見出し画像

いくつになっても恋愛がうまくいかない

初めて彼女ができたのは小学3年生のときだ。

初恋は、幼稚園の時。

幼稚園の先生に事あるごとに突っ込まれるほど好きという気持ちが露骨だったらしい。

でも、好きという気持ちを相手に正しく伝えられていたかはあまり自信がない。

幼い頃は好きな子にわざと意地悪しちゃうことだってあるし、僕は素直じゃないところがあるからどちらかというと僕はそういうタイプだったように思う。

一緒に遊んでいた記憶もあるけど、記憶というものは自分に都合よく書き換えられていることだってあるし、幼稚園のときの記憶など断片的だし曖昧だ。

だから、自信を持ってなみちゃんに優しく出来ていたとは言い切れない部分がある。

なので、初恋は幼稚園のときだけど、初めて相思相愛になったのは小学3年生のときとしている。

付き合うって何するの?と聞かれても遊ぶだけだったのでなんだただの仲良しじゃんと言われれば返す言葉もない。

でも、正確に言うとただの仲良しではない。

僕は彼女に「大きくなったら結婚しようね」とプロポーズをしたのだ。

告白というか気持ちを伝えたいと思っていたからすごく緊張したし、誰にも聞かれないようにと相手の家の裏庭まで連れて行って勇気を振り絞って言ったんだけど、出てきた言葉は「大きくなったら結婚しようね」だったから自分でもすごくびっくりした。

でも考えてみればごく自然のことで、結婚以外のカタチを小3には知る由はなかったし当然そこに至るまでのプロセスも知らないわけで、大きくなったら結婚しようねとしか言えないのだ。

とは言え、ませたガキだったなと思う。
そこで将来結婚する約束をした。
だから、歴とした彼女ということになる。

それからは学校の休み時間は2人でトイレに籠っては話しをし、放課後は彼女の家に遊びに行ってケーキを食べさせてもらうなどして仲良く遊んでいたが、程なくして父親の仕事の関係で彼女は引っ越しをしてしまった。

最初の数ヶ月こそ頻繁に文通をしていたが一年後には年賀状のみの関係となって数年後には自然消滅した。

失ってはじめてかけがえのない存在だったと気づく

次に彼女ができたのは、5年生のとき。

放課後は、男子グループと女子グループと合同で遊んで、帰宅後の夕方5時30分からは彼女との電話タイムというのが日課となっていた。

付き合っていると言っても学校では恥ずかしくてなかなか話せないので、電話の時に「今日こんなことあってさ」といったことをお互い話していた。

彼女から授業中に手紙が回ってきたり、週に何回かはかわいいレターセットに入ったものをくれたりもした。

彼女は占いが好きで、私たちは双子座と水瓶座だからすごく相性が良いんだよといったことがよく書かれていた。
一番相性が良いのは彼女の母親だといったオチまで用意されているものもあり、小学生ながらもなかなか手の込んだ内容となっていた。

彼女との付き合いは中学1年まで続いたが、相手に憧れの先輩ができ僕にも他に意識する相手が出来たことで別れることになった。
それが引き金となった。

正確に言えば、それを引き金にした。

中学に入ってからお互い部活が始まりクラスも別々になったこともあって、今までのようなリズムで付き合うことが難しくなってきていた。

すれ違いから電話や手紙のやり取りは減りお互いの距離は離れていった。

ビミョーな関係が続いていたのでこのまま自然消滅ということも有り得る状態だったが、彼女の友達からは「ねぇ、あきこのことどう思ってるの?」と聞かれることもしばしばあったので、なんとなくふわっとさせながら問題を先送りにしていたが、実際はどうすればいいかわからず頭を悩ませていた。

ただ、次第に相手の憧れの先輩のことや僕の意識する子のことがお互いの耳に入るようになったことで、意思確認も含めてやり取りを行なったことが別れへと進展した。

付き合いが終わることは数ヶ月前から覚悟としてあった・・・はずなのに、いざ正式にさよならするとなると感情が堰を切って漏れ出した。

彼女もまた、人目を憚らず一日中泣いていた。

付き合っていたと言っても正式に署名したわけではないし言ってみれば口約束でしかない。
だからそこには何の効力もないのかもしれないけど、僕と彼女の涙には「俺たち付き合っていたね。大好きだったよ。」と心から思えるものがあった。

