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孤独のベトフェス①〜過去の扉〜

「ベトナムフェスティバルに行こうよ」
私は友人数人に声をかけた。
誰も誘いに乗ってはくれなかった。
かくして、孤独のベトナムフェスティバルがスタートした。

ベトナムフェスティバルは、毎年行われている日越友好のイベントである。
私はこのフェスティバルに、かれこれ2018年くらいから通っている。私にとってベトナムが心の故郷のような場所になっていたからだ。ベトナムに行ける年も行けない年もベトナムフェスは開かれていて、そこに行けばベトナム語が飛び交い、ベトナム料理の香りが漂ってくる。それがたまらなかった。

なぜ私にとってベトナムがそんなにも思い出深い土地になったのか、理由は判然としない。
ありきたりで納得しやすい理由を私は持ち合わせていない。つまり、留学していたとか、住んでいたとか、そういったことは私には当てはまらない。今までベトナムには三度訪れたが、滞在期間だって、その三回合わせても一ヶ月に満たないだろう。友人がいるわけでもない。ベトナム語もさほど話せない。ただただ、「なんか好き」なのである。
だけど人間は理由を求めたがるもので、私が「ベトナムが好き」というと、必ず「どうして?」と聞かれる。一時期私は、面倒だから、「私はベトナム人に似ているらしいので」と答えていた。

「お前はベトナム人に似ている」

2016年の2月。ベトナムでは旧正月のテトがひと段落ついた頃。私は友人と二人で初めてベトナムへ行った。東南アジアに行くのは初めてだった。
なぜベトナムを選んだのか理由は覚えていない。当時はベトナム旅行というものが今ほどポピュラーではなく、奇を衒いたかったのは一つの理由かもしれない。東南アジアに行くというのに、タイに行かず、アンコールワットにもいかず、いきなりベトナムに行く、という行為がちょっぴり斜に構えるのが好きな私にとってはちょうど良かった。

最初に降り立ったのはハノイ。まだ涼しい季節である。常に靄がかかり、街はなんとなくグレーだった。けたたましいバイクの音が鳴り、それでいて街にはなんとなくゆるくて気だるい時間が流れている。そのときにはもう、私はハノイが大好きだったのだと思う。
その時のことだ。旧市街のホテルで、フロントのお兄さんが私の当時羽織っていた黒いコートを見て、
「クールなコートだ」と褒め、そして、「お前はベトナム人に似ている」と付け加えた。褒められているのか褒められていないのかよくわからないのだが、なんとなく嬉しかったのを覚えている。

泊まっていたホテルのそばにあるハノイ大聖堂。行かないうちに姿が様変わりしていると聞き、ちょっぴり怖い。


その後、ホーチミン市にいくと、一転して天気は快晴、気温は三十度越えが続く。まだ何も知らず、若かった私たちは、日本語が堪能な観光用バイクタクシーのおじさんに絡まれ、街を案内してもらうことにした。金額はかさんだが、おじさんは楽しい人だし、最後には揚げ春巻きの食べ方をならったりしたので、今思えば、トントンだ。そのおじさんも、私にこう言った。
「ベトナム人に似ていますね」
ハノイのホテルでの一件を忘れていた私は、冗談だろうと、笑って誤魔化した。するとおじさんは私の方を見て、同じ言葉を英語で繰り返す。
なぜそんなに強調したかったのか。そんなに伝えたかったのか。本当にベトナム人(あるいは戦後国外に移住した2世くらい)の可能性を探っていたのか。それとも褒め言葉の一種を伝えようとしていたのか。いずれにせよ、私の記憶に「自分はベトナム人に似ているのかもしれない」ということが刻まれ、ちょっとした嬉しさとともにちょっとした呪縛ももたらした。

バイタクおじさんに連れて行ってもらったサイゴン川沿い。自分では行かなかっただろう。


これが、「ベトナム人に似ているからベトナムが好きだ」と言い始めた所以だ。長々と話しておいて恐縮だが、私のとって本当はそんなことどうでも良かったのである。私は「なんかベトナムが好き」なのだ。

御利益デリバリー

開催初日の13時ごろ、私は代々木公園にたどり着いた。
会場にはここ数年は見かけることも少なくなったくらいの大勢の人がいて、露店も会場いっぱいに立っている。入り口には海外送金の会社のブースがあって、民族衣装で写真撮影ができるようになっていた。海外送金、というのは、日本で働く外国人が働いて得た金を家族などに仕送りするためのもので、ベトナムフェスに限らず、いろいろな国際交流フェスに出店している。この店は「フェスに来たぞ」と思う瞬間を演出してくれている。

