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「ミレイユの右へ」11

第11回 コーラ



 四人で薄暗い駄菓子屋の中に入っていく。
 各々が幾度となく通った場所であったが、いつの間にか奥行きのサイズ感が変わっており、酷く狭苦しく感じるようになっていた。
 「蕗おばちゃん」は、今度はいつものような様子で床を手箒で掃いていた。
「おや、みんなで来るのは久しぶりだね」
「まあ、もう、さすがにあんまりここには来ないなあ」
 四人以外に、客はいなかった。
 学校は休みなのに……。久埜が低学年だった頃には、小さい子らでごった返していたような気がする。
 ……そういえば、徐々に子供が少なくなってきているという話も聞く。
 それを蕗おばちゃんに話すと、
「久埜ちゃんのお母さんや私達が学校に通った頃は、一学年で十クラスなんてザラだったからねえ。特に北九州は凄かったよ」
「へえ」
「まあ、あれは戦争の後のベビーブームなので、その時限りだなあ。その後は急にガクンと減って……その後もどんどん減ってる気がするね」
「子供頼みの駄菓子屋はピンチ?」
「大仰に言えば、存亡の危機が迫っている……のかもね」
「だがそこに救いの手が!」と、横手に立っていた耕が茶々を入れた。
「世紀末駄菓子屋伝説!」と晴彦。
「ラオウが出たぞ」
「ラオウではない! 拳王と呼べ!」
 筋肉質の晴彦が眉をしかめて、それっぽいポーズを決めると妙に雰囲気が出る。
 何かのツボに嵌まったのか、絢が珍しく吹き出して笑った。
「……全くマンガの読み過ぎだよ。大体、あの『あべしっ』とか『ひでぶっ』ってのは何なんだろうねえ。日本語じゃないよ全く」
 久埜と絢と耕は堪らなくなって、店の外へ出た。
「……自分だって、随分細かく読んでるんじゃん」
 そのマンガの連載されている雑誌は、本屋に毎週山のように積まれていた。
 久埜の住む商店街でも相当数が消費されており、食堂や喫茶店で客の持ち込んだそれが読み捨てにされて置き去りになっていた。一週遅れならどこかから確実に手に入ったので、実は買ったことがない。
 対比して少女向けの雑誌が細っていく感じは気にくわなかったが、さすがにこの時期の少年マンガは勢いがあるだけに面白く、久埜も嫌いではなかった。
「コーラ四本ね」
 店の中にある小さなショーケース式の冷蔵庫から、ドリンク剤ほどの大きさのコーラを取り出して、晴彦はお金を払っているようだった。
 それを両手に二本づつ摘まんで、表に出てきた。
 店の前には自販機が一台と、その清涼飲料会社のロゴの入ったベンチが置かれており、久埜と絢はそれに座っている。
 この小さなコーラは駄菓子系とでも言うのか、一本数十円で売られていて、ちゃんと炭酸が入っていたが、香料は薄く、子供が暫しコーラの風味で大人の気分を味わえるといったものだった。
「あ、これ栓抜きがいるんだった」
 もはや缶入り飲料全盛で、店の前の自販機も入れ替えられていて栓抜きは本体に付いていない。
 晴彦は壜を久埜に手渡して栓抜きを借りに戻ったが、
「おっとっと」
 一個が手からはみ出て滑り落ちそうになった。慌てて掴まえようとしたが失敗。
 座っている久埜の膝先でバウンドしたのを、絢が地面すれすれで片手キャッチした。
「お見事」
「あんたはお侍か」
 笑いながら絢が自慢げに顔の前に壜を持って行ったとき、唐突に乾いた音がしてそれが破裂した。
「わっ!」
 久埜にも飛沫がかかって目が開けられなかったが、袖で拭って無理矢理隣を見た。
「絢、大丈夫?」
 が、絢は顔を両手で覆って声も出さない。
 指の間から、怖ろしく鮮烈に赤い血が手首まで伝って垂れていた。
「どうした!」
 店の中から、晴彦と蕗おばさんが飛び出てきた。
「……ちょっと、絢ちゃん、見せて」蕗おばさんは屈み込みながら、
「あんたら何か押さえるもの……奥にタオルがあるから持ってきて」
 晴彦はとって返そうとしたが、突っ立って呆然としている耕に気づくと、その背中をどやしつけて、そのまま引っ張っていった。
「……ああ、目は大丈夫。目の上が切れているけど。大丈夫、大丈夫やけんね」
 蕗おばさんは、そう何度も言い聞かせた。
「久埜ちゃん。このままそこの伊々田外科まで連れて行くから、絢ちゃんの家へ行って知らせて来て」
「え? あたしが?」
「ぼんやりしないで」蕗おばちゃんは言葉を切った。
「もう、子供じゃないんやから」
 ――何だか、はっと我に返ったような気がした。
 晴彦達が持ってきたタオルで目の上をぐるぐる巻きにされ、付き添われてようやく立ち上がった絢を視界の隅に見ながら、久埜は全速力で走った。
 公園を抜け、妙に塀の高い路地を走る。
 何だか世界が斜めに傾いでいるように感じる。幾ら走っても息が切れなかった。
 何か横から飛び出してきても構うものか。
「どうした?」
「何かあったのか?」
 コーラの飛沫で染みだらけの姿で、泣きながら走っている久埜に声を掛けてきた者もあったが、全く足を止めなかった。
 目指す先を見つけ、久埜はそのまま清家呉服店の店先に飛び込んで行った。




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