見出し画像

魂の世界をあからさまに見せる人

オラクルとしての蝶は眠っていた宇宙の出現と、新しい次元に生きる決意を実行に移す時を知らせている。それを、あなたの考えで実行できる環境が整った事を知らせている。『パワーアニマル蝶』*

今年の冬至(日本が夏至)のころ、自分の霊性について考えていました。

霊性は、エッセンシャルオイルの香りのような微細な世界だと思いますが、微細だからこそ私には無視できないんです。今までの人生の中で出会った霊能者の人たちについてへたでも良いから書いてみたくなりました。そこで書き始めると、20代の頃の魂の探求物語が出てきたのでここでシェアします。

初めて霊能者のラリタに出会ったのは、1989年、京都精華大学の人文学部の学生になったばかりの18歳のときでした。ラリタは同大学の美術学部の学生でした。彼女の目は動物のような鋭さがあり、体育会系の鍛えられた肉体を持ち、たとえて言うなら宮崎駿の名作「もののけ姫」みたいな感じ。彼女も私と同じ18歳で、おたがいとっても若かった。大学生になってからまだ間もない頃、美術学部と人文学部両方の学生に対して開かれていた文化人類学の授業を受けたあと、ほとんど誰もいなくなった大きな講義室で、4月に会ったばかりの新しい友達からラリタを紹介してもらいました。

ラリタは紹介されるなり、オープンに私に関するカラフルな霊視をしてくれました。「あんたは人間じゃない。精霊界でも、どこのグループにも属さへんはぐれた精霊や。前世では何度も少数民族で生まれてる。中国人なんかなと思ってよく見てみたらなんか違ったり、トルコ人かなと思ってみると、なんか違ったりとかいうのが多い。何人か分からんな」

それから私の持っていたラピスラズリと同じ色のブルーのカバンを見て言いました。「ケルティックブルーやな。あんたはやっぱりこの色に惹かれるんやろう。前世でケルトの吟遊詩人やったことがある」

「将来は翻訳とか雑誌の編集とかそういうことしたい?英文がたくさん見える。あんたは、どこかの組織に組み込まれるという雰囲気が全く感じられない。一人で歩いてるのが見える」

魂をスケスケに見られている感じがした。

この霊視を受ける少し前に、ケルトの吟遊詩人のことを雑誌で読んでいて、ケルトはすごく馴染みがある感じがしていたのでした。勉強は努力の割に成果が上がらない学習障害者やったのに、なぜか英語の成績だけはよくて、英語に救われてきた中高時代を過ごしたからでした。逸れ精霊というのはよくわかる〜私はどこかのグループに所属してそのカラーに染まるということを拒絶する癖があって、ちょっと怖くても、個人的に動いて自分の考えをストレートに言う方が自分は逆にうまくいくということを、高校生の時くらいから理解しつつありました。

ラリタは、精神世界の本、ダリル・アンカのバシャールを愛読していて、私にも紹介してくれました。

彼女はこの本について触れながら、これから人類はもっと楽な時代へと移行していこうとしている。一人一人がもっと自分らしく生きられる時代、自分に与えられた力を発揮しやすくなる時代のビジョンを持って良いということを語ってくれた。

ラリタの話を聞いているとなんだか私の本質の部分が生き生きしてきて楽しくなりました。

しかしラリタについてや霊視の話をすると、慎重で懐疑的な友達に疑われることはよくありました。こうした現象に対して、疑う目というのはとても大切なことでもあると言うことも同時に学んでいたように思います。「あなたの前世プライドの高い少数民族だったとか、吟遊詩人だったとか、精霊だ」などと言われると、夢みがちな私の場合、肉体次元が不器用で苦労していることをしばし脇に置いておいて、有頂天になる面も確かにあったので。

でも・・・もののけ姫のような風貌で、芸大の学生らしく目的感を持ってキビキビとキャンパスを歩いているラリタが語る霊性の世界にどうしても惹かれてしまうのは否定できない。人は何度もこの世に生まれてくるのかもしれない、そして今生以前に積んできた経験がいっぱいあるのかもしれないという感覚は理屈を超えたところで、無視できませんでした。

