Jack

バンコク在住人事コンサルタント。Asian Identity 社CEO。ネスレ、リンク…

Jack

バンコク在住人事コンサルタント。Asian Identity 社CEO。ネスレ、リンク&モチベーション、グロービスを経て2014年にタイで起業。アジア×人事×経営。YouTubeチャンネル「リーダー道場」運営。著書『リーダーの悩みはすべて東洋思想で解決できる』

最近の記事

訪日外国人が300万人を超える一方、出国日本人の数が「4割減」ととんでもないことになっている

4/29(月)の時点で「1ドル160円突破」というニュースが飛び込んできまして、為替の動きから目が離せなくなってきました。 こうも円安が続くと海外旅行はどんどん足が遠のくだろうなぁ、、と思って数字を見てみましたが、やはり「日本から海外へ渡航する人の数」(出国日本人)の数は激減しています。 JNTOの「訪日外客数・出国日本人数」という統計を見てみます。 まず訪日外国人は3月に月間「300万人」を超えました。かつて「年間2千万人」を目指していた頃が遠い昔に感じられるような数

    • 日本はなぜ「二重国籍」を認めないのか?

      「二重国籍」の問題を取り扱ったアベプラの番組。海外に住むものとして関心の高いトピックでとても興味深く見ました。 「世界の75%の国々は二重国籍を認めているが、日本は認めていない。」「しかし、実態としては容認しているダブスタ状態」というのが日本の現状です。国籍は22歳の際に選択義務がありますが、選択したかどうかの把握を日本政府がしていないためです。確かに「パスポート2枚持ち」の人は結構いますので、実質的には容認状態だと思います。 コロナの際にこの問題の大事さと難しさを痛感し

      • 岸田首相が晩餐会で見せた「自虐スピーチ」はなぜ効果的だったのか

        日本人が海外で行うスピーチを見るのが好きですが、今回の岸田首相の晩餐会でのスピーチはとても評判が良いものでした。 おそらく優秀なスピーチライターがついているのでしょう。晩餐会という場にあわせてジョークをいくつも盛り込んでいました。特に、何度も入っていた「自虐ユーモア」が私はとても印象に残りました。 自分を下げる前に誰かを上げる 地位の高い人物がユーモラスに自分を茶化すことは親近感を増す効果があります。が、それを狙ってやるのはなかなか難しいものです。 岸田氏が用いたユーモ

        • 「子供は手をかければかけるほどダメになる」~岡田監督流の子育て論

          これは全親に見てもらいたい動画だなと思いました。 サッカー監督を経て、教育業界に身を転じた岡田監督は、口を出しすぎる親が子供をダメにしていると言う。 一方、先生は「途中のセーフティーネット」としてかかわるべきだとして、教えすぎない指導方法を語る。 最後に、我慢できずつい口を出してしまう親へのメッセージとして「子供を大人として認めてあげる」ことの大事さを説く。 「愛情があるあまり、口を出してしまう」というのは多くの親にとって耳の痛い話かもしれない。中学生から高校生くらい

        訪日外国人が300万人を超える一方、出国日本人の数が「4割減」ととんでもないことになっている

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        • 岸田首相が晩餐会で見せた「自虐スピーチ」はなぜ効果的だったのか

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          残るか、帰るか。~タイ起業10年記⑯

          バンコクのロックダウン生活が始まって間もなく、4月初旬のことだった。 義母急逝の連絡。 家の中には動揺が走った。 通常なら、もちろん飛んで帰るところだ。 だが、今は世界中の飛行機がほとんど欠航している状態。 しかも、いちど日本に戻ったらタイに戻れる保証はない。 帰るか、残るか。どうする? さんざん悩んだ挙句、片道切符で日本に帰ることにした。 お義母さんを見送りたい。その一心での決断だった。 調べたら、インチョン経由の大韓航空がかろうじて飛んでいることがわかったので速攻

