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何のために生まれてきたのか

タイトルについて、僕なりのひとつの論理が出来上がったので忘れないうちに記しておきます。

1.健全に3大欲求を満たす
2.できなかったことができるようになることを喜ぶ
3.誰かに価値を提供する

僕は大きく分けてこの3つのために人は生まれてきたのだと結論を出しました。

想像を絶するほど低い確率で生まれた宇宙で、これまたとんでもなく低い確率で生まれた地球。

「奇跡が産んだこのホシで起こるすべて 奇跡以外ありえないだろう」―RADWIMPS「ふたりごと」

もう、意味わかんないほどの奇跡の連続で僕たちはここに存在しているわけです。空気があって、水があって、美味しい食べ物があって。なのに人類は飽き足らず科学を発展させ、便利を追求して世界を動かし続けています。

生きているだけで奇跡だけど、どうせなら生まれてきた意味に自分なりの回答を出してから死にたい、そう思いました。だから今の時点で最善と思う答えをここで書きます。当然、明日にはこの考えが変わっているかもしれません。でも書きます。

1の「健全に3大欲求を満たす」ですが、言うまでもありません。短すぎず長すぎない睡眠と、美味しくて栄養に気を使った食事、そして好きな人とのセックスです。これらは本能なので当たり前ですが、快楽と直結しています。気持ちがいいのであらゆることの原動力になります。安全な夜や美味しい料理、そして素敵な恋愛を求め科学は発展しました。突き詰めると原始的な欲求で虚しさもあります。しかしこれらは外すべきではない、生まれてきた十分な意味だと考えます。

そして2つめの「できなかったことができるようになることを喜ぶ」です。これは人間が発展するためにインプットされているプログラムだと思っています。最初はできなかったことにコツを見つけ、できるようになることで毎日がイキイキしてきます。小さな成功体験は連鎖し、「これができたんだからあれもできる!」と挑戦を恐れなくなります。この成長の喜びは格別です。これを味わうために生まれてきたと言っても過言ではないと思っています。

最後の3つめ「誰かに価値を提供する」ですが、これに気づけたのは最近でした。ミニマリストになり、物質的な喜びと他者との比較から離れることで浮き彫りになった価値観です。成功者(不本意ですが、お金を沢山稼いでいる人をこう呼ばせていただきます)の方は口を揃えてこう言います。「成功はお金じゃない」「私は好きなことを続けていただけ。そしたら評価があとからついてきた」と。今までの僕はこれを綺麗事だと思っていました。成功者がイメージアップのために謙遜したフリをしているのだと。しかし、どうやらこれも違うようなのです。僕が働いているパン屋のオーナーは「自分の作ったパンをお客さんが美味しいと思ってもらえればそれでいい」というのが口癖です。事実、お店を開く際には大きな借金をしたそうです。パンは単価が安いので短期的に大きく儲けるのも簡単ではありません。それでも、何年も続けてこれたのは「他人に価値を提供する」ことに喜びを見出しているからなのかな、と僕は思ったのです。僕はパン屋ではまだ新人で、パン作りには大きくは関われませんが、僕が少しでも手を加えたパンが売れると、ものすごく嬉しくなります。それは誰かに価値を提供できたと感じるからなのかもしれません。チョイ役の僕がこんなに嬉しいのだから、オーナーの喜びはこんなものじゃないはずです。昔の僕ならお金儲けこそが全てで、恥ずかしながらボランティアや寄付などは偽善だと思ってしまっていました。利益を顧みず、他人に喜んでもらう。それこそが生まれてきた意味なのだとやっと思えるようになりました。

モノ(お金を含む)では本当の意味で幸せになることが出来ないと思っています。貧乏な僕が言っても説得力がありませんが、確かに言えるのは大量のモノを捨てた今の僕が過去最高に幸せだということです。

そして誰かを幸せにすることを幸せだと感じ、食事や睡眠に気を使う余裕が出てきたということも…

夜中にふと考えがまとまって書きたくなったのでnoteを立ち上げました。熱くて柔らかいうちに形にしたかったのです。不格好な鉄の棒ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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