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J3優勝へのカウントダウンコラム①

決戦から二日ほど経ったもののまだ興奮冷めやらぬ状態でYoutubeやTwitterを漁りまくっている。

前二つの記事をギラヴァンツ北九州サポーターから見たJリーグというような形で少し真面目に書いていたのだが、ラスト(予定)の3発目は趣味に振り切った池元友樹について語って終わろうと考えていた。そしたらやっぱりやってくれるのが池元友樹という男である。

“約束の地”への扉は既に開いたので、タイトルを変えて“J3優勝への”カウントダウンコラムとした。今回は池元友樹について話しつつ、私も実際にゴール裏に参戦した讃岐戦やら今期のこととかの振り返りになるだろうと思う。

「池元友樹と云う男」

ミスターギラヴァンツ、KING OF KITAKYUSHU、北九州の象徴などと呼ばれている池元友樹。ずっとこのチームを見ている人間からすると思い入れが強いとかそういうレベルの選手ではない。本当に象徴とか精神的主柱とか、そんな簡単なものでもなく、もはやそのものなのだ。このチームの。

自らの背中と態度でチームを引っ張って行くようなハードボイルド・ストライカーであるが、高校卒業後に単身アルゼンチンへ渡りリーベルの下部組織でプレーするなど、人一倍ハングリーハートを持って静かなる闘志をメラメラと燃やし続けている、そんな選手である。

ギラヴァンツ北九州のバンディエラとしてよく知られているが、この男は案外ずっとふらふらしている。前身のニューウェーブ北九州時代から所属こそしているものの、FC岐阜、柏レイソル、横浜FCとレンタルなどで転々としているのである。そのため、この前の讃岐戦でのインタビューでも話していたが、在籍期間のわりにJ2昇格とかそういうタイミングには不在だったため、このチームで大きなものを掴むのは言葉通り初めてだったのだろう。

2010年、J2昇格とギラヴァンツ北九州の始動と共に北九州に帰って来る。ここからミスターギラヴァンツとしての歩みが始まるわけだが、上記のようにふらふらしていたのは上から声が掛かればチャレンジする、虎視眈々と“池元友樹”の名を大きく轟かせるチャンスを狙っている、そんなハングリーハートから来ていると思われる。

そして2010年から5シーズン、北九州に欠かせない選手としてプレーするが、2014年に自己最多の15ゴールを挙げる。北九州出身で地元のチームから大事に大事にシンボルとして扱われている、そんな中で池元友樹のハングリーハートはJ1で戦うことを選んだ。

年齢的にも30歳にさしかかるタイミングで、脂の乗った状態でJ1に挑戦するならここしかなかっただろう。松本山雅FCへの移籍という形で北九州を去ることを決断する。

北九州の象徴がチームを離れるというのは非常に辛く、戦力的にもそうだが池元友樹をずっと応援していた私も本当にがっくり来た。ただ、(全員がそうだったとは言わないが)北九州出身の人間として頑張って来いよ、やれるだけやってみろよ、もう帰って来ないくらい活躍しろよ、という激励の下に旅立って行ったように思う。

移籍が決まっている選手がローカルの応援番組にシーズンオフに出たりするのはあまり見たことがないのだが、この時は普通に他の選手と一緒に池元も出て「来年はいないんですが」とか言いつつインタビューとか振り返りをしていたはずだ。こうしてわだかまりもなくチームのシンボルを旅に出させたことがおそらく今に繋がって来る。

もう帰って来ないくらい活躍して欲しいけど、もし駄目なら帰る場所はここだよと。いつか俺たちがまた困ってたら帰って来いよと。

翌年、2015年末に池元友樹の帰還が決まる。

個人的にはもう帰って来るのかとかそんな気持ちは全くなく、池ちゃんが帰って来る!!!!!嬉しい!!!!!おかえり!!!!!ってそれだけだった。それと共に本山雅志の決断もあるのだが、そこの驚きよりもヒーローのご帰還に胸が躍った。

