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一人オセロゲーム

幼い頃、家族でよくオセロをやった。そのオセロが、今も実家にある。私は弱い。だいたい負ける。

オセロで負けたことのない、キンコン西野さんによると、最初から数を取りに行ってはいけないらしい。オセロは、最終的に盤面を自分の色にすればいいというゲーム。最初から数を取りに行って、自分の色だらけにしてしまうと、自分の打つ手がなくなってしまうんだとか。なるほど!

最近になって、人生での、ひとつひとつの経験って、オセロのようにひっくり返せるのかもと思った。もしかしたら、ゆたかさとは、一人オセロゲームをしながら気づくこと、感じることなんじゃないだろうか。

人生2回目の韓国生活を経て、私は韓国が大嫌いになってしまった。もう2度と関わりたくない。なんで韓国語なんか勉強したんだ。日本語と語順が同じで、AIが楽勝で通訳翻訳してくれちゃうであろう言語を。この先、何の役にも立たないじゃないか!韓国と関わった20数年を取り戻したい。そんなふうに思っていた。

もし単純に、オセロの白い面がポジティブな経験、黒い面がネガティブな経験だとしたら、私の人生のオセロ盤は、真っ黒だった。

別れた男を忘れるために、他の男になびく女のように、他の言語に手を出してみた。中国語、フランス語、スペイン語。いま、私の本棚には、これらの言語の初級入門編が並んでいる。どれも「中古品ー非常に良い」状態である。

人生のオセロ盤に白を置いて、ひっくり返そうと思ったが、失敗した。

その後、私がやったことは、置いてある黒を、もっと濃い黒にしていくことだった。そして、わずかにある白までをも、黒にひっくり返す行為だった。

韓国について書かれた本を読んでは、「そうなんだよ!まったく、その通り!」と、自分の気持ちを代弁してくれるものを探した。その度に、嫌だった経験、その時の感情がよみがえってきた。それを繰り返したから、嫌な気持ちは増幅するばかり。なんの解決にもならない。

泥沼にはまり、もがけばもがくほど、沈んでいく感じだった。抜け出せなくなっていた。

そんなある日、フミコフミオさんの『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと・・・・・・と考えると胃に穴が開きそうになる。』を読んだ。笑った。笑いまくった。

そっか。私が韓国で経験した出来事も、こんなふうに書いてみれば、笑えるのかもしれない。フミコフミオさんだって、面白おかしく書いているけれど、その時、その場では、決して笑えたことではなかったと思うし。

ということで、noteに書き始めた。自分が過去の出来事を「笑えるように」書くことにした。

そしたら、ちっともひっくり返ってくれなかった黒が、少しずつひっくり返り始めた。パタパタとひっくり返ってくれた。

ひとつひとつの経験は、黒だったとしても、時間が経って、振り返ってみると、少し見方が変わっただけで、ひっくり返ったりする。他の経験とつながって、白になったりする。

そしてまた、ひとつひとつの経験は、白だったとしても、最後に黒が置かれると、全部が黒になってしまったりする。

例えば、恋人との楽しかった経験の数々も、最後にひどい別れ方をしたら、全てが黒くなってしまうように。

こうして、白になったり、黒になったり、パタパタとひっくり返るのが、ひとつひとつの経験なのかもしれない。

白い経験をひとつ置けば、ずっと、幸せか?と言ったら、そうでもない。たぶん、幸せって、瞬間瞬間で感じるものであって、続くもの、状態ではないから。

だから、幸せを感じ続けたかったら、白になるか、黒になるかわからないけど、石を置き続けなければならない。

慎重にひとつひとつ白を置いてもいいのかもしれない。でも、最初から数を取りに行って、白だけにしてしまったら、打つ手がなくなる。黒を白にひっくり返す楽しみがなくなる。

であれば、とにかく石を置いていく。そして、たまに振り返って、オセロ盤全体を眺めてみる。黒を白にひっくり返してみる。別に白にしなくたっていい。黄色でもピンクでも青でもオレンジでも、自分の好きな色にすればいい。

そうやって、人生のオセロ盤を、自分の好きな色に染めていく時に感じるのが、ゆたかさなんじゃないだろうか。

私は今現在、お金もない、パートナーもいない。この先、どうやっていけばいいんだと、いつも思う。だけど、noteを書きながら、自分のオセロ盤で黒を白にひっくり返しているうちに、けっこうネタがあるな、意外とゆたかかも、と思ったりした。

だから、これからも、何色になるかわからない石を置いて、たまに振り返ってみよう。最終的に盤面を自分の色にすればいいんだから。





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