失ってはじめて自分にとってかけがえのない存在だったということに気づかされた。

彼女の憧れの先輩はあくまで憧れの対象であって別に先輩と付き合いたいといったものではなかったし、僕もそれは同じだったが、小学生の頃とは何もかも変わってしまいもう戻れないということはお互いわかっていた。

成長していくということは同じ場所にはいられないということなのだ。

上手な撤退は評価されないと言う。

確かにそうだと思う。

でも、始まりに意義があれば、終わりにも等量の意義があるとも言えるのではないか。

だから、自然消滅ではなくちゃんとさようならできたことはよかったって思っている。

学校で泣くとか今思い返すとすごく恥ずかしいけど、青春とはそういうものだと自分に言い聞かせている。

恋愛ごっこから親公認の付き合い

別れを数ヶ月前から覚悟していた分、立ち直りも早かった。

中1の終わりには新しい彼女が出来た。

7歳上の兄が当時付き合っていた彼女のことを「きよみ」と呼んでいたので、僕も新しく出来た彼女のことを「かおり」と初めて下の名前で呼んだ。

少し、大人になった感じがした。

でも、そこが子供なんだけど。

兄が「きよみの家に行ってくる」と行って出掛ければ、僕も同じように「かおりのところに行ってくる」と試みるのだが、母親にびっくりされてあえなく撃沈。

生意気言ってんじゃねーよということだが、代わりに家に連れてくることは許してくれた。

どんな子と付き合っているのか興味があったのだろう。

SNSの無い時代は、電話と手紙・交換日記がメインだった。

彼女から手紙をもらっては、仲良しと見せ合ってわーわーはしゃいでいた。

ただ、この時にはすでに小学生のときに抱いていた純粋な好きというものよりは、新しい女の子と付き合うことによって得られる新しい発見といった好奇心の方が勝っていたので、その頃は付き合っては3ヶ月で別れるみたいな恋愛ばかりしていた。

周りには3週間で別れる子はざらにいたし、中には3日で別れる子もいた。

中学生にはまだ「大人の付き合い」が出来ないから、「付き合ってみて合わなかったら別れる」しか方法がないのでどうしても付き合ってから別れるまでの周期が早くなってしまうのだ。

それに、この頃は好きと言われると「付き合っているうちに好きになっていくかも」とか「好きになろう」って思ってしまうのだ。

中3になっていきなりカッコよくなったり可愛くなったりする子も出てくる。

中学生の付き合いのサイクルの早さは成長スピードと相関関係があると考えられる。

高校に入ってからは通学途中に会う子を好きになり、告白して初めて他校の子と付き合う経験をした。

駅で待ち合わせをして、お互いの家を行き来したり、手をつないで街を歩いたりした。

待ち合わせに走ってくるみゆきはいつも可愛かった。

ただ、このときはとにかく男友達と地元で遊ぶのが楽しくて、次第にそっちを優先していくようになってしまった。

自分がいないときに面白いことがあると悔しいからだ。

地元の友達のところに連れていくこともあったが、仲間内で盛り上がってばかりいて一緒にいるみゆきは面白くなかったと思う。

みゆきからは「自由にしてあげたい」と切り出され、別れることになった。

高校時代はいろんな子と繋がりが出来てたくさん恋愛ごっこを楽しんだ。

大学生のときは、実家で暮らしている彼女の部屋にこっそり入って朝方窓から抜け出すといったルパンみたいなことをしていた。

彼女の親とも仲良しだったけど、さすがに泊まりますというわけにはいかないので、こっそり入っていたのだ。

このときは僕が遠いところに住んでいたこともあって、終電がなくなるとこうやって泊まらせてもらっていたのだ。

彼女の部屋は2階にあって、家に入るときは彼女の両親が寝室に入ったって連絡をもらってから靴を持って玄関から忍び足で入って、朝出るときは鉢合わせの心配があるから玄関からではなく2階の窓から飛び降りて出て行っていた。

