最高の青春と唯一の後悔【転職アドバイザー紹介-高藤薫-(前編)】
今回ご紹介するのは、ジェイック就職カレッジ®︎-動画学習コース-で、アドバイザー(国家資格キャリアコンサルタント保有)として活躍する高藤 薫。
十年以上前に求職者としてジェイックの就職支援サービスを利用した過去を持つ高藤は、就職・転職に本気で悩んでいる方の気持ちを心から理解できるからこそ、専門的な知識を駆使してサポートするアドバイザーです。
前編では、弊社サービスを利用するきっかけになった前職退職の経緯や、鬱屈とした忘れられない挫折期間について語ってもらいました。
スポーツ万能! 自他共に認める野球部のエース
幼少期から身体を動かすことが好きで、グラウンドをいつも走り回っている子供でした。運動神経が抜群だったので、小学校のクラスでは常に人気者。バレンタインではクラスメイトの女子半数からチョコレートをもらうほどで、人生で一番のモテ期でした。
この運動神経のおかげで、中学では野球部に所属して間もなくレギュラーに抜擢。早朝から夜ボールが見えなくなるまで本気で練習に打ち込み、三年時には甲子園の常連高校からスカウトをもらうなど、充実した生活を送っていました。
ところが、中学野球部の最後の試合で、初めての挫折を経験します。
最後の試合でサヨナラ負け
自分の暴投がきっかけで、試合にサヨナラ負けをしました。
大会数か月前に骨折した右手が完治しておらず、無理を言って出場したものの、回が進むごとに痛みが深刻に。そして迎えた最終回、簡単なゴロをさばいてファーストへ投げた球に力が入らず、それが決定打となりサヨナラ負け…。勝てる試合だっただけに、しばらく呆然としました。
もちろん負けたこともショックでしたが、試合後にチームメイトが「右手の怪我完治してなかったもんな、しょうがないよ。お前頑張ったよ。」と、責めるどころか笑顔で迎えてくれたことが、一番しんどかったのを覚えています。その日は悔しさで眠れませんでした。
なんでも思い通りになるわけではない
そして悪いことは続きます。自分のせいで大事な試合に負けた悔しさから猛練習をしましたが、過剰なトレーニングで腰に負荷がかかりすぎたために、バットが振れないほどのヘルニアになってしまいました。さらにこれが原因で野球を断念せざるを得ず、通常の進学への切り替えを余儀なくされました。
「人生なんでも思い通りになるわけじゃない」ということを、嫌というほど味わった中学最後の夏でした。
野球の代わりを探していた
進学校へ入学後、リハビリの名目で水泳部に所属しましたが、燻ぶった高校生活が続きました。
一時期、水泳を本気で頑張ってはみたものの、幼少期から水泳に打ち込んできたメンバーには歯が立ちません。部活も勉強もそれなりに頑張るも、野球をしていた時ほどの充実感は無く、「このまま高校生活を終わりたくない」と焦燥感に駆られる自分がいました。
そうして迎えた高校三年生の夏、転機が訪れました。
ひと夏のウォーターボーイズ
所属する水泳部でシンクロナイズドスイミングの男子グループを組むことになりました。その頃「ウォーターボーイズ」という映画が全国的に大ヒットして話題を呼んだことから、自分達の部でも再現することになったのです。
ところが、何もかも完全にゼロからのスタートだったので、序盤は困難を極めました。
選曲で喧嘩する。
水着のデザインで喧嘩する。
踊りは思い浮かばない。
今思い出すと笑える混沌の中でも、本気で打ち込むうちに、徐々にチームに結束が生まれます。「演目を通じて何を伝えたいか」等のテーマが決まると、曲の構成も自然と意見が合いました。
三年ぶりの「本気で打ち込めている自分」
また周囲の力を借りることを覚え、ダンスの振り付けは昔ダンスを習っていた学校の先生に、水着製作は街のスポーツ屋さんに頼み、スピーカーは街のレコードショップに頼み込んで安く借りることができました。そうやって活動していくうちに、この活動を耳にした地元TV局から取材をされたことで、練習に見学者が来るようにもなりました。
