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とりあえず。(文章が書けないときのあれこれ)

ここ最近、noteを更新できていなかった。
それどころか、文章含めあらゆる創作活動から遠のいていた。

その理由ははっきりしている。
書いていないからであり、作っていないからだ。

何を当たり前のことを、と思うかもしれない。
だが、これは存外大事な視点なのだと、つい最近気づいた。

***

気圧の乱高下がひどいせいか、このところ体の調子が良くない。
かといって、家にいて、6畳の部屋で転がっていると、よくない考えばかりに足を取られて、心の調子が悪くなる。
だからどこかに行こうと思うのだが、考えれば考えるほど、どこにいけば良いのかわからなくなる。

上野に行くか?
いや、別に今日行かなくてもいいだろう。
神保町に行くか?
日曜日だ、書店はほとんど開いてない。
じゃあどこに行こう?
どこも魅力的ではない…

だが、問題は、どこもかしこも魅力的ではないことではないのだ。
ソファの上であれこれ考えては、どこにも行かない理由を見つけ出し、それで満足なら良いが、結果的に嫌な気持ちになることにある。
そういう時の特効薬はただ一つ、とりあえず玄関から外に出てしまうことだ。

玄関から外に出ると、結局何かが始まる。
いつも歩く道を行くかもしれない。電車に乗り込むかもしれない。知らない道をただひたすら突き進むかもしれない。
いずれにせよ、ソファの上では止まっていた時間が動き出す。

もちろん、ごろごろしているのは悪だなどというつもりはない。
ごろごろしたい時もあるし、気だるく過ごさないと行けない1日だってある。
だが、答えが見つからない時には、外に出てみるのも一つの手だ。
少なくとも、私にとっては、という話ではあるが。

***

とりあえず玄関から出る。
それは、とりあえずスタート地点に身を置くということでもある。
外にいなければ、外を歩くことができない。
文章も書き始めなければ、書くことはできない。
当たり前のことだが、忘れそうになる。

おそらく、私のような頭でっかちなタイプは、あれこれとぐだぐだと考えているほうが楽なのだろう。
書く内容がない。思いつかなくもないが、書いても意味がない。誰が読むんだ?
などと、様々な理由をこさえては、なにもしない。
何もしなかったら何もしなかったで、居心地が悪い。
居心地が悪くなるなら、とりあえずパソコンを開くこと、とりあえず一文字でもいいから打ち込んでみればよい。
書かなければ書かないほど、一文字のハードルは高くなるが、書き始めるのは実は難しいことではない。

というわけで、こんな文章を書いている次第である。

よし、書き物を再開しよう。

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