僕(クズ)の生きる道

GWも終わりました。
新生活に馴染んできたという人もいれば、新しい人間関係に疲れてきた人もいるのではないでしょうか?

今回はそんな新生活を送る中高生に向けて、ぼくの高校生活をご紹介したいと思います。



僕の高校1年生の同じクラスに佐竹くんという友達がいました。


佐竹くんはバレーボール部に所属する傍ら、熱心に勉強し、指定校推薦で国立大学に進学したまじめなメガネでした。


ぼくは佐竹くんとは同じ街に住んでいたので、帰りのバスが一緒の時はよく会話するようになりました。

彼は品行方正で、事件も起こさない穏やかな性格でした。

ぼくはと言うと、コミュニケーションが苦手なただの卓球部員。

新しい環境で孤立することが怖かったのでしょう。

面白味には欠けるが、自分を脅かさないであろう無味無臭な佐竹くんを気に入り、いつも行動を共にするようになりました。

「この1年間、なんの思い出もなくてもいい。こいつと無為にやり過ごそう・・・」

新クラスが始まって間もなく、ぼくはそうぼんやりと思っていたのでした。


しかし、そんな僕の期待を裏切る事件が起きました。


ある日、佐竹くんと二人で下校したときのことです。

下校途中に2人でコンビニに寄り、アイスコーヒーを買って飲みながら談笑して帰りました。


すると佐竹くんは、飲み終わったアイスコーヒーのカップ(透明なプラスチックのやつ)を自販機の脇にある缶とかペットボトル捨てるゴミ箱に突っ込んだのです。

「えっ!あのまじめな佐竹くんがそんなクズな行いを・・・!?」

アイスコーヒーのカップがゴミ箱の穴より大きかったので、佐竹はギュッギュッとカップを穴に押し込んで捨てました。

「うっ・・・」

ぼくは少し顔が引きつりました。

そんな僕の気持ちを気にも留めず、彼はまたニッと笑っておしゃべりを続けていました。

動揺で佐竹のおしゃべりは、もう僕の耳には届きませんでした。

そうです。

佐竹は根っからではなく、ギリギリ人から怒られない範囲で真面目だったのです。

それは新鮮でピカピカな見た目に惹かれて買い求めたら、中身は腐り切っていたカボチャ。

生ビールと言って発泡酒を出す居酒屋。

字めっちゃ綺麗に書くけどテストの点悪いやつ。

つるんとした中性的な見た目でものすごく性欲の強い前髪長い男。

佐竹はそれらと同等だと分かったのです。

それからというもの、ぼくは佐竹の行動から目が離せなくなっていました。

ある雨の日には、コンビニに置いてたビニール傘を一番キレイな傘に交換して持って帰っている佐竹を見かけました。

またある体育の時間には、クラスみんなでサッカーゴールを運んでいる時、手は添えるけど、一切力を入れてない佐竹を見ました。
(いきんだ表情をして、カモフラージュしていたのが印象的でした)


世の中にクズと言われる人はたくさんいます。

人から借金してパチンコして、酒浸りで、時間にもルーズで、、、。

でもそんな彼らクズは豪快で、元気で、どこかまっすぐで、応援したくなる人情味があります。

しかし、佐竹はそれとは違ったタイプのクズでした。
ジメジメ湿った、ねっとりと粘り気のあるクズでした。

そこにはクズ特有の豪快さや快活さもなく、感じられるのはセコさしか感じられません。

そんな一面を見てしまうと、誰も彼を応援したくなる人などいないはずでしょう。

しかし、コーヒーカップブチ込みの一件から、ぼくはそんな佐竹への
日々信頼が厚くなるばかりだったのです。

それは「佐竹はぼく自身だ」と思ったからです。

ぼくはこれまでの生活で一切の問題を起こしませんでした。

しかし、それは道徳心が咎めてたからしなかったのではなく、勇気や度胸がなく行動できなかっただけです。

本当は友達と授業中におしゃべりしたり、夜中コンビニの前にたむろしたりしたかったのかもしれません。

しかし、ぼくらにはその度胸も能力もありませんでした。
それが無意識に感じていたコンプレックスでもありました。

しかし、佐竹は真面目とクズの二面性をなんら恥じる様子はありませんでした。

真面目クズとして胸を張る佐竹は、ぼく自身を肯定してくれるようでした。

佐竹が映画館に行った時、上映中にカップルがおしゃべりしていて映画の邪魔だったのですが、直接カップルに注意せず、観終わった後、映画館のレビューサイトに「客層がゴミ」と書き込んだと言います。

それを聞いた時、ぼくは「なんて気持ちのいい男だろう」と思ったものです。


佐竹と同じ時間、同じ教室で現代文の授業で山月記を習いました。

臆病な自尊心と尊大な羞恥心。

今思えばこの一節は、僕らの本質を見事に言い表していました。

高校生活で袁傪と李徴のような出会いはありませんでしたが、二人の虎は卒業までキャッキャして過ごしました。

今振り返ると、それなりに楽しい高校生活を送れたことについて、佐竹には感謝しています。

高校卒業から10年以上経ちますが、今でも佐竹と会うと実家に帰ったときのような居心地の良さを感じるのです。

もし、今思い描いていた青春にならなくても、その先に希望はあります。



それでは!

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