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「 コサギの肖像 」

 都会ならではの複雑な光の交錯が、若いコサギの姿を浮かび上がらせた夕暮れ時の数十秒。
 双眼鏡でその姿に見とれながらふと、そういや今日は写真機を持ってきていたのだったと肩にかかった重量のことを思い出す。
 鳥にプレッシャーをかけながら写真を撮ることに少しだけ疑問を感じるようになって、約4kgの機材が鳥見のお守りみたいなものと化してはいるここ2年余り。
 それでもこの姿は撮っておくべきかなあと思い、とはいえこの距離ではあるので、コサギを驚かせぬようゆっくりゆっくりレンズを向けて数枚シャッターを切った。
 スッと延びた首筋と特有の横向きの凝視に、やはりやや緊張させてしまっているなあとファインダーをのぞきながら感じる。
 それでも、“都会の自然”が生み出す光の情景と、普段のちょっと癇癪持ちっぽいコサギの姿からは想像できないようなすっとした姿と緊張感の美しさに、やはりどうしても撮りたくなり、そのエゴに従って更に数枚。
――そうして何秒か。
 幸いなことに、そのままレンズを保持し続けるうち、コサギは緊張を解いて優雅に歩き始め、いつもの小魚獲りに専念し始めた。
 どうやら私は、「大きな一つ目(レンズ)でやたら見てくるけど、さしてガッツも感じられない無害なデカブツ」と思われたらしい。
 どんなに好きでも決して“仲間”にはなれないしなってもいけない身としては、まあやっぱりそこいらが立場的な落としどころだろうと少しガッカリし反対に安堵もして、間隔を置いて更に数枚。そして、写真機から双眼鏡に持ち替えた。
 そんな十数枚の写真達の中からの、序盤の一枚がこの写真なのです。

@三鷹市
●撮影ノート
「AF-S NIKKOR 300mm f/2.8G ED VR II」+「Ai AF-S Teleconverter TC-17E II」+「Nikon D810」
焦点距離:510mm
FNo:5.6
シャッター速度:1/200(やや薄暗い風景でかつノイズが目立つため、敢えてコサギの静止っぷりに甘えてスローなシャッターで)
ISO:3200
合成露出補正:-0.3EV
 細かいことかもしれないですけど、こういう写真って現像上の演出に迷うんですよ。
 てのも、こういう複雑な光環境の風景って、肉眼で見た印象とファインダーで見ていた印象と、そしてこの場合は双眼鏡で見ていたときの印象とでかなり違うものですから。
 で、デフォルトの現像だとそりゃもう上記のいずれでもない小綺麗な写真が出来上ります。
 それはもちろん、そのまま出したってもちろん写真にはなるんですが、それじゃあ本文にあるような様々な感情が写っているとはならないわけです。
 私の写したいものは、ただの綺麗なコサギではないわけですから。
 突っ込んで言えば、現場での緊張感とか「いつもの」コサギにはない不思議な静の美しさとか、それからできれば撮り手のちょっとしたエゴみたいなものもできれば感じさせたいわけですので(成功するかどうかは分からないまでも)。
 てことで、色々考えた末に、今回は「双眼鏡で見て、ああこれは撮りたいな」と感じた像を優先して現像することにしました。

鳥を撮ったり見ていたりする方は当然ご存じとは思いますが、双眼鏡で見る鳥の姿というのは、写真機のファインダーで見るそれとは比べものにならないくらいに鮮明で、かつやや不自然なくらいに立体的です。
 簡単に言えば、クッキリと浮かび上がって見えます。
 この写真のときの風景はまさにそれで、都会の複雑な光源のせいもあって、まるでレフ板かフラッシュでも使ったかのようにコサギの姿が浮かび上がって見えていました。
――それを見て最初に思ったのが、よくある人間のモデルさんのポートレートだったというくらいに。

そんなわけなので、現像時はそのときの印象を優先にしています。
 具体的には、デフォルトだと光り輝いているようだったコサギの体の白の諧調をややおとなしくして、特に顔周りのトーンをきちんと出すこと。
 それから同じく顔周りが締まって見えるよう、クチバシの黒を少しだけ深く強調しています。
 また、大口径な望遠レンズ特有の周辺減光が双眼鏡の周辺減光に近しく見えたので、デフォルトだと入っている補正をOFFにしました。
 その他は特にいじってはいないんですが、それだけで印象は激変していて、各々の写実を追求できるデジタルな写真ってやはりいいなあなどと思ったりしたのでした。


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