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また与えられてしまった

同じ職場で働いている職人のおじさんが、差し入れを買ってきてくれた。

今日はお店が忙しく、僕は休憩する暇がなかったのだ。「はい」と言って置かれたのはエナジードリンクの缶だった。

「あ…」と僕は思わず笑ってしまった。いつも飲んでるの知ってるから好みがバレてたんだな。「ありがとうございます、いただきます」と言って、流し込んだそれはキンキンに冷えていて、疲れた体に染み渡った。

「病気ならんようにね」

とおじさんは声をかけて職務に戻って行った。

エナジードリンクが体に悪いのなんて知ってる。大量のカフェインと、砂糖と…あと着色料と香料と保存料と…笑

それでも飲んでしまう。あの炭酸と甘みが癖になるので中毒になってしまってる。節約のためにも控えなきゃとは思う。

いつも飲んでるけど、今日貰ったあれは格別に美味しかった。ものは同じなのに。

例えは悪いけど、「他人の金で食う焼肉は美味い」的なあれなのだろうか…。いや、それはちょっと違う気がする。

優しさに触れたから?

僕の語彙で言い表せないのがモヤッとする。でも、これが近い気がする。

また、与えられてしまった。

ここ1年くらい、貰ってばっかりで(ともすれば奪ってばっかりで)与えることのできない自分を後ろめたく感じていた。

そのせいで「与えなきゃ」「ギブしなきゃ」と焦燥感に近い感情に駆られていたんだけど、今日は少しだけ違っていた。

ああ、こういう所から始めればいいんだ、って。

その人がいつも飲んでるジュースを買ってあげたりとか、「頑張ったね」って言ってあげたりとか。こういうのも全部「与えた」って言っていいんじゃないだろうか。

「しなきゃ」と焦る自分はいなくなっていた。もしかしたら僕にもできるかも、誰かに何かをあげられるかも。そう思うと胸の中がジンとあつくなった。そして今まで僕にくれた人、その人たちにも返したくなった。僕がしてもらって嬉しかったこと、何倍にもして。

辛かった時、いつも支えてくれた人がいる。LINEで気にかけてくれたり、僕がひどいことをしてしまっても優しく叱ってくれたり。

その人が今は悩んでいる。だから力になる。今度は僕が助けてあげる番だ。

その人に限らず、困ってる人は助けたいし、何か出来ることはないかとお節介にならない範囲で考えながら過ごしてみたい。

嬉しかったな、いい日だったな。

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