奥に入るといよいよ食べ物ブースである。今回はどうやら食品や物産品などを取り扱う店も多くなったようだが(コロナ関係で飲食店以外の需要も増えたのかもしれない)、その分、屋台はどこも長蛇の行列だった。
私はひとまず列に並ぶのを諦め、「BAR」と書かれたブースに向かった。まずは酒だ。酒がはじめだ。看板を見ると、「サイゴンゴールド」「サイゴンチル」という言葉がみえる。「サイゴン」はベトナム南部ホーチミン市の古い名前だが、バーでこの言葉を見たら、ベトナム南部の名物ビール「ビア・サイゴン」のことだ。ビア・サイゴンは飲んだことがあったが、ゴールドとチルはよく知らない。どうやら今回初上陸らしい。私はゴールドを購入した。
プシュっと缶を開け、日差しに乾杯。空きっ腹にゴールドを注ぐ。バランスが取れた、リッチな味わいだ。こうなってくると何か食いたくなる。
だがあたりを見回しても、どこもかしこも混んでいる。どうしたものか、と思っていると遠くの方で太鼓の音が聞こえる。仕方がない。太鼓に腹を満たしてもらおう。と訳のわからないことを考えながら、私は音の出どころを探った。

まさにゴールド。ちなみにチルの方は飲み損なった。

太鼓が聞こえてきたのは飲食ブースの裏にある航空会社のブースからだった。近くに行くと人だかりができていた。野次馬根性丸出しで人だかりの中を覗き込むと、獅子舞をしていた。幸先がいい。

僧侶と獅子の楽しい舞である。


中国風の獅子と僧侶の巨大な面をつけた男性がじゃれあっている。僧侶の面はハノイの街で売っているのを見たことがあった。ハロウィーンのカボチャくらいの大きさで、ちょっと不気味な表情をしているから、一体何に使うのだろうと、数年間疑問だった。それがここにきて明らかになった。獅子舞用なのだ。

ハノイで出会った不気味な仮面。夜だったので心臓が止まった。


僧侶は獅子を寝かしつけたり、はたまたちょっかいを出して挑発したりしている。獅子は時に体を持ち上げ、時にはぐったりして、僧侶のされるがままである。
そんなコミカルな場面を彩るのは太鼓とドラとシンバルだ。旋律を司る楽器はいないのに、リズム楽器だけで聞き応えがある。そして彼らの周りには、何かのプロモーションなのか、遊ぶ獅子と僧侶の間を縫って、写真撮影をするスーツの男性がいる。この男、一通り写真を撮ると徐に楽隊の方へ向かい、突然太鼓を叩き始めるのだから、只者ではない。
舞が終盤に差し掛かると、僧侶はブースの屋根にお札を貼り、獅子に向かって、
「さあ来いよ、とってみろよ」というような仕草を見せる。
獅子は初めは興味なさげなのだが、太鼓の盛り上がりととも、二足で立ち上がり、人二人分の高さまで首を持ち上げ、ひょいっとお札をとって見せた。
拍手が巻き起こる。別のお札でも何度か同じことをやり、太鼓が最高潮の盛り上がりに達すると、大団円。航空会社ブースのお偉方がやってきて、看板を獅子や僧侶や楽団と囲み、記念撮影が始まった。

この獅子舞、てっきり航空会社のプロモーション、あるいは「客寄せ獅子舞」かと思っていたが、その後別の店にもやってきていた。どうやら、フェス中を練り歩き、フェス中の店で獅子舞をやることで、ご利益をくれているようだ。その様子は何やら、実際の現地のお祭りのようで、なんだか痛快だった。

未知を食らう。

獅子舞を見ていたらお腹が空いてしまった。
だが初日はフォーやバインミーを食うつもりはない。せっかく来たんだ。ありがちなものではなく、何か、面白いものが食べたい。
私が初めてベトナムフェスに来た時、食べ物はフォーやバインミーなどが多く、味もいわゆる祭りの露店の感じでパッとしなかった。ベトナムフェスは雰囲気を楽しむもの。そう開き直ってきたが、去年行った時に印象が変わった。コロナ禍でベトナムに行けない人たちの思いがついに爆発したのか、味が格段に良くなり、食べ物の種類も豊富になって、本当に旅に出ている気分にしてくれた。
今回もきっと期待できるに違いない、と人混みをかきわけ、かきわけ、会場を歩く。すると、みるからにうまそうな煙がもうもうと立ち上がる店があった。しかも、それでいて、行列は耐えられる程度だ。
メニューを見ると、バインミー売り切れの文字。大丈夫。私の第一志望は御社ではない。隣の文字を見る。謎の汁なし麺料理ミークアン、ベトナム風ハンバーガーを歌うソイチン、豚肉を焼いた料理ヘオヌンなど、食べたことのない料理のオンパレード。そうだ、そうこなくっちゃ。私は列に並んだ。
さて、どれにしようか。明らかにうまそうな煙が上がっている原因は焼き豚肉ヘオヌンだ。これは外せない。だが、ソイチンとミークアンも気になる。悩ましい。悩ましすぎる。悶々としていると、店の人のTシャツに目が行った。
Do you know Mi Quan?
(ミークアンを知ってますか?)
私の番がやってきた。
「ヘオヌンとミークアンください」
店が推している料理は食え。永遠の掟である。

