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Episode3 人生はスカイダイビング

〝人生はスカイダイビングと同じである。成功の秘訣は飛行機の外に出ないと知ることができない。〟

これは、イギリスNo1の若手起業家であり、お金を使わずにビジネスを作り出すプロフェッショナル、ピーター・セージの言葉です。

私にとって、日本を離れ、お金もコネもないフィリピンで起業するということは、まさに人生のスカイダイビングと言っても過言ではありませんでした。

2008年、世界一周旅行の途中でフィリピンの首都、マニラに立ち寄りました。その年、日本とフィリピンでEPA(経済連携協定)が結ばれ、フィリピン人看護師・介護士が日本に渡航することが認められました。そこで、自分の目で、その最前線にある介護士養成所を調査するのが目的でした。

とはいえ、調査をするといっても、そもそも初めて訪れたフィリピンで、知り合いも誰もいない、介護士養成所の情報もない、何をどうしてよいのかさっぱり分かりませんでした。当初は、「地球の歩き方」を握り締め、異国の地を、安宿を目指して彷徨っていました。

数日後、幸運なことに、宿で出会った英語教師のフィリピン人が、介護士のライセンスをもっており、彼女が通っていた介護士養成所を教えてくれました。

介護士養成所に突撃訪問

翌日、手書きの地図を頼りに、ようやく古びたビルにある介護士養成所を見つけることができました。敢えてアポイントメントを取っていない直撃訪問です。

おそらく、電話でアポを取ったとしても、けんもほろろに断られるでしょう。貧乏旅行中なので、スーツもなければ、名刺もない、肩書もないし、所属先もない。自分は世界を放浪しているただの貧乏旅行者なのです。

そんな自分が、「日比の架け橋になるために、介護士養成所を調査したい」という熱意を伝えるためには、代表者に直接会って話をするのが一番効果的だと考えました。

さて、怪訝そうな受付の女性との問答の末、ようやく代表者に会えることになりました。応接間に通されてから数分後、50代と思われる中国系フィリピン人の男性が秘書を連れて現れました。私の拙い英語での説明を一通り聞き終わった後に、彼は一つチャンスを与えてくれました。

この養成所に日本語を教えている日本人がいるとのこと。その日本人と話をして、彼が認めてくれたら、私の調査に協力してくれると言ってくれました。その日本人は、代表者が最も信頼を置いている人物とのことです。

条件付きではありますが、何とか次につながる結果が得られ、ほっと胸を撫でおろしました。

運命の一日

翌日、養成所に向かう途中の古着屋で、50ペソ(約100円)の黒のポロシャツを購入しました。そして、自分の持っているズボンの中でもっともフォーマルであったジーンズとあわせ、できる限り失礼のない格好を心がけました。

ノートを適当な大きさに切って、そこに自分の名前とフィリピンで使用していた携帯番号の記して、即席の名刺もどきも作りました。その日本人との面談に臨むにあたり、私にできる精一杯の準備をしました。

さて、私が部屋に入ると彼はすでに席に着いていました。一目見てプロのビジネスマンだと分かる堂々とした雰囲気がありました。

しかし、貧乏旅行者の自分には失うものなど何もありません。等身大の自分で、何年も積み重ねてきた自らの想いをぶつけました。すると、黙って私の話を聞いていた彼は、一言、こうつぶやきました。

「やっぱり、日本の若者は素晴らしい」

話を聞いてみると、彼は、若い頃から大手商社に勤め、アフリカ、中東、東南アジアでビジネスを開拓してきた海千山千のビジネスマンでした。20年以上勤めていた商社を辞めてからは、フィリピンで起業をして成功を収めた起業家でもありました。

現在はビジネスの世界から離れて、お世話になったフィリピンに恩返しをしたいと、日本語教師をボランティアで行っているとのことです。

彼はビジネスで世界中を回っていました。そして、海外で若い日本人に会うたびに、彼らが自然と身につけている礼節、謙虚さ、そして、インテリジェンスを感じ、日本の若者は他国と比べることが出来ないほど優秀であるという考えをもっていました。

私も日本人なので、数割増しで見ていただけたのかもしれません。しかし、起業家としての目線で、彼は私の中の何かを買ってくださったようです。

その後は、彼の計らいで、介護士養成所の調査だけでなく、マニラにある高齢者施設や病院の見学、介護分野の関係者の紹介など、一気に道が拓けました。フィリピンに半年間滞在して、渡比以前には想像もできなかったほどの経験と人脈を創ることができました。

「安全領域」の外にある世界

しかし、日本に帰国して2年、介護・福祉分野で、私の海外経験を活かかせる職場を探すも、どこからも相手にされず途方に暮れていました。

すると、前述の彼から「フィリピンで一緒にベンチャービジネスをやらないいか」と声が掛かりました。日本に留まっていても先は見えている、このチャンスに賭けようと、トランク1つで再びフィリピンに渡りました。迷いは全くありませんでした。

現在、フィリピンに来てから3年目を迎えています。起業したとはいえ、まだまだ実績も上がらず厳しい状況が続いています。しかし、日本ので働いていた時よりも何倍も何百倍も楽しく仕事をしています。

自身のことを振り返り、「安全領域」から飛び出して本当に良かった、と心から思います。飛行機の中にいれば確かに心地よく安全であり、何も考えなくても与えられた目的地に着くことが出来ます。

しかし、実は飛行機の外には大きな世界が広がっていて、無限の可能性と目的地が用意されています。

どの目的地を選ぶかは自分次第。全てが決まったツアー旅行では味わえない貧乏旅行の醍醐味は、自分の行きたいところに、自分の意思で行けることです。

Written in November 2013

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