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音楽的素養がない人間の作られ方

まえがき

 唐突だが、私には全く音楽的素養がない。
 まず、つい最近まで特に好きなアーティストがなかった。むしろ周囲の友達が、これと言って好きなアーティストや曲があり、それについて深く語れるのを不思議に思っていたくらいである。
 最近こそ乃木坂にハマったせい、特に乃木坂スター誕生のおかげか、色々聞くようになった。しかし特にこれといった意図や方向性がある自覚はない。なんとなく個人的に耳触りがいいと思ったものに適当にSpotifyでお気に入りしてるだけである。
 コード進行とか、メロディーが誰の影響を受けていて…なんていうテクニカルなところは、自分では何もわからないし、その話をされてもぶっちゃけ半分も理解できているか怪しい。
 別に楽器をやっていたわけでもないので、絶対音感は当然ない。何よりリズム感覚というやつが絶望的だ。乃木坂のライブで表拍取ってくれる人が近くにいないとコールとサイリウムが若干ずれるくらいの深刻な症状である。そんなだから、カラオケはいいとこ80点台である。
 今回は世の中そんな人間もいるんだよって話、そしてどうやったらこんな人間が生まれるかという話である。

原因を考えてみる

 正直自分が音楽的素養がないことはあまり気にせず生きてきた。
 しかし大学以降、乃木坂というビッグウェーブが内輪にやってきたことで、否応なしに音楽の話に巻き込まれるようになった。その中でようやく原因が見えてきたのである。

①ゴールデンタイムにテレビを見ない

 執筆当時24歳の私が「子供」だったのはもう10年以上前。まだスマホも普及していない平成の世にあってそんな家庭があるなんて事実かどうか疑われそうだが、事実である。単純に父親がテレビを見ながら食事をすることを嫌っていることが理由でそういう文化になった。(広島東洋カープ25年ぶりの優勝が決まる試合は特別に許可が下りたが…)
 更に小学校高学年の間は中学受験でそれどころじゃなくなり、辛うじて周囲の話題に付いて行くために見ていたアニメさえ見なくなったので、テレビはわざわざ見るものでもないという認識が完成されてしまった。
 これの意味するところは、ゴールデンタイムの番組をほぼ一切見ないで育つバケモンが生まれるのである。かくして流行りの音楽に触れるきっかけも、音楽というものに興味を持つこともなかったのである。
 ちなみに主題の音楽もさることながら、流行りの芸人までわからないという、特に小学生には致命的欠点を抱えることとなった。そしてこのことは、僕の絶望的なギャグセンという形で未だに尾を引いている…。(友人曰く、特に大学前半は「こんなに話がつまらないやつ見たことない」というくらい) 

②自家用車がない

 友人と話していて圧倒的な違いと感じたのはこれ。ご存知の方もいるかもしれないが、私が生まれ育った湘南という地域は、電車が日中でも6本/hくらいは確保されている。そして私の家は駅から歩いていけなくもない距離であったため、両親は自家用車を持たないという判断を下した。
 車を運転する人はよく知っている通り、運転中無音というのはしんどい。そこでカーステレオから音楽やラジオをかけるわけである。どうも友人たちはここから様々なものを吸収したらしい。しかし私の実家にはクルマがなかった。昭和歌謡全盛の時代に育った両親(加えて父親は軽音をやってたらしい)には人並みにちゃんと好きなアーティストがいるが、それに触れる機会は非常に限られていたので、影響なんぞ受けるはずもない。
 結局①と似た結論になってしまうが、自家用車のない生活が音楽に触れるきっかけと触れる量の違いを生み出したようだ。

③「音楽」が嫌い

 「」をつけた理由は、科目としての音楽ということを強調するためである。この音楽という科目が、小・中学校生活で敵としてついて回った。端的に言えば才能がなかっただけの話だ。しかし小学校で湘南という地域は、まあまあ子供への習い事が盛んな地域で、特にピアノなどの音楽系をかじった人は男子でも少なくなかった。(ジェンダーなんて言葉に今ほどうるさくない時代だったので敢えてこう書いておく)
 勉強はできた私だが音楽においては完全に置いて行かれてやる気をなくし、なんと市の小学校が集まる音楽会への出場をボイコットしたくらいだった。聞く音楽と自分でやる音楽は別とは言うが、少なくとも冒頭で例に挙げたようなテクニカルな話への拒否反応、そして音楽そのものへの抵抗感が生まれてしまった。音楽という科目から離れて8年も経ちそれらは薄れたが、結局今も音楽のテクニカルな部分はぶっちゃけよくわからない。

④そもそも自分が逆張り

 ここまで散々親と才能のせいにしてきたが、最終的にはここに行き着く。ただの逆張りなのである。(中高時代の大半を、撮り鉄というこの世の終わりみたいな趣味に費やし、しかもみんなが好きな国鉄型にはあまり興味が向かず比較的最近の電車ばかり撮っていたと言えば察してもらえると思う。)
 そんな人間だったので、みんなが興味を示すものに自分が興味を示すとは限らない(逆も然り)し興味を持つ必要もないと思って生きてきた。男子校だったから、好きな女子に合わせて…みたいな青くさいことをする機会もなかった。つくづく残念なヤツである 

そして現状

 そんなこんなで、特に音楽的素養も興味もないバケモンとして生きてきたのである。
 大学以降、人並みに?音楽に触れるようになったわけだが、今もこだわりらしいこだわりを持てるほどの素養はなく、流れてきたものをなんとなく好きか嫌いか判断しているような状態だ。端的に言えば浅い。わかりやすい例を出せば、僕は#乃木坂スター誕生リクエストを作れない。自己主張というか、アウトプットができる次元には到底達していないのである。
 そんな現状だが、今の音楽への感想は「別に演奏や論評みたいな高度なことはできなくていいだろうけど、結局人と話を合わせられるくらいには聞いておいた方がいい」という平凡な感想になる。というのも、先述の撮り鉄時代を高校の途中で反省して以降、それなりに友人のいる大学生活を送ることができたわけだが、結局「共通言語」はあった方が関係は作りやすい。大学の友人と「カラオケの年代ヒットチャートから選択の順位の歌を流し、一節ごとに交代回して歌う、わからなかったら罰ゲームで飲酒」というくだらないゲームをしたときに、スタ誕で出てきた曲が相当入っていて罰ゲームをそこそこ回避できた時には、共通言語の重要性を理解したものだ。こんな当たり前のことに気が付くのに学生生活10年余りを消費するんだから、逆張りと鉄オタって本当にクソ
 大学を9月で卒業してしまい、内定式などで来年から働く会社の雰囲気を見て思ったことは「バケモンのまま社会人にならなくてよかったかもしれん」。まともな人付き合いには、ある程度いろいろなものに興味持たないといけないのはお約束らしい。それに気づくタイミングが学生の間だったのは幸運なことだろう。

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