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なぜタイトルが『100日間生きたワニ』に変えられたのか真摯に誠実に考えてみた感想

映画館まで観に行きました!

以下の文章ではネタバレを含むのでご注意ください。

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▼率直な感想:

普通に、良い作品でした。

まあ「日本アニメ映画史上最高の大名作!」ではないです。笑

でも大事なことなので2回書きますね。

100ワニの映画は、良い作品でした

前半はワニくんが死ぬまでの100日間、後半はワニくんが死んでからの映画オリジナルの物語なのですが、たぶんそこそこ映画に詳しい方なら、こう書くともう「あ、上田監督のお得意なパターンで、前半じっくりかけて仕込んだ伏線が、後半に一気に爆発するのかな」と予想できてしまうと思いますが、まさにそのタイプの作品でした。

▼不条理な悪評と炎上:

そもそもTwitterの原作が炎上して人気が一気に下降したので、今回も面白がって叩こうと思ってわざわざ映画館まで行った「悪意の塊みたいな客」が一定数いると思うのですが、連載当時の『100日後に死ぬワニ』という作品をリアルタイムで純粋に楽しんでいた人や、上田監督の作品(カメラを止めるな!他)が好きで観に行った人は、十分に納得できる内容だったと思います。

(私の推測:Twitterで毎日作品を描くのに超絶多忙だったきくちゆうき氏が「バズってるうちに商品展開しなきゃ機を逃すぞ!」と言い寄ってきた人達によく判断する時間も余裕もないまま「とりあえず全部おまかせ」にしたら、頼まれた人達がポンコツでSNSでの上手いやり方に対応できず、一方でそういうのに敏感で疑り深い人がいろいろ情報を掘って、それを叩くのが目的なだけのアンチに見つかって、結果こうなったのだと思ってる)

だから作品に罪は無いと思ってる。

そりゃコナンとか鬼滅とかゴジラとか、ましてやアナ雪アベンジャーズみたいな超ビッグタイトルと比べたら100ワニは全然敵わないですよ。だって、かけてる予算が全然違いますもん。

日本の映画が大きくて制作費3億円くらいなのに対して、アナ雪とかアベンジャーズは数億ドルだから100倍くらい違うのよ。さらに100ワニは日本の中でもかなり予算が絞られた方だと思うので、マジで誇張じゃなくて数千倍の差があるんじゃないかな。これって体重差で言うとカバとウサギくらい違うんですよ。戦ったら強いのはどっち?だから最初からそこと比べるのは違いますやん。

そもそも、あの4コマ漫画から映画化すると言う時点で、とても難しいことだと思いませんか?たとえ連載完結直後にド派手な炎上がなかったとしても、あなたならどうやって2時間にしますか?原作がTwitterでリアルタイムに毎日進んでコメント欄で皆であーだこーだと考察したりクソコラ画像を作ってわちゃわちゃして、そして最後にどうなるんだというのにドキドキハラハラしながら見守るのが楽しかった作品ですよ。

だから炎上があっても炎上がなくても、こんな映画化の話を持ち込まれたら、本心では携わりたくないクリエイターがほとんどだったと思います。私が映画制作者だったら逃げようとすると思います。しかしそこに挑戦した一人の監督がいました。それが上田慎一郎です。

▼監督は『カメラを止めるな!』を撮った人:

私が一番驚いたのは、この企画は上田監督の持ち込みだったことです。

マジかよ。

実は2020年4月に映画化が発表された時に、私は「いやーこんな炎上しちゃって無理でしょ。誰もやりたくないぜ。でも、もし、日本の監督でこの100ワニを起死回生で面白い映画に変えることが出来る監督がいるとしたら、それは、、、カメ止めの上田慎一郎とか?」くらいに思ってました。

念の為に書いておくと『カメラを止めるな!』は「プロデューサーに無理な注文をされて普通に考えると不可能な方法でゾンビ映画を撮ろうとする損な役回りの映画監督とキャスト・スタッフ達のドタバタ悲喜劇」という映画。

そしたら数ヶ月後にまさに上田監督だったと情報解禁されて、それだけでも「なんだよ上田監督、現実世界でも濱津さんみたいになってんじゃん。笑。でもすごいわ。漢気あるなー!」と驚いたのに、実は自分から持ち込んでいたのだとわかって更に驚きました。「逆に!!」みたいな。笑

それでは、上田監督がどのような作品に仕上げたのか観ていきましょう。

▼演出についての感想:

