個性の正体

私は約20年以上洋服屋でやっている。

東京で10年地方で10年。たくさんのお客様をお相手させていただき今に至る。

私はメンズウェアの中でも特にスーツやジャケットといったドレスアイテムを中心に専門として販売してきた。

ここ10年で時代の着こなし方は一気に変わり、世の中で言うカジュアル化がさらに進んでいる。

今回のコロナでさらに加速した。今スーツやジャケットといったものはファッションアイテムとしては存在するが、マナーのウエアとしては既に存在しないのかもしれない。そんな考えを10年前くらいから徐々に感じながら仕事をしてきました。

今やスーツを着る人口はほとんどいなくなり、ジャケットを着る人もちらほら。そんな世の中で改めて「服は個人の個性を表現するもの」、そういった次元にやっと到達している文化レベルに日本もなってきたのかもしれない。

昔、洋服の勉強しだした時に、ファッションは個性を表現するためのアイテムである、表現方法であると教わってきた。しかし当時の日本は制服のようにむしろ無個性を価値とし、右に倣えで皆同じものを着る時代だった。しかし、日本の世の中にカジュアル化が進み、さらにコロナ下で急速にその傾向が著しく顕著に現れ出した。

日本のファッションぶんかは初めて、ファッションとは個性を表現する道具である、というところに行き着いた。やっと日本も欧米のような感覚に近づいてきたのだと思う。

.

さてそこで。

ファッションは個性を表す道具であることは確かだが、日本のカジュアル化という意味では本当の意味で個性の表現と言えるのだろうか?あともう一歩な感じもする。トレンドを結局着ているに過ぎないように思うし、またトレンドのアイテムを身につけているに過ぎないと思う。そのトレンドがカジュアルな格好というだけにまだまだ見えてしまう。

.

個性の本質とは何か?

これは「自分の好きがはっきりしていること」、また「自分の嫌いがはっきりしていること」。まずそれがはっきりしないと個性も何もそういう議論には至らない。私は○○が好きです、私は○○が嫌いです、この個々の中から生まれる感覚や、経験に基づいた感覚、これを個々人が強く持っていることこそ、個性を表現するための必要な要素であると私は思う。

.

そういう意味で、「自分の好きを大事にする」、言い換えれば「自分を愛する」、「自分の持っている感覚を愛する信じる」。

そういうことが自分の着こなしに反映でき、より良い楽しい人生の一部として着ること、ファッションが生活の中に、人生の中にあること。それこそが本当の意味のファッションの楽しさだと最近はつくづく思います。

.

一人一人が互いを認め、互いを許容し、自分の好きを大事にしながら、自分の人生の豊かさの一部として、ファッションをより楽しむ日本の未来が来るように、私も服屋としてまだまだ努力していかないといけないと思う今日この頃です。

東京銀座でショップマネージャーを10年勤めたのち、会社起こして、地方の小さな個店を選んだ男の話しです。