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世代交代は刻一刻と進んでいる事を松の木で痛感した

「松の木が虫に食われて死んでしまった」と、実家に住む母から連絡があった。
彼岸の墓参りを兼ねて実家に帰った時に、その松の木があった場所を見てみると確かにない。

妙にスッキリしていて、始めから松の木など無かったかのように、すっかり存在感を消しさっていた。しかしここに松の木があったという事実を知っている私には、そのスッキリとした景色に違和感を覚えさせて、もの哀しくさせた。

切り取られた後の年輪を見ると実に40数年生きていたようだ。

頭の中で40年前のことを想像する。私はまだ生まれていない。兄もまだ生まれていない。
両親は20歳くらいだろうか。まだ結婚していないだろう。私の祖父と祖母は40代。
遺影でしか見たことのない祖祖父、祖祖母が元気に生きていたに違いない。

数年後、父と母が結婚して兄と私がが生まれた。

私が生まれた時には既に、祖祖父母共に他界していたので、祖父、祖母、父、母、兄、私の6人家族だった。
それに加えてコリー犬が一匹。
父の趣味でインコが数え切れないほど。
その他にウサギや亀や、よく分からない七面鳥のような鳥など、沢山の生き物たちがおり、生命に満ち溢れた騒がしくも賑やかな毎日を送っていた。

やがて、わたし達兄弟も成長し、思春期になり間もなく大学進学の為に兄が家を離れた。私もその3年後、大学に進学し家を離れた。

その数年後に、祖母が他界し、後を追うように祖父も亡くなった。

6人家族だった家はたった5年の間に父と母の二人きりになってしまった。

そして、今わたし達家族をずっと見ていた松の木も死んでしまった。

わたし達家族の40数年を見守りながら、静かに死んでいった松の木。

松の木が死んだ1ヶ月後に父と母は新しい家を建ててこの家から新居に移り住む予定だった。

つまりこの家にはあと一ヶ月後には誰もいなくなる予定なのだ。

木にも命が宿っており、感情があるとするのなら
松の木は、この家に誰もいなくなることを知っていて、自分の役目は終わったと思ったのだろうか。
そう考えてしまうような見事なタイミングで松の木は死んだ。

兄夫婦に子供が生まれ、その子供を見せにきた数ヶ月後の出来事だった。

世代交代が無事に済んで自分たちの代から新しい時代にバトンタッチ出来たと安心して死んだのだろう。

そんな事を考えながら松の木の切り株をじっと眺めていたら、子供の頃の色んな思い出が蘇ってきて何だか淋しい気持ちになった。

楽しかった思い出の筈なのに寂しくなるのはなぜなんだろうか。

永遠に続く事などこの世に何一つないとは分かっているのだが、賑やかだった家が永遠に続けばいいなと心のどこかで思っているからだろうか。

年を取った両親をみて、今度は私がしっかりしなければと奮起するものの、いつまで経っても両親の前では子供の私。

「世代交代は終わってるのだよ」と松の木が教えてくれた気がした。

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