まず映画の外見であるアニメーションの品質について。

絵は質素でアニメは雑で遠近感など作画崩壊もどきが起きていますが、それは原作の雰囲気を出すために、あえてわざと崩したものです。私は多少絵が描けるので「わざと下手に描いた線」くらいは見分けられるつもりです。(疑う人は私の絵の腕前をnoteの他の記事のサムネとかで確認してください)

手を抜かないで作っていることは演出が細かいことからも分かります。ここらへんが上田監督が何度も発言されている「真摯に作った」の部分だと思います。たとえば原作の4コマでもワニくんは嬉しい時に「しっぽが上がる」クセがあるのですが、今回の映画でもワニくんに声をかけられて内心嬉しいセンパイのしっぽが上がる描写があります。

そして声優さんが皆さんじっくり間を使っていてお上手です。実際に普通の人達が日常生活で話すときってこんなもんでしょ。エヴァンゲリオンのように早口で捲し立てるタイプの人なんて日常生活にはほとんど見かけません。現実世界でも仕事の場面では早口はよく見かけるかもしれません。だから映画の中で仕事の電話をかけている犬は早口でしたよね。

あとワニくんの両親は映画オリジナルかな。あの二人は終始背中だけ描かれていて切なかったな。

そして監督の言葉どおり映画の作品全体のテーマは、Twitterの原作とは別物になっていました。

以下は本格的なネタバレになりますが、私は本作については先に映画をご覧になられた方が楽しめると思います。思いとどまるなら、今です。

▼「100日間生きた」に変更された意味:

本題に入ります。

前半30分かけてTwitterの4コマから主要なエピソードをほぼそのままの台詞で展開します。(アニメ映画として見せるためにコマとコマの間を多少肉付けしている部分はあります)

そして後半さあどうなるんだと思ったら、なんと100日後までジャンプします。アベンジャーズ:エンドゲームの「5年後」に勝るとも劣らないびっくり感でした。ここまで100日間を丁寧に描いてきたのに、急に100日も飛ばしたねと。やや面食らいました。(※アベンジャーズが社会現象レベルで流行したのは2012年以降で2019年のエンドゲームまで約5年間なので、「観客がリアルで経験した時間」ぶんだけ劇中の時間をスキップするという点では、実は両者はまったく同じとも言えます)

そこで描かれるのは、あの日から時間が止まった仲間達の姿でした。彼らは会うと思い出して辛くなるから、もう集まりません。ワニくんの話もしません。LINEもしません。街で見かけても気付かないふりでやり過ごします。

4月初旬から100日後だから、ちょうど7月中旬で今くらいの季節ですね。映画の中でもまだ梅雨真っ盛りのようで雨が降り続きます。そして現実世界でも、まだ雨の日が多いですね。

そう、まずリアルのタイムラインと似ているのがショッキングなのです。そして大切なものが失われた喪失感が淡々と描かれ、ワニくんとネズミがよく通ったラーメン屋が潰れていました。街には人影がほとんどありません。ネズミは家で一人黙々とカップラーメンを食べます。テレビは何を見ても面白くありません。私は映画館の中でこんなことを考えました。

これってさ、コロナ禍の私たちの現実の世界の投影じゃん

2020年3月から私たちの現実の生活は大きく変わりました。街の小さな食堂は営業停止して人影は消えて会食をする機会が減りました。おうち時間で視聴時間が増えたテレビにももうウンザリしてきています。

映画の中でワニくんを失って生活がまるっきり変わってしまった登場人物たちは、どこかもの悲しく、どこか寂しく。しかし怒りをぶつける先もなく、淡々と日常をこなすしかありません。それが私たちの生活と完全に一致します。大切なものをなくして、でも今日まで生きてきた。そんなことが分かります。

ここで完全に新キャラのカエルくんが街に引っ越してきて仲間達を引っ掻き回します。私も「ああ何コイツうざいなー」と思って観てましたが、終盤で彼が「ちょっと無理をして明るく振る舞っていた」ことが分かってきます。

「あれ?カエルって無理して普通に生活してる私達と似てるかも」

そしてカエルの事情を知ったネズミがついに声をかけてやります。ここで上田監督の真骨頂である伏線回収になります。よ、待ってました、伝家の宝刀を遂に抜いたね!

