僕らは皆、「踊っている」のか。ハルビンの青年との哀しみのダンス。

2019年3月21日
昨日の夜、深センのゲイと会った。中国で主に使用されているゲイアプリ経由で連絡してきた人で、顔もプロフィールも曖昧だった。
18:00に仕事が終わるからご飯でも行きませんか?と言われ、OKをしたものの18:00を過ぎても連絡が来ない。業を煮やして僕は再度連絡すると、「もう少しで終わるから」という返事。結局、僕は、2時間近く待たされて、近くのショッピングモールに来るように言われる。とても振り回されている。普段なら、もう少し早く損切り、というか、次の予定を入れてしまうのだけれども、何もすることがなかったし、僕はおとなしくその人の指定したショッピングモールに行くことにした。
「何が食べたい?」とその道すがら彼が言い、僕は「辛くないものを」と指定する。「ここ最近、辛いものばかり食べて、お腹の調子があんまりよくないんだ」と理由を付け足す。彼は、関東料理と点心と上海の料理かなにかの選択肢をくれる。僕は、二日目に食べてはいたけれども、点心を選んだ。
僕らはショッピングモールの入り口で会った。点心のお店はとても洗練されており、水曜日にも関わらず、たくさんの人で賑わっていた。彼はオンラインのメニューではなく、紙のメニューを僕のために頼んでくれ、僕らはそれをみながら何を食べるか選んだ。彼の英語はとても流暢で、僕らは自然と英語で話すようになっていた。今まで会った中国の男性とはほとんど僕の拙い中国語で会話をしていたから、しゃべりやすさは段違いだった。
彼は中国の北に位置しているハルビン出身の30代後半で、ごく普通の印象だった。
僕らはいろんな話をした。おじいさんは、日本語の先生をしていたこと。ハルビンの故郷の家には、日本語の本がたくさんあったこと。おじいさんもおばあさんも日本語が喋れたこと。おじいさんは、中国の悲しい過去のせいで農村に送られたこともあるということ。歴史に翻弄されてきた彼の父親は、だから、彼に日本語はやらせなかったということ。彼はロシア語ができるということ。ハルビンの多くの人々がロシア語を勉強しているということ。ウラジオストックからモスクワまでシベリア鉄道を旅したことがあるということ。東京と大阪には来たことがあるということ。

僕らはそんな話をしていた。
僕達は、そのあと、地下鉄に乗って、ジャズバーへと向かった。昔、国営のテレビ製造工場があった跡地に作られた小洒落たアート空間兼飲食店が立ち並ぶ界隈は、先程のショッピングモールよりも幾分か静かだった。2週間に1度はここに来ると彼が行っていたそのバーのテラス席は、とても心地よかった。それでも、「この心地よさは、長くは続かないよ」と彼が言ったことが、とても印象的だった。僕は「どういう意味?」と聞き返した。彼は、「夏は、とても暑いからね」、と付け加えた。

僕らはさらに話しを続けた。
彼は今、母親と一緒に住んでいて、彼の母親にはゲイであることをカミングアウトしていないということ。彼の母親は、彼が彼女を連れてこない不満を常に伝えてくるということ。それ故、彼は家に帰りたくはなくて、いつも夜遅くに帰るということ。彼は、鬱で、毎日、薬を飲んでいるということ。誰にもゲイであることも、鬱であることも、カミングアウトしていないということ。彼は奥手で、深センのゲイバーに行ったことはないこと。北京のゲイバーにいったときには、場違いな感じがしてしまったということ。ゲイの友達もいないということ。

ジャズバーでは、ジャズに合わせて欧米系の人々がダンスをしていた。とても優雅にみえた。
彼は、ウォッカをロシアのイケメン兵士と一緒に鉄道内で飲み潰れた話しをして、ウォッカベースのカクテルを頼む。スマートフォンで注文をすると、すぐに運ばれてくる。僕も一口もらう。とても強いアルコールの味がする。
深センは、僕が5年前にきたときから、確実に発展している。
きれいなトイレが使用できる。
地下鉄の路線が増えた。
ショッピングモールにはなんでもある。
それでも、私達の価値観は変わらない。
結婚をしなさい、結婚して子どもを産みなさい。
ねぇ、僕達が、僕達を苦しめる仕組みが、日本にもここにもある。
僕たちは、すぐに会えて、すぐにわかってしまう。
喜びの形ではなくて、苦しみの形が似ているから。
結婚してもいい、しなくてもいい。愛する人なら男でもいい、女でもいい。それですら、必死なのだ。
もっと、ラディカルに、愛さない人とセックスしてもいい。一生、誰ともセックスしなくてもいい。何人でセックスしてもいい。ねぇ、そんな感じには、到底辿り着けそうにない。すべてを破壊してみんなで進んでいける気が、僕はここでもしない。
とても大きな流れに流されつつ、溺れている人と、その溺れなど、ないかのように見えない国と。個人と。大きすぎて溺れそうになっている人々が、溺れそうになっているのを、僕らは皆、「踊っている」のだと思っているのかもしれない。
高級なジャズバーのメニューになくて、頼みそこねたハルビンビールの、とても薄く澄んだ苦味を、僕は求めていた。

にじいろらいと、という小さなグループを作り、小学校や中学校といった教育機関でLGBTを含むすべての人へ向けた性の多様性の講演をしています。公教育への予算の少なさから、外部講師への講師謝礼も非常に低いものとなっています。持続可能な活動のために、ご支援いただけると幸いです。