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「ミレイユの右へ」03

第三回 家族


 せっかくの日曜日だったが、大半は結局店番だけで費やしてしまった。
 午後八時に店を閉め、灰皿を片付けて溜まっていた煙草の吸い殻を念入りに処分する。そして洗い物をして、ようやく夕飯である。
 富美が買ってきたブリのアラと大根を煮たり、ウインナーを炒めたり、味噌汁を湧かしたりし、瞬く間におかずを作ってしまう。
 男どもの嗜好が優先されるため、どうしてもカロリーと塩分多めになるのが、また久埜の辟易とするところでもある。
 久埜は食器と漬け物の類いを用意して居間で待っていたが、いつもならとっくにやって来て、テレビのチャンネル争いをしているはずの上の兄たちが姿を現さなかった。
「兄ちゃん、ご飯よ!」
 二階へ続く階段の下から呼ばわったが、
「お、おう」と、変に煮え切らない感じの返事があった。
 耳を澄ますと、ゲーム機のものらしき電子音楽が微かに聞こえた。
 さては……と思って覗きに行くと、長男の昭の部屋に、次男の晴彦の後ろ姿もあって、巨体が二人並んで座り、十四インチのテレビ画面を食い入るように見つめていた。
 着替えもせずに、Tシャツとトランクスだけの姿である。
 野球部の練習が早く終わったとかで、昼過ぎには帰って来ていたはずなのだが、あれからずっとこれをやっていたのか。
「聞こえてる?」
「ちょ、ちょっと待て、今、いいところだから」
「これ、この間出たばっかりのドラゴン何とかでしょ?」
「そうだ。やっと借りられた」
「学校じゃ、これの話ばっかりでなあ。やってないと、どうも皆についていけん」
「つまり、まあ、仕方なく?」
「いいわねえ。野球とゲーム三昧?」
「三昧って……」
「で、あたしだけ、店番三昧?」
 プラグを抜かれるのを直感したのか、二人が慌てだした。この頃はゲーム機のセーブ機能が未発達で、再開用のパスワードを何かにメモしておかないと、それまでの経過がチャラになってしまうという仕様が結構あったのだ。
 が、久埜はそのままそっぽを向くと、凄い勢いで階段を降りていった。
「あー」
「……激怒しとるな」
 二人は顔を見合わせ、そそくさとパスワードを紙切れに書き写すと、ジャージに逞しい下半身をねじ込んで、一階へと降りていった。

 不穏な空気の漂う中、四人が座卓を囲んで黙々と料理を口に運んでいると、店の入り口の方で人の気配がしだした。
 同時に、軽トラックを誰かが車庫入れしている音もする。
「ようやく帰って来たようだね」
 富美が口の端を歪めて言った。
 既にビールの数の減り方に気づいていて、全てを察しているのに違いない。そう久埜は思った。
 引き戸の開け閉めされる音と共に、
「あそこでシャッフルリードさせるき、挟まれるんやろうが!」と、文太の濁声が響いた。
「まあまあ」と、サブコーチをしている飯田さんという、古本屋の店主の声。
「何事も経験やき」
 ……これは負けて帰って来たな、と久埜は直感した。
 薄汚れたユニフォーム姿の耕は、無言で風呂場の方へ向かっていく。
「……漬け置きせんと、泥が落ちんき、ちゃんと盥にいれとくんよ」と、お茶漬けを啜りながら富美。
「……分かった」
「……まあ、もうちょっと飲んで行きない。こっち座らんね」と、マイペースで文太は座卓に割り込んできたが、飯田さんは富美と久埜の刺すような視線で一歩も動けず、
「あ、明日の朝イチで買い付けに行かんといけん。今日はもう帰るわ」
「古本の朝市なんち、聞いたこと無いが」
「じゃあ、失礼しますわ」
 そう言って、そそくさと姿を消した。
 ……微妙な沈黙が場を支配した。
「……な、なんか? なんか言いたいことでもあるんか?」と、堪らずに文太。
「言いたいこと?」富美が白々と言った。
「道楽も、ほどほどにしとかんといけんのじゃあありませんかね?」
「道楽ちゃあなんか。野球はスポーツぞ」
「持ち出したビールで、今日の上がりが消えとりますがね」
「そんなことあるかい」
「計算してみますか?」
 睨み合いがあって、子供らは鯱張っていたが、富美が急に萎んだような溜め息をついて、何となく緊張がほどけた。
「お金のことやないんよ……」
「なら、なんか?」
 最初から持ってきていたビールの栓を、自分の百円ライターの角で器用に抜いて、文太は向き直った。
「一番割を食うとるのは、久埜やないね」
「……あ?」
「あんた達が好きなことをやればやるほど、その分店番の時間が増えるんやが」
「……まあ、それは」
 文太は、握っていたコップを空のまま置いて、
「確かに、ちょっとは思うとった」
 ちょっとかよ、と久埜はカチンときた。
「うんまあ、俺たちも確かに、ちょっとはいかんなあと思うとった」と、昭が言った。
「だからまあ、これからはちゃんと久埜が、好きなことが出来るよう交代で手伝うよ」
 皆でしおらしい事を口にし始めたのだが、久埜は急に戸惑いを感じた。
 ……あれっ? あたしの好きな事って一体何だったっけ?

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