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メサイア・コンプレックスと起業家

コンプレックス(≒劣等感)の一種で、「メサイア・コンプレックス」という心理学用語があります。

メサイアとは「救世主」という意味で、メサイア・コンプレックスは何らかの劣等感を抱えている人が、誰かを救うことを通じて自分の劣等感を解消しようとする衝動の事を指します。

大なり小なり、いたるところにメサイア・コンプレックスは存在します。

例えば社会的に何かの理由で虐げられている人が、「弱者を救いたい」と立ち上がって活動家を始めることがあります。その行為自体は素晴らしいのですが、その本質は「自分が救われたい」であるということはしばしばあることです。

あるいは昨今ビジネス世界で流行っている「コーチング」も、時々コンプレックスを原動力に行われることがあります。自分の中にある劣等感を、誰かをコーチングする行為の中で解消しようとする場合、少し混じり気のある支援になります。

もちろん人間はすべからく何かしらのコンプレックスを持っているので、こうしたことがゼロであるほうがむしろ珍しいかもしれません。

しかし、そのコンプレックスが「度を超えた状態」で存在している場合は、自分の精神を健全に保てないばかりか、結果的に他人を救うことに繋がりづらいので注意が必要だと思います。

コンプレックスを持った起業家が表出する「怒り」


「起業」もしばしばメサイア・コンプレックスを原動力に行われます。

「今の社会はXXXがおかしい。自分含め多くの人が苦しんでいる。だからXXXを世の中から無くしたい」といったストーリーで起業するようなパターンです。

それ自体は良いのですが、先ほど書いたように度を超えた状態でコンプレックスを抱えている場合、起業する裏の目的が「自己の救済」になっていることがあります。

「度を超えた状態」でメサイア・コンプレックスを持っている場合は、その人の表情や語り口にそれが現れます。

例えば強い怒りの表情をしたり、あるいは語っているうちに感極まって泣いてしまったり、という形で表出されることがあります。コンプレックスに自分自身をコントロールされてしまっているのです。

起業家はワクワクするビジョンを提示し、人の共感を生み出すのが仕事です。メッセージに怒りがこもってしまうと、同様の怒りを持っている人しか周囲に集まってこず、負の感情がさらに増幅してしまうことがあります。また、自分自身の感情をコントロールできないようだと、リーダーとして組織をまとめていく際にも苦労します。

私はよく、「高い志と、ルサンチマン(怒り)は別物である」といいます。

一見、志高く熱い想いを語っているようでも、そこに怒気がこもっていないかは注意する必要があります。他人を救うためには、自分の中のコンプレックスは自分で解消しておけるのが望ましいでしょう。

次回はコンプレックスの解消法について書いてみます。





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