“約束の地”へのカウントダウンコラム②

決戦前夜。二位藤枝が秋田に終了間際のゴールで辛勝したため、明日のJ3優勝はまだ決まらない。俺たちは明日讃岐にしっかり勝ってまずは昇格を決めよう。ひとつずつ、ひとつずつ。

カウントダウンと言いつつ直前まで②が書けなかったため慌てて②を書いている。誰も見ていない文章に力を入れるのはわりと乙なものである。

「②その背中に背負うもの」

この前の代表戦とかその他の場面でもちょこちょこ目にするのが、国内組と海外組の対立を煽るような意見である。

確かに現在のJリーグは海外に出るまでの通過点的な部分もあり、海外のトップリーグと比べて選手のレベルだったりプレースピードだったりに不満や物足りなさを感じるのは理解できる。

ただ、だからと言ってその「レベルが低い」Jリーグのさらに下の方にいるJ2・J3のクラブを貶したり直接的にいらないと言ってしまうのは少し早計すぎやしないか?と思うのである。

スコットランドのハーツに移籍した食野亮太郎は今年3月の時点ではガンバU-23にいて北九州との試合にも出場しているし、中島翔哉はカターレ富山にいたこともある。

海外組も含め、日本でのしっかりとしたピラミッドが形成されて下からの突き上げがないとトップレベルの選手も増えてこない。現在、海外組が昔より遙かに増えているのはJ2・J3を含めた下部のレベルが上がっているからだと私は信じている。

このように、下からの突き上げという面だけでもJリーグの存在価値は間違いなくある。が、今回書きたい内容に関してはそれ以外の部分に価値があるということなのでさらに続けていこう。


少し話を脱線させる。2006年、ドイツワールドカップの頃私は一番海外サッカーにかぶれていた。デルピエロが好きでイタリア代表を応援していたので、準決勝のドイツ戦の鮮やかすぎるカウンターからのデルピエロゾーンは今でも鮮明に脳内再生できる。

デルピエロのためにユベントスを見ていた私は、CALCIO2002を購読していたりしたのでわりとセリエには精通していた。(はずだ。。)セリエA、ユベントス、2006と来れば何かを思い出すかもしれない。

そう、カルチョポリである。

ユベントスはセリエBに降格し、そんな中でもユーヴェの魂とも言える選手たちが残って1年でのセリエA復帰を目指した。

デルピエロを筆頭にブッフォン、ネドベド、トレゼゲ、カモラネージ…と今思えば錚錚たる面子がよく降格しても残ったものだ。

それまでイタリアサッカーと言えばサンシーロやオリンピコなんかの有名なスタジアム(デッレ・アルピに関しては悪い意味でか?)で有名なチームと有名な選手が戦うというイメージだったので、よく知らないチームがこじんまりとしたスタジアムで、それでも熱いサポーターが埋め尽くしている、そんな状況にとても驚いた。

今振り返れば、ユベントスなんか縁がないと思っていたようなチームのサポーターがユーヴェが来る!ということでお祭り感もあったのかなと思う。さながらガンバが落ちて来た時にJ2のチームが何だか浮き足立ったように。

また回顧録になりつつあるが、今回こんな話をするのはトリノについての話をしたいからだ。ユーヴェが降格した06-07シーズン、トーロは入れ違いで昇格してユーヴェと相まみえることはなかった。その前3シーズンほどトリノはセリエBにいたため、翌07-08シーズンで久しぶりにユーヴェとのトリノ・ダービーを行うことになる。

私はとても不思議だった。トリノという同じ場所に本拠地を構える両チームだが、何故こんなに世界的なメガクラブが横にあるのに敢えてトリノを応援しているのか。当時は私はまだ中学生くらいだったのでこんな愚かな疑問を持っていたが、今ならわかる。

私がアビスパ福岡ではなくギラヴァンツ北九州を応援するのと同じことだろう。その明確な理由はあまり説明できないが、ただ私には黄色い血が流れている、それだけなのだ。


さて、今回はテーマを「その背中に背負うもの」とした。

日常の中で、自分が生まれた街を、育った街を、何らかの縁でそこに住むことになった街を。どんな形でもいいが、その街の誇りとプライドをかけて戦うような場面があるだろうか?あまりない、どころかほぼ思い浮かばないと思う。

週に一度、自分の生まれ育った街を背負ってどこか別の街と戦い続けている戦士たちがいる。その戦士たちにも別々の故郷があるが、今は所属するクラブのために、その街のために戦っている。

それを後押しするために俺たちは叫ぶ。

サポーターの声はどれくらいの力を持つのかなど全くわからない。安全な場所から好きなように歌って叫んでいるだけの俺たちの声なんて大した意味は持たないだろう。

それでも、その声が選手たちの足を一歩でも二歩でもいい、前に進ませるならそれでいいのだと思う。


北九州というクラブは、これまでずっとチグハグだった。

チーム・フロント・サポーター・行政・一般市民の全てが別の方向を向いていた。チームの調子が良いときはフロントやサポーターがぐちゃぐちゃとしていて、やっとフロントの方向性やサポーターが団結して同じ方向を向き始めたという時、チームの結果が出なかった。

今年、ようやく全てがカッチリとハマった音がした。

フロントが玉井社長の下しっかりとした方向性を持って監督・コーチを連れて来た。選手たちはそれに呼応して結果を出し始めた。俺たちサポーターは少しずつ、少しずつライトなファンが増え、(近場熊本とはいえ)アウェイを埋められるようになった。俺たちがミクニで、アウェイのスタジアムで引き起こしているムーブメントはこれまで見向きもしなかったメディアの首根っこを引っ掴んでこっちを向かせた。この奇妙で心地よいうねりは、これまでスタジアムやその周辺で完結していて目に付かなかった一般市民にまで届いた。日曜夜7時からのアウェイ戦のために、500人もライブビューイングに集まった。それも小倉駅前の一番目立つ場所で。

プラス方向のスパイラルは、どんどん素晴らしいうねりを発生させていく。小倉駅で何かやってる、と立ち止まってみた人もいるだろう。選手たちのうねりに触発されるように俺たちがさらに波を立たせ、その波にしっかり乗って黄色い戦士は俺たちの家に帰って来た。

俺たちはこうして、日本代表がベルギーと戦った時に感じたようなヒリヒリとする熱さを、胃が痛くなるような戦いを、毎週毎週続けている。

どこのどんなチームにだって、その背中に背負っているものがきっとある。それが街を熱くするなら、いつかの未来に繋がる何かがあるなら、それだけで存在価値になるのではないか?と思う。

Jリーグの百年構想が始まってから、まだたった四半世紀だ。

せめて半世紀くらい見てみませんか。そこにある未来を。


「その背中に背負うもの」おわり

→「池元友樹と云う男


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