので天心のK-1契約を望む声は多くはなかった。

このようにライバル団体のトップ同士が交わるということは様々な事情が絡んでいて非常にハードルが高く、対戦が望まれてはいるが実現は難しいと考えられていたので、相手の試合をライバル団体で生で観戦するというのはもうそれだけで衝撃的なニュースなのだ。

果たして天心対武尊は実現するのか?

なぜ、6年以上進展のなかったことがここにきて一気に動き出したのか、理由を考察していきたい。

天心のキックボクシングの試合のカウントダウンが始まった

6年ほど停滞していた天心対武尊がここにきて大きく動いた理由はいくつかある。

1つ目は、天心がキックボクシングのカウントダウンを発表したこと。

キックボクシングでの試合を残り数試合とし、ボクシングへ挑戦することを表明したのだ。

キックボクシングで対戦する(もしくはできる)価値のある相手が少なくなってきたことと、最強キックボクサーであることを十分証明できたこともあって、今度はボクシング界に殴り込んでそこで世界を獲って今までとは違ったアプローチでキックボクサー最強を証明しようという目論見だ。

このカウントダウンは武尊サイドを大きく慌てさせた。

なぜなら、今のままでは実現せずに終わってしまうからだ。

もともとは6年前に天心が対戦アピールしたことがきっかけだった。

実際に天心がK-1の会場を訪れて、試合後の武尊と客席でタッチを交わしている。

天心は幼少の頃から実績を残しており、すでに格闘技関係者の間では有名ではあったが、一般層にはまだ響いていなかった。

青木真也も当時は、「天心という存在は知っているけど、プロモーションがヘタだなと思う」と厳しい見方をしている。

その頃、同じ階級の武尊がK-1の熱を取り戻してスター街道を突っ走っていたので、そう見られてもおかしくはなかった。

当時高校生だった天心がK-1の会場を訪れて試合後の武尊とタッチを交わしたが、K-1王者の武尊は一般層にはまだ無名の天心を「ファンの一人としてしか認識していない」とあくまで眼中に無いと突き放した。

天心を知らないはずはなかったが、K-1王者としてのプライドがそうさせたのだろう。

まだ早い、と。

しかし、天心にもプライドがあった。

この出来事をバネに変えた。

天心は次から次へと相手を倒していき、さらにはMMA・ミックスルール・ボクシング企画とキック以外のことにも果敢に挑み、その存在を世間に知らしめていって快進撃を続けた。

