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炊飯器はエモい

昨日の晩御飯

昨日の晩御飯を思い出して下さい。

はい。
では、その前の晩
はい。
その前の前の晩。

ですよね。

リツイートといいねも同じなんですよ。
1万いいね、リツイート超えのバズもインターネットの世界には残るけれど僕らの頭にはこれっぽっちも残らない。
祇園精舎の鐘の声、
ひとへに風の前の塵に同じ。

くらいのスピードで誕生と終焉を迎える。

そんなもんより、誰かの声色とか気分が床に落ちた定規みたいに持ち上がらない日に飲むコーヒーの苦みの方が覚えてる。

情報過多コリ僕たちはすぐ忘れてしまうんではなく、
そもそも覚えていないのではないだろうか。


スマホの容量のように脳には限界がある。
現代の情報量の多さは、もはや人が意識的に捌ける次元を遥かに超え、無意識の領域は本人に必要なものだけ目に飛び込ませている。
ポストに溜まり始めた報せを見るのが億劫になるように現代人は情報を一方向から浴びつつ続けることを選んだ。降伏、戦意喪失、放棄が当てはまる。
その状況で新しいことを始める余白などある訳がない。

エモいは惜しい。夕日、缶ビール、
タバコ、失恋、深夜、大都会
孤独、若さ、街頭、コンビニの光…


エモいの構成要素はだいたいこんなもんだろう。
しかし、何がエモいのかエモくないのかを明確に理解することは難しい。
では、簡単かつ極端に考えてみよう。

その① らっきょう
無理どう頑張ってもエモくならない。
その② 爆弾魔
無理。全部漢字で怖い。
その③ おじいちゃん
やはり、エモさは若さ。老いは範囲外だ。

では、この3つとエモさを持つものは
何が違うのか?
それは感性を刺激するストーリーを持つかどうかではないだろうか。

実はものは何でもいい。
今日、タバコや大都会や缶ビールには元々決まった分かりやすいストーリーがあるだけの話だ。
らっきょうであろうと爆弾魔であろうとおじいちゃんであろうと、そこに感性を刺激されるのならオールOK。
問題はそこからだ。
自分が勝手に感じた感覚の後、それに付随するストーリーをしっかりと考えて答えを出して噛み締めないといけない。
そう「エモい」とは、僕たちが感性を刺激された瞬間に頼ってしまう便利な言葉なのだ。

エモいを使えばその先の想像は全て無くなる
安心パック。お任せセット。1日分の野菜。
ファストフード的であるとも言える。
ファスト情緒とでも言っておこう。

P.S

先日、学校から帰宅する前に図書館に本を返しに向かった際にオフィス街を通り抜けた。
道中、街路樹が等間隔に生えていたのだが一つ異様なものを見つけた。

炊飯器
が。一つ。
ぼてんと街路樹の足下に捨てられていた。

それの脇を通り過ぎる時に
間近の繁華街から漂ってきた揚げ物の匂い。
視覚と嗅覚が脳裏で混ざり合った途端に出た言葉は

エモい

だった。

語るのは野暮だが、
さっき自分で言っことは守る。

炊飯器は家族家庭の、のメタファーだ。
それがオフィス街という対極の場所にポツンとある。さらに隣の繁華街から食欲を唆る匂いが漂っている状態は俗物的な存在が炊飯器へ皮肉を飛ばしている様に思える。
場違いなことをより強調するように。

以上。エモめの炊飯器でした。

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