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「いったい何の話!?」 無邪気なブラウン神父とクリミナルな日本の読者たち

 ブラウン神父と言えば、アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズとアガサ・クリスティーのエルキュール・ポワロと共に世界三大探偵としてエラリー・クイーンに認められ、あの怪盗キッドに自身の名言を口にさせ(すぐに江戸川コナンに論破されたけど!)、あの(どの?)『新・それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(絓秀実・渡部直巳共著 太田出版 2004.10.28)〈必読書100選篇〉にも選ばれているのだが、そのG・K・チェスタトンの『ブラウン神父の童心/ブラウン神父の無心(The Innocence of Father Brown)』の冒頭に収録されている「青い十字架(The Blue Cross)」(1911年)を読んでいて、後半のパラグラフに意味が取れないところがあったので検証してみようと思う。最初にその部分の原文を『The Innocence of Father Brown』(G. K. Chesterton : Penguin Books 1950)から引用してみる。

「The world seemed waiting for Flambeau to leap like a tiger. But he was held back as by a spell; he was stunned with the utmost curiosity.❜
 ❛Well,❜went on Father Brown, with lumbering lucidity, ❛as you wouldn’t leave any tracks for the police, of course somebody had to. At every place we went to, I took care to do something that would get us talked about for the rest of the day. I didn’t do much harm – a splashed wall, spilt apples, a broken window; but I saved the cross, as the cross will always be saved. It is at Westminster by now. I rather wonder you didn’t stop it with the Donkey’s Whistle.❜
 ❛With the what? ❜ asked Flambeau.
 ❛I’m glad you’ve never heard of it,❜ said the priest, making a face. ❛It’s a foul thing. I’m sure you’re too good a man for a Whistler. I couldn’t have countered it even with the Spots myself ; I’m not strong enough in the legs.❜
 ❛What on earth are you talking about? ❜ asked the other.
 ❛Well, I did think you’d know the Spots,❜ said Father Brown, agreeably surprised. ❛Oh, you can’t have gone so very wrong yet ! ❜
 ❛How in blazes do you know all these horrors? ❜ cried Flambeau.
 The shadow of a smile crossed the round, simple face of his clerical opponent.」(p.28-p.29)

 改めて言うまでもないことなのだが、1911年に上梓された『ブラウン神父の童心』は現在に至るまで多くの翻訳者によって翻訳され続けており、全ての翻訳を網羅できないものの、多くの読者の目に触れたであろう翻訳を年代順に引用していこうと思う。
 最初は『ブラウン神父の無知』(村崎敏郎訳 ハヤカワ・ポケット・ミステリー・ブックス201 1955.7.15)の「青い十字架」から同じ個所を引用してみる。

「周囲の世界は、今にもフランボウが虎のように飛びかかるのを、待つているらしかつた。しかし彼は呪文のかかつたようにひきさがつたままだつた......極度の好奇心で呆然としていた。
『いや、』とブラウン神父は、たどたどしいがハッキリと、話しつづけた。『あんたが警察に手掛りを残そうとしないからには、もちろんだれかがそうしなきやならん。どこかへ立ちよるたびに、わしは後になつてうわさの種になる事をするように気をつけました。たいして損害はあたえません ー 壁にコーヒーをぶつかけるとか、リンゴをひつくり返すとか、窓をこわすとかいうだけでした......したが、わしは十字架を救いましたが、こりや十字架はいつも救われるものですからな。今頃はウェストミンスターに行つとりますのじや。あんたがあれをロバの口笛で止めなかつたのは、むしろ不思議ですのじや。』
『何でだつて?』とフランボウがきいた。
『それをお聞きになつたことがなければ、けつこうじや。』と坊さんは顔をしかめながら、言つた。『ありや汚らわしいことじや。たしかにあんたは善良過ぎて、口笛を吹く男にはなれんのじやろう。わしはこつちにデカがついていたつてそれには対抗できなかつたろうにな......わしはそれほど脚が強くありませんわい。』
『いつたいきさまは何の話をしてるんだ?』と相手は尋ねた。
『オヤ、デカはご存じだと思つたがなあ。』とブラウン神父は、びつくりしながら愉快そうに言つた。『ああ、あんたはまだそれほど曲つた道に入つておらんのじや!』
『いつたいぜんたい、どうしてきさまはそんな怖ろしいことを知つてるんだ?』とフランボウがどなつた。
 微笑の陰が相手の僧の丸い質朴な顔をかすめた。」(p.33-p.34)

