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子どもに伝えたいことシリーズ5 人を好きになるってどういうこと?

 今回は、子どもに伝えたいことシリーズの第5弾として、「人を好きになるとはどういうことか」について、将来子どもに伝える準備として自分の考えをまとめてみました。

目次
・「身体と心の両方で相手を求めること」が「好きになること」
・3パターンの「好き」
・「好き」って気持ちはステキだ

○「相手の心を求めること」が「好きになること」
 私は、誰かを好きになることは、相手の心を求めることだと思います。これとは別に、身体を求める感情もあります。
 身体を求めるとは、外見や性的な魅力に惹かれることです。あっけらかんに言えば、セックスしたい気持ちが一番分かりやすい。これは、生き物としての性欲に基づいたもので、とても自然な気持ちで悪いものでは決してないです。けれども、身体だけを求めることは「好き」とはちょっと違うと思っています。
 心を求めるとは、相手と交わすコミュニケーションに惹かれることです。コミュニケーションとは、お話をすることだけでなく、相手と一緒に何かをすること全般をさします。単に一緒にいることや、違う場所にいても同じことを考えるといった、とても広い範囲のものです。この定義だと、セックスも大切なコミュニケーションの一つと言えますが、身体を求めることの方にセックスは含めて、心を求めることからは除きます。
 相手に対して、他の誰よりもコミュニケーションをしたいと求めることが、「誰かを好きになる」という状態だと思います。 

○3パターンの「好き」
 心を求めることが「好き」になるならば、「心だけ求める」「心から始まって後から身体も求める」「身体から始まって心も求める」の3パターンの「好き」が考えられます。
 「心だけ求める」は、現実には身体がないアニメのキャラクターや、簡単には会うことの出来ないアイドルなどへの思いが当てはまります。これもステキな「好き」の思いであり、人間だけが可能な感情の状態ではないかと考えます。
 「心から始まって後から身体も求める」は、多くの人がイメージする王道の恋愛における「好き」の感情だと思います。相手とのコミュニケーションで惹かれていき、ずっと相手と一緒にいたい、つながっていたいという思いから身体も求めるようになる、という流れの「好き」で不思議と納得を感じるものだと思います。
 「身体から始まって心も求める」は、相手の外見がカッコイイ・カワイイという気持ちやセックスしたいという気持ちから相手を求めていきますが、互いにコミュニケーションをとる内に心の方も求めるようになる、という流れの「好き」です。生き物として自然な性欲から相手を求めていき、時間をかけて人間固有の心も求めていくという、個人的には流れとして自然に感じるものです。

○「好き」って気持ちはステキだ
 誰かに対して「好き」という気持ちを抱くことは、とてもステキなことだと思います。好きになることで辛いことやひどい思いをすることは無い、ということはありません。けれども、相手のことを「好き」と思うことは、相手を肯定し認めるものであり、同時に自分自身のことも肯定して認めるものだからです。
 「自分自身のことも肯定して認める」というのはどういうことか。自分の中に何か価値観があって、その価値観に合う相手に出会うことで心を求めるようになります。この時、自分の価値観を認めていないと相手に「好き」という気持ちが抱けません。自分が認めていない価値観に合う相手がいても、単に不快感しか感じないからです。好きの気持ちを持てるのは、自分が肯定して認めている価値観があり、その価値観に合う相手に出会ったことを示すなによりの証拠になるのかなと思います。
 「好き」という気持ちは、実は相手以外に自分自身にも向けられているものなのかもしれません。

 皆さんはどう思いますか。

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