見出し画像

「じゃがいも」のお寺話30 日本の仏教の始まり

西暦500年の中ごろ6世紀中旬に当時の百済から日本に仏教が伝わったとされます。

6世紀中旬の日本は一般には飛鳥と言われる時代かなぁと思っていますが、飛鳥時代はいつから始まるのか曖昧です。飛鳥時代というは政治的な制度で区切られた時代ではないとの説明があります。確かに飛鳥時代の前の古墳時代はいつ終わったのかグラデーションにも感じます。

29代 欽明天皇:在位539年~571年
30代 敏達天皇:在位572年~585年
31代  用明天皇:在位585年~587年
聖徳太子の父
32代 崇峻天皇:在位587年~592年
33代 推古天皇:在位592年~628年

推古天皇(在位592年~628年)が飛鳥(現在の明日香村辺り)に「宮都」と呼ばれるような天皇が住む宮を作り、飛鳥が政治の中心と言えそうな592年から藤原京が完成した694年の101年間を飛鳥時代とする見解が一般的でしょうか。藤原京の時代は藤原時代というのか。あまり聞いたことがないので710年に平城京が都になったの117年間を飛鳥時代とするでしょうか。

推古天皇の時代より前、欽明天皇の時代に仏教は伝来しています。29代欽明天皇の次の30代から33代までの4人の天皇は全て欽明天皇の子供です。その31代の用明天皇の子供の1人が聖徳太子です。聖徳太子は574年の生まれとされます。聖徳太子は仏教の伝来を受けた欽明天皇の孫になります。

仏教を受け入れる崇仏派の蘇我氏(蘇我馬子)と排仏派の物部氏(物部守屋)と意見が対立したので、欽明天皇は混乱を避けるために自らは仏教を信仰しなかったようですが、蘇我氏の仏教信仰を止めることもしませんでした。敏達天皇も同様だったようですが、用明天皇は自らが仏教を信仰したので、一旦は仏教信仰が容認された状況になりました。しかし、在位期間わずが2年で亡くなってしまい、その反動で仏教の対立がさらに激しくなりました。
蘇我馬子は聖徳太子など皇族、豪族を味方につけて物部守屋と戦(丁未の乱)になりました。物部氏は負けて衰退し、蘇我氏が台頭し仏教を受け入れて信仰するようになって行きます。

欽明天皇、敏達天皇は仏教の信仰を明言していないため、聖徳太子の父である用明天皇が初めて仏教への信仰を明言した天皇とされています。以後の聖徳太子の日本仏教への功績に影響がないとは考え難いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?