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遊牧民の華厳教学

はじめに

 この文章は「華厳とは仏教用語を借りた経済思想である」という一点に要約される。奇妙な意見に見えるかもしれないが、丁寧に説明していくのでどうか最後まで読んでいただきたい。
 華厳経は4世紀頃、中央アジアのホータン(于闐)で成立したとされている。現在のウイグル自治区だ。華厳経に描かれている壮麗な法界縁起の思想は、西域タクラマカン砂漠の冷涼な空気から生まれたのである。
 そののち華厳経は東アジア全体に広まり、法華経と並ぶ大乗仏教の重要経典と目されるようになった。しかしその頃になってもまだ華厳経は西域との繋がりを持ち続けていた。華厳教学の大成者として名高い華厳宗第三祖の法蔵は、中央アジアの康居という民族の子孫だったと伝えられている。
 華厳経は古くから多くの哲学者に「大乗思想の最高頂」(鈴木大拙)と評されてきた。なぜこの思想はインドでも中国でもなく中央アジアから生まれたのだろうか。私は、「華厳の根底には遊牧民の思想が流れている。その遊牧民の思想によって華厳は人類の叡智となったのだ」と考えている。

華厳とは何か

 華厳経は大乗経典の中でも最も長大なものの一つである。その全ての内容をここで述べるわけにはいかない。そこでここでは前述した法蔵による華厳思想の要約、「十玄門」に関する解説をしていきたい。
 「十玄門」とは華厳宗の根本的教理を十個の項目に分けたものである。

十玄門

世界のあらゆる事象は相互に関係し合っている。それゆえ蓮の葉にしたたる小さな朝露の中にも全宇宙は内在している。インドラの網の一つ一つの目に結び付けられた数限りない宝珠が互いの光を反映し合うように、世界のあらゆる事象は重重無尽の因果によって繋がり合っている(因陀羅網境界門)。関係主義の徹底によって建てられた壮大な思想の楼閣。それが華厳経である。
 なぜ遊牧民はこのような思想を生み出し得たのか。それを理解するためには、まず「なぜ定住民はこのような哲学を生み出し得なかったのか」を考えなければならない。

農耕とイデア

 定住民の基幹産業は農耕である。農耕は大規模な灌漑を必要とする。大規模な灌漑には指導者が必要である。ここに頭脳労働と肉体労働の原初の分離が発生する。
 灌漑のような大規模な土木事業は、「計画」を「実現」する、という道筋で行なわれる。はじめ、計画上の水路はただ観念としてしか存在しない。しかしやがてその水路は大規模な集団労働によって地上に具現化される。このような実践によって定住民は「形相(観念)」と「質料(物質)」の二元論を内在化させていく。
 我々は計画(イデア)を地上に具現化させることによって広大な農地を手に入れた。それならば、この世界もまた何者かの計画(イデア)の具現化によって生まれたものに違いない。プラトンが『ティマイオス』で述べたこの思想は、後世のキリスト教に大きな影響を与えた。これは紛れもなく定住的な思想だ。定住民は土木事業の実践によって、「動的な現象の裏側には静的な本質があるに違いない」という確信を持つに至ったのだ。
 一方、華厳はイデア論ではない。華厳は現象の裏側ではなく、現象そのものの相互関係から世界を記述している。イデア論が本質主義ならば華厳教学は関係主義だ。華厳は農耕民の先入観に反しているのである。

草原の経済学

 前の章で私は「なぜ農耕民は華厳を生み出し得なかったのか」を説明した。ここからは「なぜ遊牧民は華厳を生み出し得たのか」を説明していく。
 マルクスは『資本論』の中で経済史における遊牧民の意義を次のように述べている。

遊牧民族が、最初に貨幣形態を発展させる。というのは、彼らの一切の財産は動かしうる、したがって直接に譲渡しうる形態にあるからであり、また彼らの生活様式は、彼らをつねに他の共同体と接触させ、したがって、生産物交換を引起していくからである。
(『資本論』一篇二章「交換過程」より)

たしかに遊牧民たちはシルクロードの担い手として古くからユーラシアの東と西を繋いできた。遊牧民は生まれつきの商人だったのである。
 農耕民は本質としての観念(計画)を具現化することによって富を生み出すが、遊牧民は事象(商品)と事象(商品)の関係の中から富を生み出す。遊牧民は商業的であるからこそ関係主義的な直感を獲得できたのだ。
 前述したとおり、華厳経には「因陀羅網(インドラの網)」という寓話が登場する。インドラの持つ網には目のひとつひとつに宝珠が結び付けられている。それぞれの宝珠は、他の全ての宝珠の光を反映して輝いている。この宝珠は中央アジアに点在する無数のオアシス都市のことだったのではないだろうか。そしてそれらの宝珠を繋げる網とは、砂漠や草原に張り巡らされた彼らの交易ルートのことだったのではないだろうか。
 もっと言おう。私は華厳経のことを「仏教用語によって綴られた経済学」として理解している。因陀羅網の宝珠が他の全ての宝珠の光を反映して輝いているように、市場に置かれた商品は他の全ての商品との関係(交換価値)によって輝いている。資本主義は世界のありとあらゆる事象を重重無尽の因果関係によって結びつけた。我々は今、リアルな法界縁起の中を生きているのである。

むすびに

 かつて「ノマド(遊牧民)」という言葉は文明からかけ離れた野蛮人のことを表していた。現在、「ノマド」という言葉は文明人のライフスタイルを表すために用いられている。現代資本主義は遊牧民の思想に近づいているのだ。それゆえ華厳教学の意義も今日ますます強まるだろう。史上最古の『資本論』として、華厳教学は現代人が必ず知っておくべき叡智である。
 さて、ここから私が書く話はあくまでも妄想である。
 華厳宗は現象を全肯定する。華厳宗は、無数の因果関係によって成り立つ現象世界を全肯定しているのだ。これを経済に言い換えると、「華厳宗は資本主義を全肯定している」と言うことが出来る。
 一方マルクスはそういった重重無尽の資本主義の根源に「認識の錯誤」を発見した。彼は、事象が「商品」として他との関係の中に位置づけられている(インドラの網に絡め取られている)のは人間が「物神崇拝」という取り違えを犯しているからだ、と考えたのだ。

それゆえに、商品形態の神秘に充ちたものは、単純に次のことの中にあるのである、すなわち、商品形態は、人間にたいして彼ら自身の労働の社会的性格を労働生産物自身の対象的性格として、これらの物の社会的自然属性として、反映するということ、したがってまた、総労働にたいする生産者の社会的関係をも、彼らの外に存する対象の社会的関係として、反映するということである。このQuidproquo(とりちがえ)によって、労働生産物は商品となり、感覚的にして超感覚的な、または社会的な物となるのである。
(『資本論』一篇一章四節「商品の物神的性格とその秘密」より)

 法蔵は玄奘(法相宗の開祖、三蔵法師のモデル)に対抗しながら華厳教学の根幹を完成させた。玄奘は中国人として西域を渡り歩き自らの思想を築いた。法蔵の華厳宗が現象を全肯定するのに対し、玄奘の法相宗は現象の根底に「認識の錯誤」を見る。玄奘の根底には、西域で目の当たりにした遊牧民の思想、すなわち資本主義への危機感があったのではないだろうか。東洋的なマルクス主義はこのあたりの教相判釈から誕生するのかもしれない。

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