ヘオヌンとミークアン

ヘオヌンとミークアン。肉がのった平たい紙皿と、麺と具で一杯になったお椀。そして飲みかけのビール。単純計算で腕が3本必要な品数を必死で両手に抱え込み、立ち食いスペースのテーブルに並べる。うまそうだ。
ビールを一口飲み、まずはヘオヌンからだ。焼き立てがうまいに違いないと踏んだ。ベトナム料理によくついているなます、香草と一緒に口に運ぶ。ジューシーだ。そしてエキゾチックな香りがする。これはうまい。うまい。
次はミークアンだ。説明書きによれば汁なし麺とのことだが、お椀にはちょっとした汁が溜まっている。麺は平たい米麺で、一見すると広めのフォーである。具にはうずらの卵、もやし、煎餅が載っている。
麺を口に運ぶ。ココナッツの香りと程よい辛さ、それに寄り添うようなふにっとした柔らかさの麺。滑らかな口当たりが何だかクセになる。調べてみるとダナンやホイアンなど、ヴェトナム中部の料理らしい。買った店の名前はファイフォ。そういえば、いわゆる仏印が出てくる、映画で観た『浮雲』でホイアンは「ヘイホ」と呼ばれていた。

一皿目(二皿食べたが)で既にお腹いっぱいになってしまった私は、少し歩くことにした。だがその前にせっかくなのでバーに行ってネップモイを買った。ネップモイというのはベトナム式の焼酎のようなもので独特の甘い香りが特徴だ。

裏に酔いしれる

ほろ酔い気分で街、いやフェス会場を彷徨う。すると、なにやら音楽が聞こえる。どうやら会場の外、海外送金のブースのさらに向こう側らしい。
吸い寄せられるように音の鳴る方へ向かうと、人だかりができていた。真ん中からは、コンコンという小気味良い音が聞こえる。どうやら音楽に合わせてリズムを刻んでいるようだ。
覗き込んでみると、二組に分かれた揃いのTシャツの若者が地べたに向かい合って座っている。その間には竹の棒が渡されており、それぞれ二本ずつ竹の端を手にしている。コンコンというのはこの二本の竹を合わせたり、地面に当てたりしている音だった。
しばらく眺めていると、父親と子供と思しき一組がやってきて、竹に挟まれないようにしながら、ステップを踏んで、乗り越えていった。

だめだ、説明がうまくいかない。百聞は一見にしかず。これである。

一瞬やってみようかと思ったが、ネップモイも回っているし、2人一組で参加するもののようで、孤独のベトナムフェス遂行中の私は、観客に徹することにした。
難易度は比較的緩く、竹を持つ人、乗り越える人双方和やかな形で進む。曲も緩いベトナム歌謡。昼下がりの木陰の穏やかな時間が過ぎていく。私はネップモイを一口飲み、賑やかな方に戻った。

向こうから音楽が聞こえる。どうやら弾き語りをしているらしい。ベトナムの古式ゆかしい建物を模したブースの前に女性がマイクを持って立ち、隣で若い男性がギターを弾いている。女性は叙情ある歌声を響かせ、周りにはふと足を止めた人たち(私も含めて)が集まっている。
ネップモイが回ってきたからか、ふと涙が出そうになる。ベトナムで感じたゆらりとした風が吹く。毎年のように訪れていた「この国」はいつのまにか遠くなってしまった…
まずい。正体をなくしてきたのか。ふと目を右にそらすと目に入ってきたのは、訳の分からない、目つきの悪い、真っ赤な恐竜の着ぐるみ。曲に合わせて生気のない首を振り回している。思わずニヤリとして、曲の世界に戻ろうと左に目をやると、今度はうつろな目の猫のキャラクターがいて、体を左右に揺らしている。笑うしかない。この混沌。この混沌がたまらない。たまらなく、よい。

混沌
カオス

ネップモイもそろそろ空だ。
私は会場に戻って何か買おう。ショートカットしようとして会場の裏に回り込むと、そこはベトナムだった。
酔っ払いすぎたわけではない。赤と緑のプラスチックの椅子が並び、ベトナム語が飛び交っている。ケータイをいじったり、果物を齧ったりしながら談笑する人たち。そこにあるのはまさにベトナムで見た光景。まるでテレポートである。
どうやらその区画のすぐ近くに果物を売るブースがあり、ドリアンやライチを売っているらしい。そもそもが日本人向けではないのか、商品名はほとんどベトナム語、客もベトナムの方ばかりだった。果物の香りも市場のような香りだから、ここはもうベトナムだ。理性が否定しても、五感はベトナムだと言っているのである。心がキュッとなって、懐かしさがモゾモゾした。

誰が否定できようか。ここは代々木ではない。

まさにベトナムフェスの裏側に酔いしれて、気持ちよく歩いていると、ベトナム語会話の授業のチラシを目にした。どうやら、17時半からベトナム語を教えてくれるらしい。ベトナム語。話せたらどんなに良いかと思いつつ、全くモノにならなかった言葉。これは参加するしかないではないか。
[つづく]

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