          残るか、帰るか。~タイ起業10年記⑯

          「流れ星を捕まえるように」文章を書く~1か月間のブログ生活を終えて

          2月の1日~29日の1か月間、ブログを書くと決めて今日が最終日。 15人の仲間の皆さんと励ましあいながら、なんとか完走することができた。(皆さんの記事は #1か月間ブログ書くぞ のタグから読むことができます。) 途中から始めた「タイ起業10年記」はまだ続いているので、執筆はもう少し続けていくが、「毎日必ずポストする」というのは今日で少し緩めることにしたい。(しんどすぎるので笑) 1か月文章を書いてみて思うこと。それは、 「毎日書く中で、いろいろなシンクロニシティ(偶然

          「流れ星を捕まえるように」文章を書く~1か月間のブログ生活を終えて

          そして「バンコク封鎖日記」が始まった~タイ起業10年記⑮

          2020年のコロナ騒動は、僕らタイにいる日本人にもかなりの影響があった。 日本よりも厳しいロックダウンのせいで、生活は不自由になった。タイ全土に非常事態宣言が出て、移動も不自由になった。子供たちの学校も投稿停止になり、リモート授業に切り替わった。 駐在員は日本に帰れない・家族に会えない日々が続き、現地採用の方の少なくない人数は日本に帰った。そして僕ら中小起業家も、撤退・縮小などを含めた経営判断を求められた。 これは大変なことになる。 そう思った僕は、とにかくこの混乱の

          そして「バンコク封鎖日記」が始まった~タイ起業10年記⑮

          「1800万円のサイン」で手が震えた日~タイ起業10年記⑭

          最悪の状態の組織から脱するための「勇気」。 それが僕には必要だった。 そんな時、強制的に勇気を出さなくてはいけない出来事があった。 それは「オフィスの移転」だ。 先日書いたように、パートナーとのすれ違いもあって、共同で使っていたオフィスから出ることを決めた。2018年の後半ことだった。 もちろん、強制的に出たのではなく、自分の意志で出たのだ。 何かを変えたい。 環境を変えることで新しいスタートを切れるのではないかと期待した。 どうせ出るなら、みすぼらしいオフィスにはし

          「1800万円のサイン」で手が震えた日~タイ起業10年記⑭

          「会社をつぶそう」と思った日~タイ起業10年記⑬

          この10年間、幸いにして倒産の危機というのはなかった。 お陰様でお客さんからの依頼は途切れることが無かった。 労働集約的ゆえにメチャクチャ儲かるビジネスではないが、少しずつ組織を大きくしながら、日々より良い仕事をしていくことに充実感を感じてきた。 ただ一度だけ、本気で「もう経営をやめたほうがいいんじゃないか」と弱気になったことがある。 それは、組織の信頼関係が崩れてしまった時だ。 弊社の企業理念の中に、「Show by Examle(範を示す)」という言葉がある。人事

          「会社をつぶそう」と思った日~タイ起業10年記⑬

          「感謝と貢献」。タイのスーパースター、ガンちゃんから学んだこと~タイ起業10年記⑫

          私がこの10年間でお世話になった恩人を二人挙げろ、と言われたら間違いなく前回書いた師匠の鶴田先生と、ガンちゃんを選ぶだろう。 ガンちゃんはタイにいる人であれば知らない人はいない有名人だ。 流暢な日本語を駆使し、通訳や司会を務めて多くの人を魅了している。 起業する際に、ガンちゃんは僕の会社の経営パートナーになってくれた。 タイ人無くしては経営ができないタイという国において、これ以上の強力な味方はいなかった。 起業してまもなく、僕は師匠の鶴田先生のセミナーに、彼を誘った。

          「感謝と貢献」。タイのスーパースター、ガンちゃんから学んだこと~タイ起業10年記⑫

          「参加者が2人しかいない研修」をどう運営するか?~タイ起業10年記⑪

          師匠の話をもう少しだけ続けたい。 私が彼から学んだことはあまりに多いのだ。 ーーー 研修・セミナー事業をやっているものにとっての恐怖の一つが「参加者が集まらないことへの恐れ」である。人が少ないと寂しい雰囲気になってしまうし、自社主催の研修であれば会社のイメージにも影響しかねない。 私の師匠はそんな修羅場を何度もくぐってきた。 参加者が「たった2人」の3日間の研修を運営したこともあるそうだ。 「研修の朝、参加者が会場のドアをあけると、椅子が2つ並んでいるだけ。参加者は驚

