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シン・仮面ライダーは「自分主義VS他人主義」【ネタバレあり】

 シン・仮面ライダーを鑑賞してから、映画で描かれた思想について自分なりに考えていた中で、「シン・仮面ライダーは自分主義VS他人主義という構図の見え方もあるのでは」と思い、今回noteにまとめてみました。

目次
・自分主義のショッカー
・他人主義の仮面ライダー
・双方を強化する科学の中立性

○自分主義のショッカー
 仮面ライダーが闘うショッカーの中枢はAIです。このAI は全体の幸福ではなく個人の幸福を追及することを目的としており、さらに過去にひどい絶望を味わい、社会では許容できない行為による幸福欲求を持つ者を対象として、幸福を実現させるべく動いています。以前にnoteで、ショッカーの名称から想像した目的を予想していましたが、実際にはかなり特定の個人を対象とした目的でした。
 他人の命を奪う、他人を意のままに支配する、といった行為で幸福を感じるショッカーの怪人たちは、極端な自分主義の存在だと感じました。「自分さえよければ(幸福ならば)他人がどうなってもよい」よりもさらに極端に「自分がよくなるために(幸福になるために)他人を傷つける」という考え方は、到底社会では受け入れられません。しかし、現実世界におけるSNSの誹謗中傷の応酬を見ていると、人間には誰しもショッカーの怪人のような、極端な自分主義があるのかもしれません。

○他人主義の仮面ライダー
 一方の仮面ライダー、本郷猛に対しては偏った他人主義を感じました。
 彼は、大学生時代に警察官の父親を猟奇的な犯人によって殺され、誰かを守るための強い力を求めるようになります。大学時代の恩師、緑川博士によりショッカーを倒すために仮面ライダーへ改造され、博士の遺言により娘の緑川ルリ子を守りながらショッカーと闘います。最後は、ショッカー怪人に殺されたルリ子の遺志を継ぎ、ルリ子の兄であり怪人となった一郎の野望を止めて、自身も死んでしまいます。
 映画で描かれた上記の経緯の中で、彼自身が「父親を殺したような犯人を許さない」「自分を改造したショッカーを憎む」といったような、個人的な思いを話すことはなく、父親や緑川博士、ルリ子から継承した思いによりショッカーと闘っているように感じました。怪人を殺した際も、頭を下げて祈る動作をしており、単純に悪である怪人を倒してスッキリといったような考え方ではなく、悲しい最後となった怪人への思いを感じました。
 こうしたところから、本郷猛は自分の思いではなく他人の思いを継承して最後は自分の命を落としてでも成就させた、偏った他人主義の存在だと思いました。

○双方を強化する科学の中立性
 自分主義のショッカー怪人、他人主義の仮面ライダーの双方について、その超人的な力の源はショッカー中枢のAIをはじめとする科学です。
  この科学については、映画において特に言及されていないのですが、現代のものをはるかに超えて進んでいることは間違いありません。この科学の力が怪人と仮面ライダーの力の源でもあるのですが、科学自体についての善悪は全く語られておらず、完全に中立的な存在としてあるのだと感じました。例えば、ショッカー中枢のAIが外部の情報を得るために自ら作り出したKというロボットが幾度か登場しますが、彼は単なる観測者として存在し、他の人々からもそういうものとして扱われ、特に破壊対象や憎悪の対象になっていません。
 自分主義VS他人主義、といった人間の価値観によるやり取りにおいて科学はどこまでも単なる力に過ぎず、それ自体には善悪も存在せずただ観測する者としてある、そのようなメッセージも感じました。

 皆さんはどう思いますか。

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