 次に『ブラウン神父の純智』(橋本福夫訳 新潮文庫 1959.6.5)から同じ個所を引用してみる。

 「あたりはフランボウが虎のように躍りかかるのを待ちかまえているかのようだった。だが彼は、呪文に縛られでもしたように、動かなかった。はげしい好奇心に支配されて茫然としていたのだった。
『ところが』ブラウン神父は、よたよたしているようでいてはっきりした言い方で、言葉を続けた。『お前さんは警察にあとをつけさせるような証跡は残そうとしないから、もちろん誰かがそれをやる必要があった。わしは、立ち寄った所では、どこでも、何か今日一日噂にのぼるようなことをしでかすように心がけた。大して損害をかけるようなことはしなかったつもりだ ー 壁にスープをぶっかけたり、リンゴをひっくり返したり、窓硝子をこわしたりした程度でね。それにしても、十字架は護ったわけだし、将来も常に十字架は護られることだろう。あれは今頃はもうウエストミンスターに行っている。わしはお前さんがロバの口笛でそれを妨げなかったのが、少々不思議なのだがね』
『何でだって?』とフランボウは訊いた。
『そんなもののことは聞いたこともないとすれば、何よりだ』神父は顔をしかめてみせた。『なにしろろくな物じゃないのだからな。きっとお前さんは口笛吹きになるほどには堕落してはいないのだろう。わしだって、こっちにスパッツがついてくれても、あんな物には対抗できなかったろうからなあ。わしは走るほうはえてじゃないのでね』(註・口笛は「拳銃」、スパッツは「刑事」の俗語)
『そりゃいったい何のことを言っているんだい?』と相手は訊いた。
『お前さんもスパッツぐらいは知っていると思ったがなあ』とブラウン神父は愉快な驚きを声に現わして言った。『してみると、お前さんはまださほど悪の道に深入りしているはずがないよ』
『いったいお前さんはどうしてそういう恐ろしい言葉を知っているのだ?』とフランボウは叫んだ。
 彼の敵の司祭の丸い質朴な顔には影のような微笑がちらとかすめた。」(p.38-p.39)

 次に『対訳チェスタートン』(信定育二訳注 南雲堂 1959.9)の「青い十字架」から同じ個所を引用してみる。

「周囲の世界はフランボーが猛虎のように跳びかかるのを待ち受けているらしかった。しかし彼は呪文にかかったように尻込みした。彼は極度の好奇心で唖然とするばかりであった。
『いいかね』とブラウン神父はたどたどしいがはっきりした口調で話を続けた。『君が警察のために手掛かりを残さないからには、誰かが手掛かりを残さなければならならママん。僕達がどこかへ立寄る度に、あとでその日の間の話題になるようなことを何か仕出かすように気をつけたんだ。僕は大した損害を与えなかった ー 精々壁にコーヒーをぶっかけるとか、りんごを引っくりかえすとか、窓ガラスをこわすとかに止まった。でも僕は十字架を救ったからねえ、十字架というものは、いつでも救われるものではあるが、十字架はもう今時分にはウエストミンスターに届いているだろう。君がそれを「驢馬の口笛」で引き止めなかったのを僕はむしろ不思議に思っているんだ。』
『何で引き止めるって?』とフランボーは尋ねた。
『君が未だそれを聞いたことがなければ幸いだ』とブラウン神父は顔をしかめながら言った。『そりゃ汚らわしい事だ。君はたしかに善良な人物だから口笛を吹く男にはなりきれないんだ。僕は、僕自身にデカがついていてくれたってそれには対抗できなかっただろう。僕はそれほど健脚ではないからねえ。』
『一体きさまは何の話をしているんだ?』とフランボーが尋ねた。
『おや、デカなら知っていると思ったんだが』とブラウン神父は愉快そうに驚きの色を示して言った。『君は未だそれほどひどい邪道にはいっているはずはない。』
『一体どうしてきさまはそんな恐ろしい事を知っているんだい?』とフランボーがどなった。
 相手の神父の丸いあどけない顔にちらっと微笑がうかんだ。」(p.65-p.67)
(「Spots」は「刑事(detective)の卑語」という注がついている。)

