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「ミレイユの右へ」08


第八回 イット・ウォント・ビー・ロング


 その夜、寝床に入ったままヘッドフォンをして絢のテープを聞いてみた。
 B面には他の曲も入っていたが、A面は書き込まれた題名の一曲だけが五回ほど繰り返し録音されていた。
 ……そして甘いセレモニー。
 最後のフレーズが妙に耳に残る。何でこんなに繰り返し?
 何だか妙だ。妙なのだが……それが何かは分からない。
 やがて眠気が訪れて、久埜は曲を流したままで寝入ってしまった。

 数日が経って、そろそろテープを絢に返しておかないといけないなと思った。
 催促をされたわけではないのだが、借り物をしているというのはやはり落ち着かないものだ。性分なのかもしれないが、物を借りっぱなしと言うのは特に嫌いだった。
 そう思って、自分の部屋でテープの在処を探した。……が、見つからない。
「あれぇ?」
 炬燵机の天板の上に置いておいたはずなのだが、それが無かった。
 どこかへ仕舞い込むような物ではないので、さては誰かが持って行ったな、とピンときた。
 耕がダビング機能付きのラジカセを持っていた。ダビングをする分にはいいのだが、もしも上書きされる方に使われると、内容が消えてしまう。
「お兄ちゃん、入るわよ」
 二階端の一番狭い部屋のドアを開けると、ノートと参考書を広げていた耕が、ジャージ姿で振り返った。オープンエアタイプのヘッドフォンをしている。
「何だ?」
「あたしの部屋にあったカセットテープ知らない?」
「ああ……今聞いている。お前こそ、俺のCD持って行ったまま……」
「黙って持って行かんでよ。借り物なんやけ」
「借り物? だから高級テープやったんか。……いや、このラジカセ、メタル再生機能があるんやけど、全然使わないんで、一度聞いてみたかったんや」
「とにかく返して」
「分かったって……。けど、お前もずっと聞くならダビングしとこうよ」
 なるほど、それはいいかもしれない。
「なら、お願い」
「それと、あのCD気に入ったのなら、それもダビングしようか?」
 耕の持っているCDは、邦楽ロック全盛の折、些か影が薄くなってしまった格好のザ・ビートルズのものだった。
 しかし、耕はいつの時代にも必ずいる熱狂的なファンの一人なのである。
 CDはその二枚目のアルバム、「ウィズ・ザ・ビートルズ」だ。
 久埜にしてみると、時代感覚としか言いようがないが、ビートルズはどうももう古典の部類のような気がしていた。時々聞くのならいいかもしれないが……。
「どの曲が良かった?」
 ハタと困ったが、しかし……強いて言えば、
「イット・ウォント・ビー・ロング?」
 初っぱなの曲である。
 耕は拳を握りしめて、唸り声を上げた。
「渋い! 渋いぜ妹! 名曲は時代を超えるんだ」
 お勧めと一致したのか、それで機嫌を良くした耕は、ダビングするテープも提供してくれた。

 翌日、休み時間に教室でテープを絢に返した。
「又借りしてた。ありがとうね」
「……いえ」
 何だか返してもらう方が気恥ずかしそうな、変な反応だったが、
「で、兄貴のCDのダビング物なんだけど、良かったら聞く?」
 と、「ウィズ・ザ・ビートルズ」の複製を取り出して見せた。
「ビートルズ?」
「聞かないよね」
 今時、と言う言葉は飲み込んだ。
「うん。でも、聞いてみるよ。アルバム全曲入りね。……久埜のお勧めは?」
「え? ……えーと、一応……イット・ウォント・ビー・ロング?」
 それしかタイトルを正確に憶えている曲はなかった。プリーズ・ミスターポストマンは好印象だったがうろ覚えで、プリーズを繰り返しそうで、つい避けてしまった。
「へえ?」
 何だか、ふいに絢の瞳が期待に輝いたような気がした。

 更にその翌日。
「ビートルズ、舐めてました。とても良かった」
 と、絢がらしくもなく堰を切ったように話しかけてきた。
「そ、そう?」
 あの良く聞いているというアイドル曲とはえらく違うのに、そんなにお気に召すとは思わなかった。
「やっぱり、名曲は時代を超えるんだわ」
「……はあ」
 耕と同じようなことを言い出した。思わぬところで信者を増やしてしまったようで、しかもこれは更に妙な橋渡しをしてしまったような気もする。
「お兄さん、他のCDも持ってるの?」
「あると思う」
「借りれないかな?」
 ……それはもう、大喜びで有りっ丈を貸し出すに決まっていたが、
「訊いてみるね」
 と、その場では無難な返事をしておいた。
 授業が始まって、その件は一旦沙汰止みになったが、授業中に、
 そう言えば、イット・ウォント・ビー・ロングって訳すと何だっけ、と考え出した。
 ……それは、そんなに長くない?
 ……もう少し? もうすぐ? ……Till I belong to you……君に会える?



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