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異常と正常は紙一重

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書籍「コメンテーター」(奥田英朗)

大学に入って間もない頃だった。

「俺ってパンクチュアルだからさ」

どういう話の流れだったか今となってはすっかり忘れてしまったが、二つ上の先輩が何かの拍子に少しおどけて胸を張った。

「punctual」は、受験勉強の必須書「試験に出る英単語」に載っていた。たしか「時間厳守の」とか「厳格な」という意味だったはずだ。そんな横文字をごく自然に使う人をそのとき初めて知って、やたらとカッコいいと思ったのを今でも憶えている。

以来私は日常会話で「パンクチュアル」を多用するようになった。今から思えば、くだんの先輩が色んな女のコにモテるので、それにあやかりたかっただけだった。先輩の性格は言葉とは裏腹にルーズだったように思うが、私は普段からパンクチュアルだった。だからかシャレにならず、女のコにはまったくモテなかった。

さて、こんな愚にもつかぬことを書いたのは、この短編集にある「ピアノ・レッスン」の登場人物・藤原友香に私も似たところがあると思ったからだ。

友香は年に百回はステージに立つピアニストである。会場には関係者と約束した時間の10分前には必ず入るように心がけていて、余裕を見て30分前に着くことも多いという。もちろん、演目の準備はいつも万全で怠りない。

私も大事な仕事の約束にはいつも10分以上前に着いてしまうし、その準備も十分にして臨むようにしている。大事な仕事ではと言ったが、何かにつけてそうなのである。学生の頃と何ら変わっていないのだ。

もちろん、多くの場合それで相手も満足してくれるし、私自身の心も安寧が得られる。しかし、パンクチュアルも度が過ぎれば、友香のような不安障害に陥ったり、広場恐怖症に罹ったりということにもなるのだろう。異常と正常は紙一重なのである。

ドクター伊良部は、もっといい加減で良いのだ、世の中の人はあなたのことなどなんとも思っちゃいない、と教えてくれる。

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