初めてリーディングを受けてから3ヶ月ほど後にしばらくぶりにラリタに会うと、ラリタは以前のようにいろいろな人に霊視をすることを拒否し始めていました。好奇心を満たしたいためにラリタの話を聞きたがっていたり、またはリーディングにすがりつく人、からかうつもりで話を聞きに来る人など、本質を大切にしない人を相手にしたためにだいぶ気分を害しているみたいでした。

そんな彼女を見ていておよそ伝わってきた霊能者の苦悩は次のようなものでした。

霊視に対して過剰で不適切な反応をされては困る・・・人間はこの世で魂の成長を遂げるためには自分で自分のしたいことを見極めて道を選択する必要がある。霊視は、その人が過去生においてマスターした力とか、ポテンシャルを照らし出し、現代の物質文明の価値観に晒される中で見失ってしまった自分の真実を思い出すきっかけにしてもらいたいだけなのに。

今にして思うことは、ラリタはアメリカンインディアンの教えで言うと、蝶のメディスンを使う人であるということ。人の内面世界を露出させ、その世界を具現化する方へと促したい人です。

ところで大学生の私は、霊視で見せてもらった美しいポテンシャルとは全くかけ離れていました。月1回のペースで下痢、嘔吐、せき、くしゃみを伴う風邪をひいていました。生理痛もひどく、情緒不安定で、突然泣き出したり、怒り出したりしていました。当時、フロイト派の社会心理学を教えていた中尾ハジメさんのセラピー的な講義に大きく影響されていた私は、自分の病弱さは、厳しい日本社会や両親の価値観や、学校時代のトラウマ経験に密接につながっているに違いないという意見を強めていっていました。

大学4回生の就職を考える時期に、私は自分の内面を掘り下げるにつれ、どんどん鬱になっていって、就職どころじゃない精神状態になっていきました。卒論を書く時期になると、中尾ハジメ先生のゼミで不格好で痛々しい自分の過去の体験を振り返り、人間関係の中で傷ついた体験をもろにさらけだして卒論を書くという本格的な作業をしました。

大学4回生の頃は、ソマティックワークを学生に勧めていた片桐ユズルさん(先生とは呼ばせてくれない大学教授・中尾ハジメ先生のお兄さん)に自分の心身状態の不安定さについて相談すると、「アレクサンダー・テクニークというおもしろいレッスンがあるからいってらっしゃい」というアドバイスをいただきました。何をしたらいいのかわからなかった私は、わらをもつかむ思いで、京都の京阪電車線沿いにある鳥羽街道駅から徒歩15分くらいのところの東九条のアパートでレッスンをしていたアメリカ人のアレクサンダーの先生、ロビン・ギルモアさんに会いに行きました。

ロビンと対面しながら椅子に座っていたのを今も覚えています。頭と脊椎の関係性についての重要性を教わりました。そしてその関係性と体全体を意識するために、頭と首に軽く手を置いてもらうハンズオンワークを受けたのを覚えています。

それから「立ってください」と言われて立つと「あ、体が軽い!」と感じました。

この感覚に戸惑っていると、ロビンはすかさず「自分の頭全体、体全体を思い出して。あなたはこの部屋の中に存在します。」と言ってくれたのがうれしかった。私はこんなにのびのびできるポテンシャルがあるのか〜

このアレクサンダーの軽やか体験はとても印象に残りました。大学卒業後は、過去のトラウマを解消するセラピーと並行して、アレクサンダーの身体に根差した現実的なアプローチで自分全体を受け入れること、心身の緊張を解放することを学ぶ生活がはじまりました。

この時期の変遷は次のようなものでした。

私は、こうした心身の開放に関する学びは、人間の霊的成長には欠かせない貴重なプロセスであることを直感しました。大学卒業後も、時々ラリタに連絡を取っては、アレクサンダー体験、ライヒ派のセラピストのワーク、ロルフィングなどのボディワーク体験をシェアし、自分が受けて良かったワークはぜひラリタにも受けてもらいたいと勧めていました。当時高校で非常勤講師として美術を教えていたラリタも、同じ時期に、私とシンクロするように自分の育った家庭や幼児期から大人になるまでを振り返りながら自分の抑圧された感情を見ていく作業に関心を持ち始めていました。ラリタは、私の誘ったワークはほとんど受けました。