ただ、池元友樹の帰還によって原一樹・小松塁の控えでスーパーサブとして活躍していた渡大生の序列がまた下がるのも明らかであり、出場機会を求めて徳島へ移籍となってしまった。この渡の放出が2016年に取るべき時に点が取れず降格となった一因でもあると思うのだが、それはまた別のお話。


こうして北九州へと戻ったそのシーズンにチームはJ3への降格が決まり、池元が2014年に得点を量産した頃のチームメイトも続々といなくなる。チームでもベテランと呼ばれる年齢になり、失意に沈むチームをなんとか引っ張って行かなくてはいけない。2017,2018と低迷した二年間、池元友樹の重圧と感じる責任は大変なものであったろうと思う。

しかし、この先の見えない闇の中でサポーターを繋ぎ止めていたものの一つは池元友樹だろう。古くからのサポーターで、上手くいかないチームを見て見限ろうと思ったとしても池元友樹がいる間は……とそんな人もいるのではないか。そしてもうひとつがミクスタである。この二つがもう切れてしまいそうなギリギリの気持ちを何とか繋ぎ止めてくれた。

耐えて耐えて耐えて訪れた今シーズン、ついに風向きは変わる。

小林監督のインタビューとか練習の様子を見るに、34歳の池元友樹には相当キツいのだろうと思う。それでも必死に練習から続け、試合では60分頃に変わるとは言えどそれまでは町野なんかの若手と変わらないレベルで走り続ける。この前の群馬戦、そろそろ交代かという時間になってもタッチライン際のボールを必死で追いついて残したプレーや、讃岐戦でも相手に囲まれて体勢を崩されても這いずるように前に進もうとする姿にその覚悟を見た。

町野が倒されて奪ったPKだったのでかなり不服そうではあったが、池元友樹にPKを譲った。みんなわかってたはずだ「池元友樹は外さない」と。

それでも怖かった。あまりにこのPKが重かったから。

単なる2-0にするだけのゴールじゃなく、この辛い何年かを味わってきたサポーターも、加藤弘堅や内藤洋平など2016を知ってる選手も、そして池元友樹自身も。この悪夢や呪縛から抜け出すための、そういうゴールだった。

「池元友樹は外さない」

経験豊富なキーパー清水を嘲うように逆を突いて簡単そうに左に決めてみせた。池元友樹が決めたなら、いつもよりこの街のボルテージは数倍に上がる。それを理解していながらあそこで確実に決めてみせる。これが池元友樹なのだ。だから池元友樹なのだ。

このゴールで何かが弾けたように北九州は暴れ回った。北川の美しさの欠片もないゴールが立て続けに決まり、終わってみれば4-0。圧勝だった。


池元友樹は、その歩みと共にプレースタイルも変化させてきた。

元々は快足ドリブラーのような印象だったし、アタッキングサードでボールを受けると一目で池元だとわかる不思議なストライドでエリアに侵入し、シザースを組み合わせながらタイミングを外して撃ち抜く。そんなゴールの印象が強い。

最近はおそらく体力とスピードの衰えもあるのか、以前のように仕掛けに行くことは少ない。それでも、長野戦でのディサロとのワンツーとか、相模原戦で町野の折り返しを上手く収めてスピードに乗って叩き込むとか、新しい池元友樹へと変貌を遂げている。

全試合に出場で7ゴールは少ないように見えるが、それ以上にオフザボールでの気の利いた動きや加藤弘堅・藤原奏哉とのリンクマン的な役割、自身でのアシストなどまだまだ欠かせない選手であると言えよう。

とはいえ、俺たちは池元友樹のゴールを待っている。今週末の鳥取戦、池元友樹がまた俺たちの熱をさらに上げるのを待っている。そのゴールで優勝を決め、北九州の象徴がシャーレを掲げる瞬間を、今か今かと待っている。

#もろびとこぞりてミクスタへ


「池元友樹と云う男」おわり

→「誰も欠けてはならぬ」

池元の話と合わせて他のことも書こうと思ってたのに池ちゃんへの愛が強すぎてそこそこの量になったので分けることにする。

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