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「命」、拾いました。(8年振り2度目)

唐突に、心筋梗塞から生還しました。急な話で…ってこういうのは大体急なんでしょうが、それにしてもあらあらまぁまぁ、とほんのり吃驚いたしました。病名的に死に至るようなイメージがあったものですから、あ、割と助かるもんなんだ、と思いまして。なんでも、前兆無しで来ると致命的になりがちだけれど、此の度の私のように前兆の段階で治療が出来れば、比較的助かる物らしいです。
という訳で、前回の子宮体癌超絶早期発見に引き続きまして、今回心筋梗塞前兆時速攻治療でもって、二度目の命拾いを果たしました。あらあら、まぁまぁ。

noteでは書いていませんが、5月下旬くらいから精神状態が本当に良くなくて、連日自殺相談関連の電話窓口に電話しては、大抵そういう所はもの凄く繋がりづらいので殆ど繋がらないということを繰り返したりしつつ、抗不安剤の摂取量が増えておりました。6月頭には一度OD(過剰摂取)で救急搬送されております。
救急の方にも運び込まれた病院の先生にも口々に「なんでそんなことしちゃったの」って聞かれたんですが、死ぬつもりじゃなかったことだけは確かです。矛盾するようですが、体感として、死ぬような量では全然ない、この程度なら全然どうってことない、というのは判って使用してました。勿論、だからって良いことではないですし、薬は用法用量を守るのは当たり前で、守らなければ危険、どこなら大丈夫なんて物はないのが正しいことですけども、「自殺」したくてそうしたのではなく、寧ろ死にたい死にたいとばかり思って今にもどこかから飛び降りたり首吊ったりしそうな自分を、何とか鈍く、ぼーっとさせておくために、次々薬をバリバリ噛んでいたというのが私の感覚の事実ですので、その通りに申しあげましたら特に説教もされませんでした。
胃洗浄するほどのこともなく、炭のお薬だけどばどば飲まされて(炭はわるいものを吸着して体外に出す作用があります)に三日酷く下した位で騒動は終了しましたが、精神状態に関しては余り変わりませんでした。
ただ、その時手持ちの抗不安剤全部使い果たしたので、以降のODはなくなりましたけれども。

もの凄く強く荒れ狂う希死念慮を、ODしてまで止めようとしていたのは、偏に猫がまだ生きているからです。我が家の猫は17歳で認知症、あと何年一緒にいてくれるかわかりませんが、私の方が先に死ぬのは絶対になしです。生き物を飼う基本です。最後まで責任持つのです。真空(まそら)を看取るまでは絶対に死ねません。私に置いて行かれたなんていう思いをさせてなるものですか。
私をこの世に繋ぎ止めているのは、もうその一念のみだと言っても過言ではありません。真空が身罷った途端私が自殺、全然あると思います。
noteのどこかに書いた記憶がありますが、梅雨時から夏場、台風の季節が過ぎるまで、私の体調が安定することはほぼありません。気圧、暑さ、気温変化などに晒されて例年屍と化しています。ですからその時期の私の精神状態も、体調に比例して悪化しがちです。そんな中、生きる気力、生きて行こうという意欲を、最早維持するのが難しい程多分年々私は弱っています。加齢もあるでしょうし、昔から長生きする気もしてなかったので、人生折り返しまで到達して「ここまで来たんだからもういいでしょう」と誰に対してか言いたいのかもしれないです。

ただ。
何で産まれてきたのかも何で生きてるのかもよくわかりませんし、凄く生きていたいかって言われると微妙としか年々言えなくなってしまっている私ですが、流石にこう上手いこと二度も命を拾うと、「これってイ㌔ってことなんかね」という気はうっすらとでもいたします。
別に神だ運命だを信じる訳でもありませんが、だからといってご縁やら人知を越えた物を完全否定するつもりもない、原始神道的世界観に違和感なく馴染んで生きてきた日本人ですので。(呉々も国家神道とは違う、原始も原始の神道的なアニミズム的何かとご理解下さい。昨今差別雑誌を配布しているようなものとは何の関係もありません。)
日頃の間の悪さには各方面よりがっつりと定評のあるワタクシですが、赤信号に全部ひっかかりまくるとか、映画館で一番見たかったシーンでトイレに行きたくなるとか、私が外に出ると小雨の降りが強くなるとか(雨女という訳ではなく基本性能は"間が悪い"です)、商店街のガラガラ回すくじ引きでは外れ玉以外でたことがないだとか、細かい運はない、寧ろ不運が多い割に、もの凄く大きなラッキーを拾うことがあります。癌の早期発見とか、心筋梗塞前兆にて無事生還とか。そう考えると日頃の不運は大きいのを引くためのチャージのような気がして、癌やってから、細かい不運が気にならなくなりましたね、チャージチャージ、と思って。
そしてそれは別段何の為にチャージしてるっていう意識なく、「でかいの引く為だろ」と思ってましたけど、その「でかいの」って畢竟、命の危機、なんですかねぇ。

本人がそんなに大事にしてるつもりがないから、とりあえず拾い上げて貰って「大事にしとけや」って言われてるんでしょうか。
当面は今の飼い猫の為。そして、もしもその飼い猫の死を乗り越えて、そこから20年生きられる自信がその時にもしもあるとしたら、次のもう一匹の猫の為。私一人生きているだけで、不幸な猫が一匹減らせるなら、拾ってくれてるのが猫の神様なら、大人しく抗わずにいようかなとも思います。
こんな時期なので、中々前向きになるのも難しいですが、でも猫と共に生きている瞬間瞬間は、やはり幸せを噛みしめるものなので。

BGMは打首獄門同好会「猫の惑星」でお願いします。


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