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読書日記『マチズモを削り取れ』武田砂鉄著

私の職場はわりと大きな警察署の近くにあります。先日警察署の真前の交差点で信号待ちをしていると自転車に乗ったオジサンが私の前を蛇行して走ってました。
(車道を堂々と走って…)
次の瞬間びっくりしました。
オジサンは赤信号なのに交差点に侵入しようとし、横切る車に「よけろ」とでも言わんばかりのジェスチャーで何か叫んでいます。
(警察署の前なのに…)
周りの車は巻き込まれたくないので停まってました。

その時ふと思いました。
この人が女性だったら、ちょっとおかしな人なのかな、くらいでやり過ごすでしょう。でも、オジサンの行動は、「怖い」。まず怖い人なんじゃないか、怒っているんじゃないか、酔っ払ってるんじゃないかと思うわけで、ただ単に社会に適合できないだけだから危害を加えることはないだろう、とは考えないわけです。
だから、なるべく近寄らないようにする、そういうことが自分の人生の中にも何度となくありました。

この本を読んで、同じように感じている女性が多いのだと思いました。
マンスプレイニングな言動に感情で立ち向かっても力でねじ伏せられてしまう。それどころか人生を大きく制限されたり、最悪の場合生死に関わることもあります。そうやってこれまで自分の心の中に閉じ込めてきた小さなわだかまりを、「いちいち」思い出す内容でした。

こんなことを言うと、「大した美人でもないのに自惚れてるのではないか」、と嘲笑う声が聞こえそうです。そう、私は美人でもないし目立つような人間でもありません。そんなふつうの一個人が女性であるというだけで、怖い、弱い、虐げられた立場に追い込まれるのがデフォルトになっています。
まさにその現状をあぶり出してくれたのがこの本でした。

問題提起されたエピソードは次の通りです。

自由に歩かせない男

これは冒頭の怖い体験にも通ずるものがあります。弱い立場であろうと思しき女性にだけぶつかっていく、ってどういうことなのよ、ほんとに。
でも周りは見て見ぬふり、いや気づきさえしていないかもしれないのです。

電車に乗るのが怖い

いわゆる痴漢問題です。
何度も言いますが決して美人でもかわいくもない私でさえ、電車内で(かなり性的な俗語で)ナンパされたり、異常な密着行動をされたり、露出なさっているのを見かけたりしました。日本の悪しき文化(文化というのもおぞましい)です。

「男/女」という区分

男性なら何も言われないのに、「女なら持ち前の存在感を備えた人」だからエリートクラスや幹部のようなアッパーな立場になれたのだと言われる。若い子には、人より2倍も3倍も価値があるなら、(普通の)男性と同じラインに立たせてあげられるよ、という。げんなり、です。

それでも立って尿をするのか

ここが最大のヤマ場です(笑)。頷きすぎてムチウチになるかと思いました。
最近はトイレ事情も良くなってきていますが、家庭においても、「立ってするなら掃除しろ」。まさにそこなのです。

密室に人が入り込む

これも日々、恐怖心との戦いにさらされている現状を明らかにしています。

なぜ結婚を披露するのか

自分も結婚式は反対派でした。親が積み立てをしていた式場で、家族だけの質素な式と写真撮影はしましたが、何の印象も残っていません。やはり家制度の名残りで、結婚するなら親や親戚にお披露目するのが当たり前ということになっているのはまだ変わらないようです。新婦だけが両親に宛てた感謝の手紙を読み上げるなど、おかしな風習が残っているのでは、結婚ってこの日を境に自由を奪われると宣告される日なのではないかとさえ思ってしまいます。

甲子園に連れていって

高校野球の女子マネージャーが選手と一緒に走って帰らされたのち死亡した過酷な惨状が語られています。そもそも高校野球を神聖化しすぎなのではないでしょうか。
高校野球、好きな人は多いと思います。でもエンタメ要素を求めるのならプロ野球でいいのではないかと思うのですが。ちょうど先日日本ハムファイターズの「ビッグ・ボス」こと新庄剛志新監督の就任記者会見がありましたが、あのくらい楽しみにしていてくれよ!と言われた方が見たくなります。

体育会という抑圧

先の甲子園とも繋がっていますが、中学、高校の部活動のあり方について一石を投じています。
根性。
汗。
努力。
絆。
かつて体育会系で培った経験を活かして社会で活躍してきた世代の人がまた人事権を握っていて、体育会系の子を採用しようとする動き、なんとか食い止めたいです。おそらく大企業に多いこのような偏った評価は、今後衰退していくのだろうと思います。

寿司は男のもの?

板前さんに男性が圧倒的に多いことも問題ですが、寿司屋とは、カウンターでカップルで並んで座ったら、男性がオーダーしてうんちくを語り最後に支払うという、男性にとって優越感に浸れる恍惚の場なのでしょう。なんだか白けます。

カウンターと本音

「スナックは公共圏」という迷言を考察しておりなかなか面白いです。
一方で、カウンターの中にいると安全圏と感じる女性の気持ちも的を得ています。

人事を握られる

女性は、権利を声高に主張すると男性から批判されることがしばしばありますが、男性はすでに権利があって楽なところに安住しているという事実と、その事実を直視しないという既得権益がはびこっています。
いつになれば「女性活躍」などという言葉を使わなくてもすべての人が輝ける時代になるのでしょうか。日本では実現が難しいのかもしれませんね。

こうやって冷静に分析されてもなお、放置されている現状は根深いものがあります。武田砂鉄さんという方は、男性でありながらこの提言をしてくれる稀有な存在だということがわかりました。

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