そしてネズミは自分の中にまだワニくんが生きていたことを実感して、泣きます。これはもらい泣きしますよ。(号泣ではないけど、目から汗が)

そして勇気を出してあの日から止まっていたLINEグループに呼びかけると、皆すぐに返事してくれました。ネズミだけではなくて、仲間みんなの中でワニくんは100日間生きていたんですね。だからこのタイトルなんですね。

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▼鑑賞後の感傷:

この映画を観た後に、私はむかし学生の時に亡くなった後輩くんのことを思い出しました。あの頃は楽しいことがあったね、亡くなった直後は仲間がこんな感じだったね、といろいろ思い出しました。ときには亡くなった故人を思い出してあげること。故人を偲ぶこと。心の中では今も生きていることを確認すること。これこそ100ワニが提示してくれたテーマなのかなと私は思いました。

だからね、大人になるほど胸に沁みるタイプの映画なんだろうと思うよ。

歳をとってくると同年代に不幸が起きる件数も増えるのよ。

でも20代の時に亡くなった友人のことが、登場人物の状況と照らし合わせても、なんだか似ているような気がしたかな。

▼なぜ「こんな短い作品」を作ったのか:

良かった点だけ書いても、ただの信者かステマみたいになっちゃうので、物足りないと感じた点も書いておきます。

やはり63分という上映時間は少し短かく感じました。後半のパートはもう少しリッチにできなかったかなあ。同じ上田監督の『カメラを止めるな!』でも前半が30分で後半が60分以上あるので、なんとなく映画ならそのくらいのボリュームが欲しいと個人的には思います。

上映時間を短くしたのは配給元である東宝の意向もあるでしょう。それはコスパをよくするためです。アニメの制作費用は少なく済みますし、60分に収めれば映画館で1日に上映できる回数が通常作品の2倍に増えます。そんな不利な条件でもこのような良作を作り上げてしまった今では、東宝さんにはもう少しクリエイターを信じて予算を割いて欲しかった所です。

100ワニがSNSで大炎上してしまったのは事実だし、その後の書籍化やグッズ展開やコンセプトカフェやその他もろもろはコロナ禍の影響もありことごとく失墜していきました。そして今や世紀の大しくじり案件として確立してしまった当該コンテンツで映画が興行的に成功するなんて、まず起こり得ないと東宝株式会社のマーケティング部門が分析したであろうことは明らかです。

「失敗するとわかってるならやめればいい」と思うかもしれませんが、しかし配給元としても、ここまで話が大きくなってしまった以上、もう走り出したプロジェクトを止めることは出来ませんでした。もしSNSでの批判を受けて制作撤回なんてしてしまったら、それこそ作者の非を認めることになってしまうかもしれません。そして世間の声を受けて作品制作を止めたという前例を作ってしまったら、拡大解釈されて他の作品やアーティストの表現の自由を奪うことにも繋がりかねません。

、、、と公開前まで考えていたのですが、今回できあがった映画を観て、実態はすこし違ったのかなと思い直しました。

100ワニ映画化の企画が頓挫しなかった本当の理由。それは、他ならぬ上田監督本人が、上田監督ご自身が提出した企画書に基づく良い作品を作りたいと思って行動したからではないでしょうか。

推測するに、企画書を提出した当初は100ワニブームがじわじわ来てるか、もしくは大ブームの真っ只中で東宝もノリノリだったと思います。でなければあんなに豪華な声優キャスティングになりません。しかしTwitterで最終回を迎えた直後の大炎上と大失墜。東宝の中の人もバカじゃないので、企画中止の話が持ち上がったのは一度や二度ではないと思います。劇場公開はやめてネット配信にしようとか。もしかしたら、ついには「当初どおりの予算は出せない。プロジェクトを止めることを検討してくれ」という三行半が突きつけられたこともあったんじゃないかな。

でも企画書を書いて、すでに動き出していた上田監督や制作チームの連中が予算縮小されてもいいから、きっといいものにするから作りましょう。そういう風に誠実に頑張り続けた舞台裏があってこそなんじゃないかなと思いました。

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最後のセクションはTwitterだけ見て、ほぼ推測だけで書いてしまいました。苦笑。

でも、なんか、そういう「クリエイター魂」みたいなものに訴えかけるバイブスがある作品でした。ここらへんは上田監督の他の作品にも通じるところだと思います。

途中の「タイトルが変更された意味」までは基本的に観察された事実(映画本編)に基づいて考察しているので、ある程度は参考になると思います。

この文章が100ワニを観た人の振り返りや、もしかしたらこれから観にいくか決める人の判断材料として、少しでもお役に立てたなら幸いです。

了。

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