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私の原点

精神世界、心の在り方、自己啓発なんてものに興味がではじめたのは、6年間の大学生生活の後半あたりだった。

それまでの私は、やりたいことも、将来の夢なんてものもなかったし、
自信もなく、自己肯定感ってものも皆無に等しかった。


『なんのために生きているのだろうか。』



そんな事を幼いころから考える幼少期だった。


今振り返れば、親の愛情は存分にあったはずなのに、
当時の私は自分の存在価値を感じられず、説明し難い心の虚しさをいつも抱えて生きてきた。



必要な”物”は全て揃っているのに、
大事な”何か”が欠けている。

でも、その欠けている”何か”の正体もわからないままの10代だった。


苦しみやもどかしさを感じないようにする術を、成長と共に身につけた。

ただ全てに蓋をして、無難にやり過ごせば良い。
すると、全てが薄れていく。



誰もいない家の中
リビングのソファに寝転がり、吹抜けの天井を見上げた。


色も、音も、全てがただ白で塗りつぶされた世界。


これが、私だった。



何をしても満たされない、気持ち。

なぜ、こんなにも空っぽなのか、
どうしたら、幸せになれるのか、

その答えを知りたかった。


大学生となり、それまでとは全く違う人々と触れる機会が、私にきっかけを与えてくれた。

「もしかしたら、光が見つかるかもしれない」


小さな希望。
でも、その希望の種にドキドキしたのを覚えている。

乾いた土に水をあげるがごとく、
私はたくさん学んで、吸収して、
その度に救われる気がした。

在り方についてや、自己啓発にまつわる本も、貪るように読んだ。


心が潤って、感情ってものに触れ出して、
それまで感じなかった痛みも感じるようになって、
怒りや悲しみでわんわん泣いた日もあったし、
それ以上に幸せな気持ちや、人の温かさも感じれた日々だった。



もうすぐ30の歳を迎える今、
あの白で塗りつぶされていた世界とは別世界のような彩りの中で、私は生きている。


私は、今の私の世界を愛している。


苦しかったあの二十歳くらいまでの時間は、
これを学ぶためにあったんだと思える。

そう思えるようになった自分を好きに思える。

全部誰かや何かのせいにしていた自分より、
あの時間もひっくるめて愛せる自分が心地いい。


私は、私でよかった。


だから、私は学ぶ。
きっと、これからも学び続けて、
自分と同じような痛みを持つ人に
温かさと愛を持って、水を注いであげる番になるのだろう。


これが、私の原点。




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