 次に『ブラウン神父の童心』(中村保男訳 創元推理文庫 1982.2.19 新版 2017.1.13)から同じ個所を引用してみる。

「周囲の世界は、フランボウが猛虎のごとくとびかかるのを待ちうけているかのようだった。しかし、彼はまるで呪文にでもかかったように、じっとしたままなのである ー 極度の好奇心にとらわれて唖然とするばかりなのだ。
『いいかな』とブラウン神父は、たどたどしいながら意味の明瞭な言葉で話をつづけた ー 『あんたが警察のために手がかりを残そうとしないからには、誰かが手がかりを残さなければならん、これは当然でしょう。で、わたしはどこかに立ち寄るたびに、あとで一日じゅうわたしらのことが話題になるようなことを、なにかしらしでかすように心がけた。もちろん、たいした悪さはしなかった ー せいぜい壁を汚すとか、林檎をひっくり返すとか、窓ガラスを破るぐらいのことだったが、おかげで十字架を救えました ー 十字架というものは、いつでも救われますからな。いまごろはもうウェストミンスターに着いているんでしょうよ。どうしてあんたはあれを《驢馬ろばの口笛》で引きとめなかったんです ー 合点がいきませんな』
『なんで引きとめるって?』とフランボウが訊いた。
『それを聞いたことがないとはありがたい』と神父は顔をしかめて言った。『けがらわしいことでしてな。そうか、あんたは《口笛吹き》になるほどの悪人ではなかったのか。あれを吹かれた日には、たとえ《あしぐろ》がついていても太刀打できなかったでしょうな ー なにせ足が悪いので』
『いったいなんの話をしているんだ?』と相手は訊いた。
『ほう、《あしぐろ》ならご存じかと思ったが』ブラウン神父は嬉しそうに驚きを表して言った。『そうだ。あんたはまだそれほどよこしまな道に入っているわけがない!』
『いったい、おまえさんはなんだってこんな怖ろしいことを知っているんだ?』フランボウがさけんだ。
 相手の神父のあどけない丸顔に、ちらと微笑がうかぶ。」(p.41-p.42)

 次に『ブラウン神父の無心』(南條竹則/坂本あおい共訳 ちくま文庫 2012.12.10)から同じ個所を引用してみる。

「フランボーが虎のように跳びかかるのを、世界中が待ちうけているかのようだった。しかし、彼は呪縛されたように動かなかった。この上ない好奇心に圧倒されていたのだ。
『それからね』とブラウン神父は重々しく、かつ明快に語り続けた。『あなたが警察に手がかりを残そうとしないものですから、当然、誰かがそれをしなければなりません。わたしは行く先々で、今日一日噂の種になるようなことを何かするようにしました。あまり迷惑になることはしていませんよ ー 壁を汚し、林檎をぶちまけ、窓ガラスを割りましたが、それでも十字架を救えましたし、あの十字架は今後もずっと無事でしょう。今頃はウェストミンスターに届いています。それより、あなたがどうして、〝驢馬ろばの口笛〟で邪魔をしなかったのかが気になりましてね。』
『何だって?』とフランボーが訊き返した。
『この言葉を聞いたことがないとは、結構なことです』神父は剽軽ひょうきんな顔をして言った。『あれはろくでもない代物しろものです。あなたは〝口笛吹き〟になるほど悪人ではないんですな。もしあれを使われたら、わたしには〝ぶち〟がいても太刀打ちできなかったでしょう。わたしは足が弱いんでね。』
『一体全体、何の話をしているんだ?』
『〝ぶち〟なら御存知かと思ったんですがね』ブラウン神父は愉快な驚きを示して、言った。『いやはや、あなたはまだそれほど悪に染まっていないんですな!』
『一体、何だって、そんな恐ろしいもののことを知ってるんだ?』フランボーが叫んだ。
 神父の丸い朴訥ぼくとつな顔に、微笑の影がさした。」(p.38-p.39)

