「与えられた以上の価値を生み出す」から「見合わない」

 働いて給与を得た時、どうも働きと給与が見合わないと感じることがありませんか。これは、「人は与えられた以上の価値を生み出す」ということが要因ではないでしょうか。

目次
・人だけが新たな経済的価値を生み出せる
・「儲ける」ために「見合わない」が起きた
・「見合わない」が大きくなっている

○人だけが新たな経済的価値を生み出せる
 例えば、「木」はそのままだとただの木です。それ以上でもそれ以下でもありません。
 しかし、人が手を加えると「割り箸」や「木造住宅」など、ただの木から価値あるものになります。人によって「経済的な価値」が生まれるというのが正しい言い方でしょうか。直接に加工する以外にも、「木」に「パワースポット」という考えを加えて広告したら、観光資源という価値が生まれます。
 このように、人は「経済的価値がないもの」に手を加えたり、考えを加えたりして経済的価値を生み出す力があります。経済的価値を生み出せるのは、経済活動を行う人間だけです。木も経済活動を行う存在だったら、木自身が自分の枝を「これ割り箸にいいよ」と経済的価値のあるものにして、お金を稼ぐかもしれません。

○「儲ける」ために「見合わない」が起きた
 経済的価値(以下、「価値」とします)を生み出した次に、人が考えたことは「儲ける」ことでした。価値を作った時の労力以上に対価(お金)をもらえば、自分はそのお金で別のことが出来るようになります。
 価値を作った本人が直接お金をもらえるまではよかったのですが、ここからさらにたくさん儲けるため、人を雇って価値を生み出させる方法が広まってから、困ったことが起きました。
 雇われた人は、事前に決められた給与を安定してもらう代わりに、給与以上の価値を生み出すことになりました。給与以上の価値を生み出してくれないと、会社は儲けることが出来ないためです。すると、雇われた人は自分がいくら給与以上の価値を生み出しても、それに見合う給与を得ることが非常に難しくなり、金銭面において「見合わない」ことが発生しました。

○「見合わない」が大きくなっている
 これまでは、例え給与が見合わないとしてもしっかりした「安定」が与えられていたため、給与も含めた全体としてみると、雇われた人にも見合う形態だったのかもしれません。
 しかし、現代になって「もっと儲ける」ために、雇われた人が生み出す価値はどんどん高い水準を求められ、その一方で給与は上がりにくくなっています。さらに、「もっと儲ける」ために「もっと競争する」環境となったため、「安定」までも得にくい状況になって来ています。

 「人は与えられた以上の価値を生み出す」がために、どんどん見合わない状況になって来ているのではないでしょうか。

皆さんはどう思いますか。

※2020年11月19日 文章構成修正

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