野球をしていた中学時代から三年の時を経て、久しぶりに「本気で打ち込めている自分」が戻ってきた感覚があり、それまでの燻っていた期間を取り戻すように毎日が充実していきました。
史上最高の夏
そして公演当日。会場にはなんと2000人もの観客が集まりました!客席は満員御礼、隣の家の屋根に上って見ている方もいました。
素人ながら一生懸命にパフォーマンスを考えて、仲間と一から作り上げた演技を、大勢の方々が期待に満ちた目で見てくれている・・・!高校生活最後の夏に、史上最高の言葉にできない達成感を味わうことが出来ました。
この経験から、「自分達で何かをゼロから創り上げることの面白さ」を知ったのです。
青春の大学時代と唯一の後悔
大学生になってからは、サークル活動やアルバイトの中心人物として、充実した日々を送りました。高校時代の成功体験を元に、サークルの起ち上げやイベントの企画など、「ゼロから何かを創り上げる経験」を数多く積んでいきます。友人にも恵まれ、かけがえのない四年間になりました。
ただ唯一後悔していることが、大学三年時の就職活動です。
当時友人から「料理が上手!」「店出せるよ!」と言われた際に、本当にその気になってしまい、「自分の飲食店を持ちたい」という夢(夢というよりも憧れに近い、計画性の無いもの)を持ちました。
だから就活で飲食業以外は見ず、飲食系で独立に繋がりそうな企業へパッと就職を決めてしまいました。この楽観的な選択が、人生二度目の挫折に繋がります。
覚悟の甘さが招いた早期離職
入社後すぐに「飲食業で生きていくことを舐めていた」と気付きます。配属先は全国でトップクラスに忙しい店舗となり、長時間勤務・休みなしは当たり前でした。加えて、突然休むアルバイトスタッフや客同士の喧嘩など、突発トラブルへの対応や、本社から売上への厳しい叱責が次々降りかかるなど、今考えれば飲食業ではよくあることですが、覚悟の甘さから「つらい」と感じていました。
そんな折、「人前でのプレゼン」という特技を見抜いてくれた先輩のお陰で人事職へ起用されます。ところが「飲食で独立する」という目的が揺らいでしまった結果、「何故ここで働くのか」という理由を見出せなくなりました。最終的には、とにかくこの職場から離れたい一心で、次の会社を決めないまま逃げるように退職しました。
すぐに会社を辞めたこと、そして支えようとしてくれた先輩・同期への恩を仇で返してしまったことなどから自己嫌悪に陥りました。だから次の転職へのやる気も起きず、三か月ほど何もしない期間を過ごしました。
今でも忘れないニート期間
離職して最初の二週間は開放感が大きかったものの、徐々に「このままで良いわけがない」と焦り始めます。しかし、「明日こそ就活をしなくては」と常に焦りを感じているものの、その意思に反して自分の体は動きません。
一度だけ大手就職エージェントへ相談に行ったものの、「前職ではどんなスキルを身に付けたんですか?」という問いに対して「全然答えられるものが無い…」と落胆しました。以降は、やることもなくYouTubeをダラダラと見続けてしまう日々に逆戻り。今でも思い出しますが、この三か月は人生で最も自分に自信が持てず、毎日をみじめに感じながら過ごしていた期間でした。
そして三か月目、いよいよ「ここで動かないと人生終わる」と思い立ち、意を決して大学時代の級友に今の状況を打ち明けました。すると、なんと友人も直近で会社を辞めようとしていたことが発覚したのです。
「自分だけじゃない」と少しだけ勇気をもらい、やっと転職活動を始めた矢先。とある企業から送られてきたメールが、目に飛び込んできました。
後編に続く
就活を失敗し、自信もプライドも失った新卒時代。そんな高藤も、現在は仕事に信念を持ち、充実した毎日を送っています。
後編では、そんな鬱屈とした期間を乗り越えたきっかけや、高藤の「努力を始めるのに遅すぎることはない」という想いについて迫ります。
後編はこちら!
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