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「ミレイユの右へ」05
第五回 絢
「絢ちゃんは、家でお料理するん?」
その日の帰りは、清家絢《せいけ あや》と二人連れとなった。早紀とはバレーボールの試合があるとかで、そっち方面の友達が誘いに来て、校門で別れていた。
「うーん、時々」
「お母さんに言われて?」
「そうでもないよ。いいから勉強してろって言われる」
何分、成績優秀の絢はそのお母さんの自慢の娘である。
五年生の時までは学級委員長ばかりやってきたが、今は塾通いを始めて時間が無いという。なので、六年生では立候補せず、すっかりお任せだった幼馴染み達がどよめいていたのを久埜は憶えていた。
学業優秀は文句のつけようも無いところだったが、更にはその美貌も有名だった。時々、久埜でさえ訳の分からない嫉妬心が芽生えるほど、清家絢はどんどん綺麗になってきた。
胸の内に、何かまたモヤモヤが湧きつつあったが、歩くうちに大型バスや路面電車の行き交う大通りが見えてきた。角を折れ、しばらく道なりに進む。
車の騒音が会話の邪魔になった。
電車の架線が空を切り刻み、公害の最盛期ほどではないが、まだ薄濁った空が天頂にあった。
横断歩道の無い場所で、行き交う車がふいに途切れた。
「今!」絢が言った。
「渡ろう!」
久埜達以外にも、勘付いた人々が動き出す。
何となく競争になって、二人は走り出した。
「あははは」
何がおかしいのか、不意に絢が笑った。
髪をなびかせて、息を切らして走る絢は、何というのか……テレビのコマーシャルにでも出てきそうな感じだ。まるでモデル。
全然実感は無いけど、よく言われるアレを想起させた。
そうそう、……「青春」……っぽいと久埜は思った。
……中学生になって制服を着たら、もっとキマるんだろうな。
やがて、商店街に入り、久埜の家が近づいてくる。
途中で次男の晴彦とすれ違ったが、御用聞きでも頼まれたのか、一言交わしただけだった。
店の中には数人の客がいたが、寡黙に飲む面子で久埜には干渉してこない。
先に帰っていた耕が、無表情で突っ立ち店番をしていた。
「ただいま」
「お帰り」
が、絢の姿を認めた途端、明らかに何か動揺した気配がした。
……ははーん。 と、久埜はぴんと来たが、
高校生の晴彦にはそういう反応は無く、一つ年上の中学生男子だとこういうことになるということは、高校生と小学生カップルは何故か無理で、中学生と小学生はあり得るということか、などと妙に冷静な考えが頭を巡った。
一体、どこに谷間があるのか。
「こんにちは」絢が会釈すると、耕が何かむにゃむにゃと返事をしていたようだったが、久埜はそれには興味は無かった。
部屋に荷物を置いて、とって返し、
「ちょっと、絢ちゃんちに行ってくる」と、耕に告げた。
「お、おう」
もともと、絢の家に行くのは約束していたことだった。ずっと以前からのことだったが、絢は少女漫画の雑誌を定期購読していたので、それを見せてもらっていたのだ。
その雑誌は、もともとは週刊誌だったのだが、
「月二回の発刊になっちゃったのよね」
「月刊になっちゃうのかなあ」
「もともと月刊の別冊あるし」
部数減。人気連載が終了したことも一因だろうが、肝心の漫画作品にも元気が無いような気もした。
日本は今不況だし、とも思う。そう言えば、高炉が減ったとかで、街にもじわじわと活気が削がれているような影が見えている。
店の売り上げも……。……どうなんだろう?
「いやいやいや」
それは今考えても仕方がないと思う。野球に熱を入れられる余裕があるうちは、きっと大丈夫なんだろうし。
商業地域の外れの辺り、児童公園とか町医者の医院の並ぶ通りに絢の家がある。
清家呉服店。
漆喰の塗られたような町屋風の外装に、重厚な木製の看板が掲げられていた。
店の構えとは別に住居用の玄関が、回り込んだ奥にあった。
敷地は意外と広いようで、店の奥側から見える作り込まれた庭があるはずだった。
「お邪魔します」
勝手知ったる場所だったが、靴を脱ぎながら一応そう声を掛けると、
「あら、いらっしゃい」と、意外にもすぐに返事があった。
いつもは大抵、誰もいないのである。
絢の母親で、すぐに割烹着姿で奥から出てきた。
面識は無論あるが、久しぶりだった。
「こんにちは」
「ちょうどいいところへ来たわね」
何やら、甘い良い匂いが母親の周囲に一緒に付いてきた。
「ああ、りんごを煮たのね」と絢。
「りんご?」
「りんごを砂糖で炊くだけ」
「千秋を沢山送ってきたのよ」
「せんしゅう?」
「りんごの品種」
久埜は思い出した。
富美が、何の時だったか言っていた。
「絢ちゃんのお母さんは、元々青森の人だからねえ。絢ちゃんもやっぱり北国の血筋で色が白いわあ」
北九州弁でみんな話しているし、全然意識をしていなかったのですっかり忘れていたが、そう考えるとやはり絢はちょっと異質なのか。
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