寝ているときに親が入って来られないようにドアを塞いで、念には念を入れていた。

一度寝ているときにノックされてドアが開けられそうになったこともあったが、ドアをブロックしておいたことで寝たままやり過ごしたこともあった。

今思えば、おそらくバレていたと思う。

毎回ドキドキしたし、楽しかったな。

彼女のお父さんはプロレスが好きで、僕も好きだということを知っていて高田対橋本、高田対武藤が行われた東京ドーム大会によく連れて行ってくれた。

僕が彼女と喧嘩すれば彼女の両親がなだめてくれるなんてこともよくあった。

アートディレクターとして原宿に会社を持っていた彼女のお父さんは、原宿に行けばご飯を食べさせてくれたし、彼女の家に行けばお母さんがよくご飯を食べさせてくれた。

初めての親公認という付き合いだった。

すごく好きだった。

けど、毎日一緒に居すぎたことで優しくできなくなっていった。

だから、すごく好きだったけど別れを選んだ。

彼女はお金持ちのお嬢さんで僕は貧乏、結局僕にはゆとりがなかったのだ。

こうして3年半の付き合いは幕を閉じた。

彼女はその後スペインでほとんど過ごしていて、たまに帰国したときに会ったりする。

20代は「好き」の延長に結婚があると思っていた。

ただ、結婚は30代になってからするものと思っていたので、20代のときは現実的に考えていなかった。

だから、付き合った子に何かを求めることはなかったし、かわいいといったことを優先していた。

因果応報

僕は高校生の時に好きだった子に裏切られたことがある。

その子は雑誌の編集のお手伝いをしていて、撮影で知り合った。

あった瞬間にかわいいと思って、すぐにデートを重ねた。

で、僕の持っているラルフのパンツとバッグを貸して欲しいと言われて「いいよ」と言って貸してから音信不通になった。

この頃は携帯もないから探すのにも限界があった。

それから数年後にその子と再会を果たした。

向こうが僕に気づいて声をかけてきてくれたのだ。

「ショックだった・・・」という話をしたけど、素直に謝ってくれたしもういつまでも前のこと言っててもしょうがないと思い、そのことは水に流した。

それからは毎日連絡が来るようになり、「好き」という気持ちを伝えられ、相手はお金を持っていたのでいろんなところに連れていってくれた。

だけど、僕は次第に違和感を覚えた。

みえちゃんは、いい恋をしてこなかったのかな。

前は好きで好きで仕方なかったけど、今は逆転して相手が僕を好き好きって言ってくる。

結局、今度は僕が連絡を切ってしまった。

でも、この後味の悪さは今でも残っている。

ちゃんと言葉で伝えないとだめだ、成長していないのは僕の方だ。

苦しい恋愛、そして結婚と離婚

でもというかだからこそというべきか、それから苦しい恋愛も経験した。

同じ商業施設で働いていたちえちゃんとは毎日一緒にいたし、休憩室ではいつでも僕を特別扱いしてくれたし、お互いに好きと言い合って手を繋いで毎日一緒に帰った。

でも、付き合うという約束だけは「そんなものには意味ないよ」と突っぱねられた。

周りはみんな僕と彼女が付き合っていると思っていたから、付き合うという約束を交わしていない僕にとってはこの現実が余計に苦しかった。

どうしても心が折れそうになってしまう瞬間が訪れるのだ。

好きと言ってくれた相手の言葉や特別扱いしてくる場面を思い返して自分を奮い立たせるんだけどどうしても付き合っていないという部分が頭にあって離れている時に良からぬことを考えては不安になって心が折れそうになるといったことを繰り返してしまい、すごく苦しかった。

結局、相手を信じることができなかったのだ。

好きと言ってくれる言葉に嘘はなかったし裕福な家の子だったので僕よりも全然お金は持っていたし愛もすごく伝わってきたけど、付き合うという約束をしていないことが僕には不安で仕方がなかった。