 次に『ブラウン神父の無垢なる事件簿』(田口俊樹訳 ハヤカワ文庫 2016.3.25)から同じ個所を引用してみる。

「フランボーがトラのように飛びかかるのを世界が固唾を飲んで待っている。そんな雰囲気だった。ところが、フランボーはまるで呪文に縛られたかのように、自らを抑えつけていた。自らの好奇心にただ圧倒されていた。
『さて』とブラウン神父は重々しくも明快に続けた。『あなたは警察に手がかりを残したりはしませんでした。となると当然、誰かが残さなければなりません。それで、私は行く先々で、その日のあいだぐらいは自分たちが噂の種になるようなことをしようと心がけたのです。と言って、あまり迷惑になるようなことはしていません ー 壁を汚したり、果物をぶちまけたり、窓ガラスを割ったりする程度のことです。でも、十字架は守りました。あの十字架はこのあとも無事でしょう。今頃はもうウェストミンスターに届いているはずです。しかし、振り返って思えば、あなたが〝ロバの笛ドンキーズ・ホイッスル〟で邪魔をしようとなさならなかったことが私には不思議でなりません』
『ロバのなんだって?』とフランボーは訊き返した。
『お聞きになったことがないとはけっこうなことです』と神父はしかめっつらをして言った。『ろくでもない代物ですから。でも、これはつまりあなたは笛吹きになるような大悪人ではないということです。あなたにあれを使われていたら、私のほうは〝ブチスポッツ〟が何匹いても太刀打ちできなかったでしょう。足にはとんと自信がありませんので』
『いったいぜんたいなんの話をしているんだ?』
『〝スポッツ〟ぐらいはご存知かと思いましたが』とブラウン神父は意外そうに、と同時に陽気に言った。『ということは、そう、あなたはそこまで悪には染まってないということです!』
『いったいどうしてあんたはそんな恐ろしいことをなんでも知ってるんだ?』とフランボーは大声をあげた。
 神父の丸い朴訥な顔に笑みが浮かんだ。」(p.43-p.45)

 引用部分に疑問を感じたのは、筆者だけではなく、ブラウン神父シリーズを翻訳した中村保男氏本人も告白している。中村氏は大学院を卒業した昭和34年頃に師匠の福田恒存氏にブラウン神父シリーズの全訳を勧められたと書いた後、最後の方で以下のように記している。

「翻訳中にどうしても解明できなかった語句が二つあった。『青い十字架』の結末の部分で神父がフランボウに言う二つのせりふ ー 『どうしてあんたはあれ(青い十字架)を《驢馬の口笛》で引きとめなかったんです』と『ほう、《あしぐろ》ならごぞんじかと思ったが』 ー に出てくる donkey's whistle と the spots という英語である。その意味を探ろうと図書館めぐりをしたりして片端から辞書をめくってみたが遂に分らなかった。この二つは犯罪世界の隠語の最悪のものとしてチェスタトンが新造した英語なのだろう。the spots のほうは、初めは村崎訳にならって『でか』としたが、名うての大泥棒が『でか』を知らないはずはないので、後で『あしぐろ』とナンセンス訳した次第である。」(「翻訳者として」『ブラウン神父ブック』 井上ひさし編 春秋社 1986.10.25 p.201-p.202)

 つまり中村氏はそれまでの翻訳のようにホイッスルを「拳銃」、スポッツを「刑事」とは取っておらず、その後の翻訳者諸氏も中村氏の解釈を踏襲している。実際に、どの辞書にもネット上においてもホイッスルを「拳銃」、スポッツを「刑事」と解釈する例は見当たらなかったし、チェスタトンはこれらの単語の冒頭を大文字にしているのだから、これらは固有名詞と捉えるべきであろう。