これが功を奏し、天心の知名度は一気に広まって、「Aサイドは天心だ」と武尊との立場を逆転するにまで至った。

しかし、武尊としてもK-1王者としての自負がある。

築き上げたものをそう簡単に譲る気はないし、当然面白くない。

ただ、自由に動く天心とは真逆で武尊はK-1組織人としての立ち居振る舞いが求められた。

天心の度重なる対戦要求に対してもK-1陣営は箝口令を敷き、「名前を出すな」と訴訟まで起こすなどして、組織ぐるみで天心をシャットアウトした。

このK-1側の姿勢を世間は「逃げた」とみなし、ニゲル(タケルが逃げている)と揶揄し、組織人として武尊はやり場のない状態が強いられた。

武尊自身天心という名前は出さずとも天心サイドに対しては「不快感をあらわにする発言」「敵対心むき出しの発言」が目立った。

「相手(天心)が55kgと言うなら(俺は今60kgでやってるけど)その体重でやってやる。」

武尊もそういった悔しい思いをしてきたこともあって、逃げたと誤解されたまま何もせずには終われないのだ。

相手の土俵(55kg)でも俺は倒すことができる、そういったメッセージを放ってなんとか自尊心を保っていた。

そこに、天心のカウントダウンというニュース。

いつまでも意地の張り合いをしていても始まらないのだ。

天心のカウントダウンは、事態を急展開させるきっかけとなったと言える。

価値観を変えた新型コロナウイルス

世の中が大きく変わった。

試合がしたくても出来ない状況が発生したのだ。

これによって、団体も選手もファンも価値観が大きく変わった。

当たり前のことが当たり前にできなくなったのだ。

大勢のファンの前で今までのように試合することが難しくなってきたのだ。

これが、悔いのないようにしたいという武尊の気持ちを大きく後押ししたといえる。

これまで天心サイドに対して不快感をあらわにしていたこともあったが、新型コロナを機に、「最強」と称されるもう一人のファイターと拳を合わせてみたいという純粋な気落ちになれたことがこの流れを呼び寄せることになったと言えるだろう。

YouTubeで個人が自由に発言できるようになったこともこの雪解けムードに大きく影響している。

天心ジムのNo.2でもある白鳥は武尊とYouTubeでコラボを行なっている。

RISEとK-1の関係からすればこのコラボは考えられないことだ。

価値観が大きく変わっていることがここからもわかる。

そして、武尊自身天心との闘いが実現できるように水面下で働きかけているということも段々と情報として入ってくるようになり、武尊が天心から逃げているという誤解が解消されたことも負の感情が無くなってきたことの一つと考えられる。

事実、ここにきて武尊が天心の名前を出して発言することも多くなってきているし、天心関連の発言をする際は敬意を持った大人な発言になってきている。

試金石となった天心対皇治

天心と皇治の試合は武尊にとって試金石となった。

大きくなっていた「天心という幻想」が、この試合で武尊にとって「自分と変わらない存在」にリセットすることが出来たと言えるだろう。

武尊は皇治と過去に対戦し、3−0の判定で完勝。

そして、今回天心も皇治に3−0の判定勝利。

相手(皇治)が消極的な姿勢であったため天心にとってはKOを狙えず気の毒な試合ではあったが、あの天心でさえも皇治をKOすることが出来なかったと見ることも出来た。(とは言え、10回闘っても10回天心が勝つくらいの実力差が合ったことは否めないが)

この試合で、武尊は「60kg階級の優位性」を感じ取ったと思われる。

皇治の(俺が架け橋になったる、二人のために俺は動いている、といった恩着せがましい発言やパフォーマンス等の)言動に対して武尊は怒りを滲ませたコメントを事あるごとに発してはいたが、図らずもこの天心対皇治の試合が一気に事態を加速させたことは言うまでもない。

武尊にとって、天心という幻想を打ち破ることが出来たのだから。

逆に言うと、天心という幻想を打ち破るのに6年以上も必要だったということだ。

時機を見極める

元々55kgだった武尊だが、同じ階級の天心の活躍が目立ってくると階級を上げていった。

これは、今すぐに天心との対戦を実現化させないような動きとも読み取れたし、実際そうだったと思う。

ボクシングの比嘉が井岡を追っていた頃に井岡が引退をしたのと状況が似ている。

比嘉はその後体重超過で失格処分となりそれ以降井岡を追っていた頃の輝きを失い、逆に井岡は比嘉の幻想がなくなったことを確認したかのようなタイミングでボクシング界に現役復帰。

「負けない闘い」とはこういうことなのだろう。

少しでも勝つ可能性があるならば闘うという美学もあれば、少しでも負ける可能性の方が高いのであるならば闘わないという美学もあるのだ。

相手に勢いがある時は尚更「時機」ではないということだ。

闘わないという選択は逃げたと見られる向きも少なくないが、そういった世間の雑音を気にせず時機の見極めに徹することができるかどうかもチャンピオンであり続けることの条件のひとつだと言えるだろう。

それに、他の標的ができれば雑音はすぐに収まる。

「負けたけど果敢にチャレンジしたよ」といった勇気はその時は称賛されるが、振り返って見た時は試合結果が評価対象となる。

どれだけ実績を残してきたかが強さの証明であるので、負けない闘いという見極めができるかどうかはその(見極めという)カードを使う使わないは別としてチャンピオンにとっては必須と言えるのかもしれない。

