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『群集心理』はヤバい本だった

NHK 100分de名著、ル・ボン『群集心理』のテキストを読んだ。解説は武田砂鉄。

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はじめに『群集心理』が書かれたときのフランスの時代背景が語られている。
うわ、歴史とか苦手なんだがさすがにフランス革命くらいわかるかな。ところが予想以上にとんでもない混乱が起きていたのだ、と知り驚いた。


パリのコンコルド広場を周遊しているとき、ガイドさんが「マリーアントワネットが断首されたギロチン台がここに」という話にも、贅沢しすぎなくらいでこわい話だな、くらいにしか思えなかった。
王政を壊せ、国王を消せ、そんな行動に向かわせる力はなぜ沸き起こるのか、それを群集心理という言葉で表したこの書に触れることで、ほんとうの革命の恐ろしさが少しわかってきた。
そして革命の原動力が群衆の特性を悪用したものだったとは。

ここからは少し難しい話になるのだか、自分なりにまとめてみようと思う。

群集とは、大衆や集団と違い、特定の心理作用を起こした人々となる。意識的個性は消滅し、感情や観念の同一方向への転換が見られる、心理的にシンクロした集団である。
個人は意思を持たない、けれどイマージュ(心象)によって操作されることによって、真実かどうかにかかわらずわかりやすい思想に染まってしまうのだ。

また、群衆には指導者という人格が必要。
群衆の精神を常に支配しているのは自由への要求ではなく屈従への要求である。服従に対する渇望が本能的に屈従させる。

人は無力だから群れるのではない。あべこべに群れるから無力なのだ。(竹中労:ルポライター)

私たちの日常も同様にディストピアだという。

命令されること、順従することに馴れて、誰かからの指示を待ち、みんなと同じ行動をとることに疑いをもたなくなる。権利を持つ人がその権利を行使する時には、必ず「自立性の剥奪」が起きている。

当たりすぎていて怖い。
マルクスもこう述べているそうだ。

労働をマニュアル化、単純化する分業というシステムが労働者の自立性を剥奪する。

指導者の実像は、ふだん指導者としてイメージしている人物像とはかけ離れている。

指導者は、多くの場合、思想家ではなくて実行家であり、あまり明晰な頭脳を具えていないし、またそれを具えることはできないであろう。なぜならば、明晰な頭脳は、概して人を懐疑と非行動へ導くからである。

指導者の実像がわかったところで、彼らの用いる方法、手段をみてみよう。
それは、「断言」、「反覆」、「感染」である。

「断言」は、本当かどうか、証拠があるかどうかに関係なくとにかくわかりやすい言葉にすると威力を増す。

そして、「断言」はたえず、できるだけ同じ言葉で繰り返すことで影響力を持つ。「断言」された事柄は「反覆」によって人々の頭の中に固定して、ついにはあたかも論証ずみの真理のように承認されてしまう。

「断言」が「反覆」によって全体の意見が一致したときには意見の趨勢が形作られて、強力に感染していく。
群衆の思想、感情、感動、信念などは細菌のそれにもひとしい激烈な感染力を具えている。

ここまで読んだだけでも群衆っておそろし。

ただ、悪いことばかりではない。
徳性を備えた英雄的精神、献身的精神を発揮することもできる。指導者の思想次第なのだ。

自分が群衆の一部になっていないか、常に考えることが必要。わからない状態を怖がってはいけない。

では、群集心理の負の側面に巻き込まれないためには、どうすればいいか。
「断言」、「反覆」、「感染」の3つの手段を裏返して問いにすればよい。

「断言」→わかりにくさを許容する
「反覆」→繰り返し目にする主張は誰かの反覆と疑う
「感染」→同じ意見のことが多いときこそ立ち止まって考える

さて、読んだ読んだ〜とホッとしたところで、それを見透かしたように著者の一言。

よくわかったと満足してしまったとしたら目論見は半分失敗、「よくわからない」「いってること怪しいぞ」とそこから『群集心理』を手にとって「分かりやすさ」に抗って見ろという。
100分なんかで学べるもんではない!と喝を入れている。

す、す、すいません。
原作を読むまでの気力がなくて、マンガ「群集心理」を読んだ
深い理解にはならないかもしれないけど、しっかり私の脳内に焼きついた(はず)。

「断言」「反覆」「感染」で威厳を手に入れる!
断言を反復し感染させる!
「自由・平等・友愛」、支配者に屈服しているものが飛びつきそうな標語だ。
人間は集団の中にいるだけで無意識に支配され、批判能力が麻痺し暗示にかかりやすい状態となる。その暗示によって臆病者が英雄に変わり人格者が暴徒にもなるのだ…

群集心理ってこわ。

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