そんな私たちは、ユズルさんのお誘いで、さらに東洋の瞑想と西洋が開発したトラウマを解消するセラピーを融合させたOSHOの適切な瞑想テクニークを駆使したグループワークや個人セッションをやっているビジェイをはじめとするサニアシンセラピストたちのワークへと導かれ、1994年にはOSHOのサニアシンになりました。そしてラリタとジャルダーラというサニアス名をもらいました。

1995年からはラリタと一緒に京都で開催された4年間のKAPPAアレクサンダーテクニーク教師養成コースに通いはじめました。

アレクサンダーワークは、体の緊張の奥にひそむ自分の偏見や制限のある考え方を見つけ、それをやめていって、すべての人に備わる心身の自由と柔軟性を選択していくことを促すソマティックワーク。「前世はフランスの王侯貴族でしたとか、侍でした」とか言う霊視とは全く違い、その人自身が自分ではっきりと認知できる心身の状態を出発点として、その人のポテンシャルにアプローチします。アレクサンダーテクニークを学んでいる時のラリタはまるで水を得た魚のように見えました。

アレクサンダーのトレーニング中、私は自分の手を使って人の頭と首の関係性にタッチするハンズオンワークに恐怖心が出てきて困っていました。「ジャルは、自分の第3の目で見たことを信頼して身体レベル(タッチの手)で表現することに対して、混乱しているね」とラリタに言われたことがありました。「この混乱を解消するためにハイヤーセルフにアレクサンダーワークへと導かれたんやろうな。」と意味深なことを言われました。

あの時から21年たった今、身体レベルに対する恐怖は、無意識の中に怪物のように潜んでいることは今も変わりません。自分の精神の奥底にある恐怖はセラピーやアレクサンダーワークで消し去ることはできないものかもしれないと今では思います。ただ、ワークを受けまくっていた経験は、自分の恐怖を認識して、それとの付き合い方を日常生活の中で模索しなさいということを示唆してくれたように思います。

現在のわたし:子育ても体験できたし、そこから得た洞察をヒントに幼児期の子供のケアと教育の仕事をしています。そしてボチボチではあっても、心身の状態をあるがままに受け入れるためのアレクサンダーは続けています。恐怖があるにもかかわらず、建設的に行動する力は前よりも身についてきている気がします。そして、チェロを演奏する10歳の小学生にアレクサンダーを教えています。

数ヶ月前から、こどもの頃に習っていたピアノの練習を再開しました。ピアノは自分の表現したい音をピアノという物理次元のものにタッチしながら音楽を演奏するものなので、アレクサンダーの中で人にタッチするための良い練習になっているような気がします。今は坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」を毎日練習していますが、楽譜を見ながらこのメッセージ性の高い、魂を揺さぶるような曲を自分の手で引いて表現していると楽しいし無理がない。

ラリタは現在、京都に住み、アレクサンダーの先生として活躍されています。美術学部で立体造形を学んでいた彼女は、タッチの手を使って人に教えるのも上手いし、霊的な理解だけでなく身体意識、物理的な空間に強く、解剖学の知識をうまく取り入れながら的確にアレクサンダーテクニークを全国各地で教えています。

先日、ラリタとスカイプで話をしたところです。今はプロの野球選手になることを目指している若者にアレクサンダーレッスンをしているそうです。投球する前にマウンドに立ち、構えている時のピッチャーは祈りの状態にあるそうです。ラリタは、霊性と物象界をつなげる仕事をしっかりしているんやなと思って聞いていました。

もうすぐ50歳を迎えようとしている私とラリタの現在のアレクサンダーテクニークの関わり方は、それぞれ特技も弱点もライフスタイルも全然違うので外から見ると全く違う道を歩むひとたちに見えるかもしれない。その違いは思想を着実に具現化するトレーニングを受けた美大出身の人間(ラリタ)と、混沌とした世界のまま「生きてるだけでいいんや〜!」と言いながら生きていく人文学部出身の人間(わたし)の違いかもしれない(笑)

でも20代の頃に蝶のメッセージに突き動かされながら、ラリタと一緒に霊的な成長を目指しておたがいに情報交換したり、支え合った記憶は今も私の宝としてわたしの魂に刻まれています。わたしたちはルーツが同じです。

*パワーアニマル/蝶(ブログ):https://citrineflower.exblog.jp/27320463/

画像1




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?