勝つことが絶対という勝利至上主義、自己プロデュースに長けている人はこの見極めが優れているのだ。

対戦が望まれ続けた天心と武尊だが、「そもそも階級が違う」ということでだんだんと現実的ではなくなってきていた。

55kgの時の武尊のライバルでもあった大雅が60kgでK-1王者になって、新たに闘いの場を天心のいるRIZINに求めた。

しかし、K-1離脱後の戦績が振るわず、天心との対戦が話題にされることも無くレースからは脱落してしまった。

もう一生天心とは闘えないだろう。

その失敗を見た皇治は査定試合を挟まずに天心戦を漕ぎ着けた。

ここまでは見事な動きだった。

しかし、結果は完封負け。

負けたけど天心相手にあれだけやられても倒れずにいたのはすごいという間違った声も多く合ったが、段々と消極的な姿勢相手にはKOが難しいというプロ格闘家の声が届き始めてからはみんな冷静になり、その後減らず口の皇治に非難が集中。

天心戦以降シバターやボブサップ・チェホンマンといった勝負論のない闘いを求める発言が目立つようになり、ファイターではなくパフォーマーに成り下がってしまった。

皇治は多くのファンや関係者を失望させている。

おそらく次不甲斐ない闘いをすれば容赦無くRIZINからは降格人事あるいは引退勧告を受けることになるだろう。

5.30 RIZIN大阪大会、K-1を抜けて結果的には天心武尊を近づけるきっかけになったことへの労いの意味と地元のチケット販売力に対する期待が込められて皇治がメインイベンターに抜擢されてはいるが、ここで戦力外通告を受ける可能性が高いと見える。

現役引退が見えてきた武尊

天心キック卒業と武尊の現役引退が見えてきたことも事態が動き出したきっかけと上手くリンクしていると言える。

例えば、どちらかが1敗でもしていたらもっと障壁はなかったと思うし、もっと早く実現していたと思われる。

いや、お互い高いレベルでしのぎを削っているので、もし1敗でもしていたら逆に闘う必要が無いとなっていたかもしれない。

でも、お互い負けなかった。

途中からK-1サイドは「先に天心に負けてほしい」という願いを込めて、天心に試合を先にさせてから武尊に試合をさせる、というように何かしら理由を付けて武尊の試合を延期させるようになった。

それだけK-1にとっては天心が脅威だということだし、K-1という看板を武尊一人が背負っていてそれがとてつもなく重いということだと言える。

試合延期の戦略は武尊のストレスを少しでも和らげたいという親心とも取れるが、天心のRISEやRIZINがそういった姑息な駆け引きを一切しないので、K-1組織人の武尊は逆に可哀想とも言える。

ただ、どんなにファンから悪口を言われようとも武尊はK-1への恩義を忘れずにK-1ブランドを大事にし、天心との闘いを求めてK-1を離脱した選手がいる中、武尊はK-1所属でありながら天心戦を実現させることに拘り続けている。

