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読書日記『これでおしまい』篠田桃紅

篠田桃紅はニューヨークで活躍した美術家。107歳で生涯を閉じるまで筆をとり、自由に生きた強い女性のイメージ。篠田桃紅の紡いできた「ことば篇」と記憶とともに綴られる「人生篇」からなる最後の著書である。

「人生篇」は思い出とともに語られている。
大正生まれの桃紅は想像通り激動の時代を生き抜いた。
その時代に女性は女学校を出たら結婚して奥さんになることが当たり前で、どう生きるかなど考えないのが普通であったが、桃紅は自分の考えで生きたかった。それが叶うとは誰も信じない時代に。

そんな彼女の背中を押したのは、父である。ハイカラで封建的と語られるが、かなり子を一人の人間として尊重していることが窺い知れる。6歳の頃から書を書いていたが、そのうち父から「歌や書を書くときは満州子という本名でなく『桃紅』と書きなさい」と雅号を渡された、というエピソードは震える。

戦争、疎開、両親との別れを経て、単身ニューヨークへ。今でも簡単なことではないが当時は尚更である。世界の芸術家として活動するには認められなくてはならない。自分で切り開き、突き進んでいく情動にこちらも心を揺さぶられる。

「ことば篇」と「人生篇」は交互に章をなしている。どんなに苦境にあっても自分のやりたいことだけをやってきた人には才能だけでなく幸運もあったのだろうと思ったら、それは大きな間違いだ。「ことば篇」では世の中を冷静に観察しつつ、そんなにもがいたってだめよ、と諭す。これは相当辛いこと苦しいことを経験していなければ達しない境地だ。
「ことば」のどれも身にしみてきて書き留めておきたいと思うのだが、ここでは著作権もあるので一部だけ引用しておく。

「春の風は一色なのに、花はそれぞれの色に咲く」
人はみんなそれぞれに生きなさいってことよ。こんないい漢詩はないですよ。
女の人が一人で生きていたらかわいそうだなんてとんでもないわよ。日本の男の人って本当に自惚れていると思った。一人でいることを哀れなこととして見ていますよ。人が人を幸福にし得るなんて無理、幻想です。
一切は受け止めておく。それが人生を渡るのに上等まではいかないけど、まあまあ無難な生き方かもね。
「縁なき衆生(しゅじょう)は度し難し」
お釈迦様ですら、いくら教えを説いても理解してくれない人がいると諦めているのですから、思い悩む必要はないですよ。
「ただ過ぎに過ぐるもの、人の齢(よわい)」
清少納言も書いているとおり、ただ、ただ、過ぎる。当方に関係なく。」
若さは謳歌するもので、賛美されるものではない。
若いときはこうだった、ああだったって、年寄りが過去の自慢話をするなんて野暮。
無意識にやっていたことは、生きている人間の一番自然なかたちかもわからない。
墨はいくら濃くしても真の闇にはならない。
明るさを残している。何かやり残しているところがあるから、人類は生きていられるんですよ。

何年か前に『一〇三歳になってわかること』を読んですごい人だなあ。とある意味羨望の眼差しで見ていた。この続編かと思いきや、その間に『桃紅一〇五歳好きなものと生きる』という本が出版されていてさらに驚いた。
墨で描く抽象画がどのようなものなのか実物を拝見したことはないが、機会があれば感じてみたい。芯が通っているのに主張し過ぎない、自分の感性で感じればいいという声が聞こえるだろうか。

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