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脳裏から離れない絵がある、ということ

通っていた高校は上野動物園の裏にあった。JR上野駅を降りてから高校までの通学路にはたくさんの文化施設が並んでいた。国立西洋美術館、東京都美術館、東京芸術大学など、そのどれもが毎日様々な企画展示をしていた。ジャコメッティ展や、芸大生の卒業制作など、興味を引くものばかりだった。

しかし私は、なんとなく足が向かなかった。行きたくないわけではなかったが、当時の私には友人とマックで喋ったり、軽音部でギターを鳴らす方が有意義に思えた。

大学3年生の春、一人で中国地方を旅した。京都から山口まで、鈍行電車で様々な場所を訪れながら。岡山県の倉敷市には、有名な美観地区がある。水路を中心に伝統的な街並みが広がっている、とても美しいところだ。そしてその水路の脇にある大原美術館は、倉敷観光をする上で外せないスポットだった。荘厳で上品なのに、優しい雰囲気で満ち満ちている所だった。一旅行者であった私も、軽い気持ちでそこに入った。

一枚の絵画の前で、私は度肝を抜かれた。

目前に展示されていたのは、カリエールの『想い』という作品だった。肘を立てて顎に手を当てた女性がこちらをみている。ピントがぼやけた絵だ。はっきりとしないその顔に、私は今まで出会ってきた様々な女性を重ね合わせていた。昔好きだった子や、大好きな女優、お母さん。私のその人に対する「想い」が『想い』に写り、それを見ているようだった。私はここで、私のnoteごときで『想い』に触れて欲しくない。機会があれば、いつか生で見て欲しい。

私は長い間、そこから動かなかった。なるべく長い時間、この絵と対峙していたいと思った。帰りに、その執着を引きずるように『想い』の小さなポストカードを買った。絵の中の女性が、私の心の中にずっといるような感覚は、今も消えていない。

芸術を鑑賞する一番の利点は、衝撃を受けることだ。今までの自分が壊れて、新しい自分が再構築されることを実感できる。大切な芸術作品が増えるほど、新しい自分に出会える。

私は久しぶりに、上野に通うようになった。

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