そんな武尊の夢を叶えるべく、運営サイドもいつまでも保身をはかってはいられないということで世紀の一戦へ一歩を踏み出したと言えるだろう。

100年続くを標榜するK-1はもしもの保険を忘れない

とは言え、K-1は保険も忘れていない。

「K-1はキックボクシングでもムエタイでもボクシングでもなくK-1という独立した競技です。」と中村拓己K-1プロデューサーは武尊の試合の前日に発表した。

これもブランディングの一つと言えるのかもしれないが、天心対武尊の「保険」とも受け取れる。

仮に中立な立場での天心との試合で武尊が負けたとしてもK-1としては「別競技での試合」と言えるのだ。

また、武尊の現役生活がそう長くないということも感じ取っての後押しとも言えるタイミングなので、K-1は二重にも三重にも「保険」をかけていることがわかる。

K-1は選手を信じていないなと感じてしまう。

武居がボクシングに転向したのも、対天心を意識したものとも読み取れる。

これまで武居はキックでは0勝3敗1分と一度も天心に勝つことが出来ていないが、ボクシングならキックより可能性は出てくる。

そういった思惑が見え隠れする。

100年続くK-1というスローガンが、いつの間にか延命させることが目的化してきている。

守りに入ると後は下降していくだけと歴史が証明しているのに、残念ながらそれが見えていないのだろう。

成長すると立場も変わる

天心を「ファンの一人」とK−1王者として突き放した武尊も流石に天心の活躍を認めざるを得ない状況になってきて、「逃げも隠れもしない。いつでもK-1に来てください」と天心を意識したアピールをここ数年続けてきたが、(天心と武尊の)立場が逆転すると天心はもうそういった(K-1サイドのやりたいならこっちに来てといった)殿様商売には付き合わなくなった。

それは、「ファンの一人」と突き放された時と今では立場が大きく変わったからだ。

つまり、もう天心は武尊を追いかける立場ではないのだ。

(立場の逆転を)自覚してからは天心は自分から武尊とやりたいとは言わなくなった。

もし自分(天心)と闘いたいのなら向こうが実現に向けて動くのが筋ということだろう。

だから、武尊と試合をするためにわざわざ自分からK-1に出向くということはないのだ。

それを、K-1サイドも認めざるを得ない状況になった。

だから、もし実現させるならば、K-1サイドから動く必要があった。

天心が活躍すればするほど両者の対戦が離れていく、そんな状況が6年ほど続いていた経緯があったので、武尊がRIZINで天心の試合を生観戦するというパフォーマンスは言い換えれば対戦実現に向けて我々(K-1)も同じテーブルにつく用意があるという意思表示でもあり、対戦実現に向けて大きな一歩を踏み出したとも言えるのだ。

これは、立場の逆転が公の場で認められた瞬間でもあった。

K-1としては表立って武尊のこの行動を後押ししたわけではないが、団体のメインイベンターの行動が会社として無関係ではないということはファンには伝わってきたし、保険もしっかりかかっているのでK-1も武尊の行動は無関係ということは無いだろう。

こうやって天心対武尊が再び動き出したのだ。

そして、3月28日に今度はRISEの天心がK-1武尊の試合観戦に訪れた。

大晦日RIZIN表敬訪問に対するお礼というスタンスだ。

天心からは武尊との試合に向けた前向きな発言は得られていない。

これは悔しい思いをしてがむしゃらに駆け上がってきた天心の意地でもあるだろう。

「自分(天心)がAサイドである。だから自分からは対戦したいとはもう言わない。」と受け取れる。

これから両団体調整に向けて話し合いが行われていくだろう。

これから・・・

ここに誰かが割って入るような存在が出てこないと、天心対武尊がピークで終わってしまうだろう。

もし、皇治が生き残りを懸けるなら白鳥と対戦しないと存在意義が一気に薄れてしまう。

魔裟斗と佐藤嘉洋のキックの実力は拮抗していたが、佐藤嘉洋が魔裟斗に代わってK-1MAXを背負えたかと言えばそうではなかった。

これは、天心対志郎にも同じことが言える。

仮に志郎が天心超えを果たしたとしても、RISEそしてキック界を背負っていくには求心力が足りない。

だが、志郎にとってはこのタイミングは大きなチャンスとも言える。

そういった意味で言えば、天心と武尊は規格外のものを背負っていると言える。

この二人がいなくなったら、一時的には熱が冷めることは避けられない。

天心・武尊がいる間に割って入るような存在が出てきて欲しい。

トップの二人がいなくなったら、まあまあの中からトップに躍り出るものは必ず出てくる。

でも、それを待っていたらダメだ。

ピンチはチャンス。

今こそ、出てきて欲しい。


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