 このように百年以上に亘って、特に解釈の大胆な変更はないままブラウン神父は読まれ続けているのであるが、ところで肝心の「青い十字架」とはどのような話なのか知らなければ論じても分からないので、簡単に粗筋を記してみようと思う。

 実は主人公はブラウン神父でも当時犯罪界の大立者だったフランボーでもなく、パリ警視庁の警視総監で世界一の捜査官と言われていたアリスティド・ヴァランタンである。ヴァランタンはフランボーを追ってブリュッセルからロンドンに向かう列車に乗っている。ヴァランタンは異常に背が高いということだけを頼りにフランボーを探しているのだが、途中で列車に乗って来た異常に背が低く、大きなこうもり傘と茶色い紙包みを抱えたブラウン神父と遭遇している。
 ブラウン神父がストラットフォード駅で降りた後、ヴァランタンがロンドン警視庁を訪ねるためにリヴァプール・ストリート駅で下車する。ロンドンの街へ出て、たまたま目にしたレストランへ入ってコーヒーを注文する。そこで砂糖と塩が入れ替わっていることに気がつき、壁にスープをぶっかけて出て行った二人の神父のことを知るのである。
 勘が働いたヴァランタンが急いで二人の後を追うと、今度はオレンジとナッツの札が入れ替わっている青果店に出くわし、店主は二人のうちの一人がリンゴの棚をひっくり返して行ったと憤慨していた。
 再び後を追って広場に出ると、そこにいた警官がハムステッド行きのバスに乗った二人を目撃したという証言を基に、ヴァランタンは警部と私服警官を連れて後続のバスに乗り込む。
 カムデン・タウンそばにあるホテルの、窓が割れたレストランを目にしたヴァランタンは急いで二人の警官と一緒に下車する。レストランの給仕に訊ねると、二人の神父の一人が勘定を10シリング多く払う代わりに窓ガラスを割って行ったと証言する。
 ヴァランタンたちは二人の神父が逃げて行ったブロック通りを通ってハムステッド・ヒース近辺へ出ると、駄菓子屋に入って行った。そこで店主に30分前に二人の神父がお菓子を買って行き、その際に、一人の神父が忘れて行った茶色の包みを頼まれていたウェストミンスターに送ったことをヴァランタンに教える。
 ようやくヴァランタンたちは二人の神父に追いついて、彼らの会話が聞こえる大樹の陰まで近寄って行く。
 二人の神父は形而上学の論争をしているのであるが、簡単に要約するならば、無限の宇宙を前にして理性というものは意味をなすのかという話であり、物理的に無限であるということと真理の至高は別のものであるというのがブラウン神父の言い分である。
 ついに正体を明かしてブラウン神父が持っているサファイアの十字架をよこせと要求するフランボーに対し、ブラウン神父は断固拒絶するのだが、実はフランボーはブラウン神父が持っていた本物の包みを偽物とすり替えて、本物はすでにフランボーの胸ポケットに納まっていると言い出すのだが、ブラウンは当初からフランボーのことを疑っていて、包みをすり替えるのを見たブラウン神父はまたすり替えて、それも既にウェストミンスターに送ってしまったのである。ブラウン神父がすり替えしたことを「ごく古い手口(a very old dodge)」と言ったことに対して、フランボーは「おまえはそんなことを聞いたことがあるのか?(You have heard of it?)」と問い返したり、その後も「いったい全体どうやって鋲の付いたブレスレットのことを耳にしたんだ?(How in Tartarus did you ever hear of the spiked bracelet?)」と驚いたりしており、それは引用箇所でブラウン神父が皮肉めいて発した「あなたがそのことを全く聞いたことがないというは喜ばしい限り(I’m glad you’ve never heard of it)」に対応していると思う。
 それからブラウン神父は自分が犯したおかしな行動をフランボーが目立ちたくないために黙っていたことを指摘し、その後引用した箇所になる。

