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「小さくなるまちづくり」を考える④

 今回は、ちいさくなるまちづくりを実際に実現させようとした場合に、必ず突き当たる課題について考えてみました。

目次
・「成長・拡大」ではなく「縮小・消滅」を受け入れる難しさ
・「お金」ではなく「信頼」で成り立たせる必要性
・いままでの「借金」は誰が返済するのか

○「成長・拡大」ではなく「縮小・消滅」を受け入れる難しさ
 私たち人間を含めて、地球上の生物は「成長・拡大」することを本能的に求めるようにデザインされています。そして、自分の種をより繁栄させるために、絶えず競争を行っている中で人間においては人間同士でさらなる競争を行っています。
 そのような本能に対して、資本主義はまさに完全合致する考え方であり、これを基に私たちの社会は構成されています。このような社会で生活をしている私たちにとって、「縮小・消滅」を受け入れることがまず非常に難しいことです。
 自分の住むまちから、だんだん人がいなくなっていくことには寂しさや不安を感じるのが自然です。また、まちが小さくなることを受け入れることは、自分たちに再び「成長・拡大」する力や知恵がないと、無能であることを示すような、あきらめてしまったような「負のイメージ」があるかもしれません。

○「お金」ではなく「信頼」で成り立たせる必要性
 ちいさくなるまちづくりでは、お金を稼ぐ前提となる成長・拡大につながる活動を行わないため、お金をあまり必要としない社会にしなければなりません。そうなると、「信頼」に基づいて行う活動で成り立つ社会にする必要があります。
 普段の私たちは、お金を通して互いに協力する社会にいます(○○円支払うから○○をしてもらう、○○円をもらうから○○をする)。しかし、このお金をあまり使わないとなると、信頼によって協力する必要があります。お金のような、目に見えるお返しではなく互いへの思い合い(今日は○○さんが困っているから協力しよう。将来自分が困ったときに○○さんが助けてくれるはずだ)や自分にできることを考えて行う相手へのお金以外のお返し(感謝の言葉、食料や知識、感謝を伝える表現)を通した協力に基づく社会にしなければなりません。
 これは、お金をやり取りするよりも非常に多様でかつ個々人によって・その時々によって評価が変わってしまう難しい関係性をつくらなくてはなりません。

○いままでの「借金」は誰が返すのか
 最後に、少し視点を変えてまちを行政からみた際の課題を考えました。まちは必ずどこかの自治体に属しており、そのまちの人々が納める税金を主な原資として公共サービスを提供しています。しかし、自治体にいる人々の数が減ったり、主たる産業が衰退したりして納めてもらう税金が減っていた場合、現状の公共サービスを維持または向上するために「借金」をします。
 この借金は全国のほとんどの自治体で行われており、百兆円単位に上る金額となっています。国の場合は、国自体がお金の発行能力を持つため全く返せないことはない(ただし、お金の信用が落ちて社会混乱が起きる可能性はあります)ですが、自治体の場合はお金を発行できないので納税をしてもらうしかありません。
 ちいさくなるまちづくりは、納税の素となる経済活動の縮小を容認するものであり、納税額も当然減少してしまいます。その場合、それまでに抱えていた借金はどうやって返済すればよいのでしょうか。この課題がもしかしたら最も難しいものかもしれません。

 みなさんはどう思いますか。

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