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高慢と偏見

 数学科の国語教師オニギリ先生の「筑波大学は、なぜ『筑大』と略さず『筑波』と略すのか?」という記事をとても興味深く拝読させてもらった。確かに東京大学は「東大」で京都大学は「京大」なのだから、筑波大学が「筑大」であってもおかしくはないとは思うものの、これは1949年の国立学校設置法に端を発しているのではないだろうか? この設置法により原則、各都道府県に1校の新制国立大学が設置され、各国公立大学にはその都道府県名が付けられたのである。

 ところがここで例外が発生し、それが筑波大学と一橋大学である。まずは一橋大学から見てみよう。

 一橋大学の前身は1920年に設立された東京商科大学である。第二次世界大戦後、GHQの学制改革によって単科大学は総合大学としてまとめられることになり、吸収合併などを経て整理された際に、詳細は分からないが、東京商科大学は東京大学に合併されることなく、独立した大学になったのであり、東京商科大学の前身である旧制東京外国語学校の発祥の地名の神田一ツ橋を校名にしたのである(もう一校として東京外国語大学が設立された)。

 これは筑波大学にもあてはまる。筑波大学の前身は1949年に設立された東京教育大学である。東京教育大学が1978年に閉校した際に、学校は東京の文京区から茨城県つくば市に移転し、名称も地元となった筑波に変えたのである。

 つまり両大学ともに東京大学への合併を拒んで独立したことを明確にするためにもう「東京」ではなく敢えて「一橋」と名乗り「筑波」と名乗っているように見える。言語学の問題というよりもプライドの問題ではないだろうか。

 このように数学科の国語教師オニギリ先生と同様に私の意見もアカデミックなリサーチをガン無視した「物語」であるが、私の場合は情報源としてウィキペディアのみを頼みとしているので、精度の著しい低下は寛容を願いたいと思う。