 粗筋としては長くなってしまったが、これには理由がある。この「青い十字架(The Blue Cross)」を「憂鬱なクロス(The Blue Cross)」と解釈してみたいのである。何故ならばいままでの解釈ではブラウン神父の「無邪気さ(innocence)」がうまく取り込めていない感じがするし、実際に既に冒頭からヴァランタンが乗っている列車にブラウン神父が乗ってくるという「交差(cross)」があり、その後も砂糖と塩が「交差」し、オレンジとナッツが「交差」する。ブラウン神父とフランボーが茶色い包みを「交差」させ合った後に、ブラウン神父はフランボーに対して「あなたがドンキー・ウィッスルでそれを止めなかったことの方が興味深い。(I rather wonder you didn’t stop it with the Donkey’s Whistle.)」と発言する。
 ここで言う「ドンキー」とは「ドンキー・エンジン(donkey engine)」のことで荷物を船に乗せるために岸壁に置かれているウィンチのことなのだが、フランボーが知らないと言うとブラウン神父が「それは索が絡むことだ(It’s a foul thing)」と説明している通りで、ウィンチで使われる縄か鎖が誤って交差(cross)すれば「ドンキー・ウィッスル(エンジンの軋む音)」が鳴るのである。
 引き続きブラウン神父が「ホイッスラーになるにはあなたは人が良すぎると私は確信していました。(I’m sure you’re too good a man for a Whistler.)」と言うのだが、ここで言う「ホイッスラー(a Whistler)」とはロンドンを拠点として活動した画家のジェームズ・マクニール・ホイッスラー(James McNeill Whistler)のことで、フランスの印象派の画家たちと同世代の画家であるが、印象派にも古典派にも属さない異端の画家であり、ブラウン神父はフランボーに「人が良すぎるから無理だ」と言ったのであるが、もちろんホイッスラーはアメリカ生まれのイギリスの画家で「混交(cross)」でもある。
 その後にブラウン神父は「私はスッポツたちがいたとしてもそれを阻止することはできなかったでしょうけれど。(I couldn’t have countered it even with the Spots myself)」と言うのだが、この「スッポツ(Spots)」は「スポッテッドポーランドチャイナ(Spotted Poland China)」の俗称で、アメリカのオハイオ州の在来種に複数の品種を交配(cross)させて生まれたポーランドチャイナ種に、さらにイギリスのグロースターシャーオールドスポットを交配させてできた巨大な豚である。
 フランボーが「いったい全体何の話をしているんだ?(❛What on earth are you talking about? ❜) 」と訊くのはもっともな反応で、スポッツのような「品種改良」は当時はまだ一般的にはよく知られていなかっただろうが、神父の立場から言えば人間の身勝手さによる異種交配は「かなり酷い(so very wrong)」ことではあるだろう。
 フランボーに「どうやってそのような気が滅入るようなことを何でも知りえるんだ?(How in blazes do you know all these horrors? )」と訊ねられたブラウン神父の、丸く朴訥な顔に微笑んだような感じが一瞬よぎる(crossed)ことで、ブラウン神父の「憂鬱なクロス(The Blue Cross)」の物語は事実上収束するのである。

「『どうして? これがそれらと関係している何の証拠があるんですか?』
ヴァランタンは高じた怒りで竹のステッキを折りそうになった。
『証拠!』と彼は叫んだ。『おいおい、その男は証拠を探しているのか! そりゃ、それらが何の関係もない可能性の方が20倍は高いだろうけど、他に何ができる? 当てずっぽうの可能性を追わないのならば家で寝ているしかないということが分からないのか?』
( ❛Why, what proof is there that this has anything to do with them?❜
 Valentin almost broken his bamboo stick with rage.
 ❛Proof!  he cried.  ❛Good God! the man is looking for proof! Why, of course, the chances are twenty to one that it has nothing to do with them. But what else can we do? Don't you see we must either follow one wild possibility or else go home to bed?❜)」(p.18)

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