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社会人への不安と不思議な友達

卒論も99%一段落し、いよいよ社会人になる4月が近づいてきました。
今、まさしく「モラトリアムの中のモラトリアム(フルコミットのインターンもなければ、授業もない)」状態にあって、悶々と考えることが多くて。

なんだか漠然とした不安が心の中にもやもやと広がる日がずっと続いていました。

ぶっちゃけ、考えても別にこの不安は消えないし、プラグマティックな視点で考えても(卒論を書き終えた後なので、難しい言葉を使いたがります)やっぱり不安はどうしようもないから、社会人になるための準備を着々として次に備えないといけない。わかってはいるけど、悶々と不安を感じるだけな今の私。私らしくない、気がする。

別に誰かに相談したところで、解決策は分かっているから、相談するのもなあ、、、とか思っていたけど。
けど、どうしてもここ3日くらいは不安が消えなくて。

そんな中、久々に大学時代(私はまだ大学生ですが、彼はすでに院生なので)の親友(勝手に私はそう思っている)と電話で話すことができて、感情って大事だなとか、こういう感情を文章で残しておくのって大事だなとかそういうことを思ったのです。(彼と話すと、不思議と、それはとても不思議と落ち着く。もう6年の付き合いですが、すごい。不思議な友達です。)

感情って不思議なもので、ちょっと経つと(速い時は一晩経つと)忘れてしまう。喉元過ぎれば、とは良く言ったものだなと思います。
ここに感情を残しておくことで、将来の自分が「あ、ああいうこともあったんだな」とかあとで振り返ったときに意外と面白いかもしれない。
誰か同じような気持ちを抱えている人がちょっと安心してくれたりするかもしれない。というわけで、今の不安を言葉化してみよう。


自分が自分でなくなるんじゃないか、という不安

生まれてこのかた、ずっと大きな団体(いわゆる「マンモス〇〇」)に所属したことがないのですが、就職先は大手なので、いわゆるこのマンモス〇〇に当てはまるわけですね。そんなところに入ってしまうなんて、大丈夫かなあ、生まれてきて今まで続いてきた「私」が消えてしまうんじゃないかなあ、そんな不安です。


全く知らない世界にいく、漠然とした不安

学生という身分を、もう18年(!!)もしてきたわけですが、そうでなくなり、さらにさっきも行ったように今までに所属したことのないところに所属する不安。全く知らない世界にどりゃって飛び込む不安。(でも今までだって、例えばフィリピン行く時だって、器械体操部の大会行く時だってめちゃ不安だった。飛び込むのは得意なんだけど、飛び込むと決まったあとに、実際に飛び込むまでに時間差があると、じわじわ不安になってくる。)

余談ですが、このことを考えているときに、いつも昔読んでもらっていた「ビリーはもうすぐ一年生」という本を思い出します。

大人でも不安だから、ビリーもそりゃ不安よな。


軸がない不安(なう)

友達と電話で話してて、不安の中で一番でかいなと思ったのが、今現在、軸がないことへの不安でした。(あれ、社会人になることへの不安ではなかった。)
今まで、ここ3年くらい、いや、中学高校から合わせると12年くらい、部活だったり、受験だったり、勉強だったり、卒論だったり、フルコミットのインターンだったり、何かにある意味「縛られて」それが自分の生活の中の一つの大きな軸となっていました。けど、今このタイミングでいったんそれがなくなって、なんだかものすごく不安。

よく「いつも忙しそう」とフルコミットのインターンの時に言われたけど、それは、忙しくなくなると不安だったからなのかもしれない。

(でも、その友達も、こういう不安よくあるといっていたので、まあよくあることなのでしょう。)友達曰く、こういう時は、無理してもうまくいかない。(だから、不安なんだなあとか思いながらお茶とか飲もうと思いました。)



あ、言葉化してみると、意外と自分が通常運転であることがわかってきました。

というわけで、モラトリアムofモラトリアムの期間ですが、もやもやしながら、うじうじ進もうと思います。あと、ふらっと気軽に電話で近況報告してくれる方、募集中です。

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