やっぱり付き合うと約束した上で愛するくらい愛されたいと思ってしまうのだ。

付き合うという約束をしなかった理由は、彼女は元彼を引き摺っていたからなのだということがわかった。

僕が覚悟を決めて彼女と向き合っていたら違う結果になっていたのかもしれないが、不安を抱え覚悟が決まっていない僕には彼女を振り向かせることはできなかった。

結局、僕は未熟だったのだ。

3年半一緒に過ごしたけど、やっぱりこのままではダメだと自分に言い聞かせて、この関係を終わりにして新しい彼女を作った。

新しい彼女と付き合って愛されることに幸せを感じたが、化粧の準備に2時間もかかるという習慣に段々と嫌気がさしてきて2年で別れた。

この頃から、ナチュラルな子が好きということに気づき始めた。

だが、109が全盛の頃だったからやっぱり次に付き合う子もギャルだった。

全く学習していない・・・。

転職し、赴任した店の斜向かいに働いている子と付き合い始めた。

付き合って3ヶ月後に妊娠が発覚し、半年後に結婚することになった。

結婚式なんかしたくなかったけど、相手の家がこういうことは必要だということで、僕自身順序を間違ってしまっているところもあったので挙げることになった。

結果的にはみんなにきちんと挨拶できたので式を挙げてよかったと思った。

しかし、8ヶ月目に流産してしまった。

流産のはっきりとした原因はわからなかったが、まだ僕たち二人には早かったということだったのだろう。

それから、僕は彼女の家族と一緒に暮らすようになり、僕たちは日に日に家族になっていった。

そして、僕は仕事に精を出した。

彼女のお父さんは外資出身だったので、色々とわからないことを教えてくれたり相談に乗ってくれたりした。

毎年ジョブグレードが上がっていくのを義理の父もすごく喜んでくれたけど、その分残業も多くなってきて彼女と過ごす時間が削られていった。

僕自身仕事最優先で職場の先輩や後輩とご飯を食べにいくことが多くなってきてそれが正しいことと思っていたが、そうじゃなかった。

寂しい思いをさせてしまっていたのだ。

5年半で離婚することになった。

不倫

それからは、当分一人で過ごしたいと思っていたが新たに彼女ができた。

しかし、その子は僕の部下で「上司と部下」という関係上あまり祝福されることがなく、これでは幸せになれないと判断し別れることになった。

40代になって、また好きな人が出来た。

同じ職場だったが、僕が東京で彼女は群馬の遠距離恋愛だった。

母性が強く、すごく一緒にいて安心できて今までに感じたことのない幸せを感じた。

母親が生きていたら一番好きと言ってくれる相手だったと思う。

ただ、問題があった。

彼女には家庭があったのだ。

悩んだし、話し合った。

子供が高校生になるまでは待とうってことになった。

だから、歯を食いしばって仕事を頑張った。

出世することで彼女を安心させたかったし、何かに打ち込んでいないと不安に襲われてしまうからだ。

でも、仕事に打ち込めば打ち込むほどゆとりもなくなっていった。

いつも笑顔の彼女から笑顔を奪ってしまった。

今までで一番好きなのに、やっぱり一緒にいることでどこか「当たり前」になってしまっていたのだ。

僕は、出世して社内ナンバー4の地位になったけど、引き換えに彼女を失った。

彼女は僕と別れてから離婚をした。

不倫は、・・・誰も幸せにならない。

一番好きな人とは結婚できない理由

もし付き合っている彼女が8点だったとして、次はもっといい人が来るかもって考えていたら、絶対に一番の人とは結婚できない。

どうしても付き合っていた子が基準になってしまうし、一番好きな人って失ってから気づくことが多いから。

僕は、一番好きな人と別れた後に、他の女性から告白をされた。

40代のおじさんを好きになってくれる人がいるだけで幸せなことだが・・・。

恋愛ってどんなに経験してもいくつになっても全然うまくならない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?