          「参加者が2人しかいない研修」をどう運営するか?~タイ起業10年記⑪

          「自分を信じろ。」すべてを変えた師匠との出会い~タイ起業10年記⑩

          起業してまもなく、「おススメの人物がいます」と知人から勧められ、会いに行った人物がいる。それが鶴田哲生先生だ。 彼との出会いが私の人生観を大きく変え、その後の起業家人生を支えてくれたと言っても過言ではない。 鶴田先生はベテランの研修講師で、長年にわたって想いを込めて研修事業をやってこられた方だ。 現在既に70歳を超えておられ、ご体調の問題もあり昨年会社をたたまれたが、今もお元気でいらっしゃる。私がお会いした時は、65歳でありながら物凄くエネルギッシュに研修講師をされてい

          「自分を信じろ。」すべてを変えた師匠との出会い~タイ起業10年記⑩

          なぜJackなのか?分人のススメ~タイ起業10年記⑨

          ところで、私は海外では「Jack」と名乗っている。 起業する前から使っているのでもう12年くらい名乗っていることになるが、実はこれは私の人生の最良の判断の一つではないかと思っている。 Jackと名乗ったきっかけは、「海外で働くうえで何かイングリッシュネームがあると良いよ」と勧められたから。 実際、シンガポールにいる中国人、韓国人、台湾人などの東アジア人の多くはEnglish Nameを持っている。 また、タイ人は生まれる時にニックネームを親からもらい、それが本名と変わ

          なぜJackなのか?分人のススメ~タイ起業10年記⑨

          「社員が辞める」ことに心をえぐられる~タイ起業10年記⑧

          前回、優秀なタイ人社員を採用でき活躍してくれた話を書いたが、残念ながら最終的には辞めてしまった。その時はだいぶ心が波立つ日々を過ごした。 もともと私は「人との別れ」が苦手なタイプだ。 昔から同僚の送別会では泣いてばかりいた。これまで仲間だった人と別々になることがとてもつらかったのだ。 だが、ジョブホッピング社会のタイでは、社員がいずれ辞めてしまうことは避けては通れない。今は「長くいてくれるに越したことは無いけど、5年いてくれたら成功」と割り切って考えるようにしている。

          「社員が辞める」ことに心をえぐられる~タイ起業10年記⑧

          2人の天才・ガードとジョン~タイ起業10年記⑧

          そんな採用活動で入社してくれたタイ人たちの中でも最も忘れられない存在、それがガードとジョンだ。 ガードとジョンは最も最初に入社したメンバーだ。前回記事の通り、たくさん面接した中の「当たり」人材だったが、今思い返してみてもよくこんな人材が取れたな、と思う。 とはいえ、創業初期の会社の採用にはアドバンテージがある。「これから始まる新しい船に乗組員になりませんか?」というメッセージが打ち出せるのだ。 特に弊社はビジョンとして「欧米のモノマネではない、新しいコンサルティングファ

          2人の天才・ガードとジョン~タイ起業10年記⑧

          タイ人と面接しまくった話~タイ起業10年記⑦

          事業をスタートしてまず重視したのは「採用」だ。 「早くチームを持て」という先輩のアドバイスに従い、稼いだお金は迷わず人材につぎ込もうと思った。何より、自分は人事屋なのでタイの人材マーケットに精通していなくては話にならない。 すぐに広告を出して、応募を集めた。 幸い、タイはジョブ掲示板に広告を出せば、とにかく応募は来る。大半は箸にも棒にもかからない人材だったりするが、100通、200通と見ていけば中には「当たり」がある。そこに行きつくまでとにかく履歴書を見まくり、面接をしま

          タイ人と面接しまくった話~タイ起業10年記⑦