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五〇を過ぎれば人生が顔に出る

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映画「マイ・ルーム」(主演    メリル・ストリープ ダイアン・キートン)

あれは未だ東京にいた頃、とある銀行の窓口でのことだ。

「こちらにご住所とお名前をご記入いただけますでしょうか」
と中年の男性行員が手続きに必要な用紙を差し出した。ああいうのを恵比須顔というのだろうか、彼の顔は絵に描いたように目尻が下がり、口角は上がっていた。

ところが、だ。次の瞬間、視線を手元に移して電卓を打ち始めると、途端に彼の顔は修羅のそれに変わっていた。そのあまりの変貌ぶりに思わず私は目をゴシゴシとこすってしまった。そして、私が「書きましたよ」と言って用紙を戻すと、彼は
「有難うございます」
と顔を上げたが、その面差しはさっきの恵比須顔に戻っていた。柔和そのものである。そしてまた手元に視線を移すと、鬼の形相に……。その後も彼は、私と話すときは恵比須顔、視線を外すと修羅の顔、を繰り返した。

その様子は些か滑稽に思えたが、そのうちに私は気付いた。私を見るとき彼は微笑んでいるように見えるが、細めた目の奥は笑っていない――。あれはちょっとしたホラーだった。

一方、こんなこともあった。十数年前の初夏の昼下がり。私は二子玉川の新規プロジェクトの現地確認を終えて、駅に向かって人通りの少ない舗道を一人で歩いていた。そのとき、前方から日傘をさしてショッピングカートを引いた歳の頃はそう、六〇代後半と思しき女性が歩いてきた。この話の流れだと、近づいた女性の顔がのっぺらぼうだった、いや口裂け女だった――なんて怪異を期待する向きもあろうが、そうではない。

その顔は少女のように涼しげで朗らかだったのだ。先の銀行員のような営業スマイルではもちろんない。もとより彼女は見ず知らずの私など視野に無いのだ。私どころか、その柔らかな笑顔は誰に向けられたものでもない。普段から微笑んでいたら、いつしかそれが素になりました、という顔だ。後にも先にもあの年代では彼女ほど好い顔立ちの女性を見たことがない。この人はきっと幸せな人生を歩んできたのだろうと、そのとき私は思った。

この映画のダイアン・キートンを観ていて、そんなことをふと思い出した。撮影時、彼女も既に五〇を越えていたはずだ。男も女も中年を過ぎれば、その人の人生が顔に表れる。多くは、残念なことに因業な顔つきになってしまう。だが、ダイアン・キートンも二子玉川の女性と同様、きっと好い人生を歩んできたのだろう。ベッシー役に彼女をもってきたのは、ナイスなキャスティングだ。

決してハッピーエンドではないけれど、妙に納得感のある映画である。それはベッシーの人生そのままだから。

「振り向くと、いつもそこに愛があった。こんなに人を愛せた人生は幸せだった」

それは嘘偽りのない気持ちなのだろう。羨ましい。私もそんな気持ちで人生を終えたいものだが、鏡を見る限り難しそうだな。

画像引用元 TMDB

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