見出し画像

旅に出る理由 INTERVIEW たらちねジョン


 『海が走るエンドロール』が『このマンガがすごい!2022』(宝島社)オンナ編第一位へランクインし、今話題の漫画家・たらちねジョン。
 デビュー作『グッドナイト、アイラブユー』ではヨーロッパの街並みと旅の中で出会う人々を色鮮やかに描き出した。そんな実力派漫画家・たらちねジョンに旅への想いを伺った。

写真・イラスト=たらちねジョン
文=平野美咲(本誌)


たらちねジョン
/漫画家。著作の『海が走るエンドロール』が『このマンガがすごい!2022』(宝島社)オンナ編第一位に。同作は現在「月刊ミステリーボニータ」(秋田書店)にて連載中。既刊に『グッドナイト、アイラブユー』『アザミの城の魔女』がある。「たらつみジョン」の名義でBL作品も執筆。

心からお休みだって思える時間が
創作にも私にとっても重要なんです。

真の休息、リセットの時間としての旅

――いきなりなんですけど、たらちねさんはなんで旅に出るんですか。

 本当に心からお休みだって思えるんですよね。旅行先では私はただの旅行者であって、その時は漫画家としての自分とかじゃなくて、ただの自分でいられるというか……それが楽しいんです。 

 職業柄、仕事は家の中で完結します。なので、代わり映えのない景色が日常になっています。国内旅もいいんですけど、ただ国内だと距離的にいつでも仕事をしに戻れてしまう。「明日までに原稿出してください」って言われたら帰っちゃうと思うんですよ。だけど海外だったら、戻れないじゃないですか。だからその時はもう持ってる物でやるしかなくて、そういう経験も大事だなって思うんです。すぐに帰れないっていう環境にいることが必要なのかもしれません。

――海外じゃなくて、国内の遠いところだとどうですか。

 国内だと日本語が通じるし、どこでもネットが繋がるという安心感があるので緊張感があまり生まれないんです。地図一つとっても、海外の本当に知らない土地で地図を読み解いて、位置関係を把握するのが楽しいですね。日本でもそれは楽しいんですけど、やはり緊張感の違いから、海外の知らない土地の方がRPGみたいで楽しめます。

――旅に出るというのは、精神的にも物理的にも漫画のことは考えない時間なんですね。逆にその時間がないと漫画が生まれないみたいなところもあるんですか。

 人間関係の話になりますが、わかりやすくキャッチーな言葉で言うと、私は「共感性」が高くて、人と喋った後に結構疲れるタイプ。どんな時も、人との関係性に勝手に疲れてしまうんです。
 無意識に、友達が好きなものに合わせちゃう。人がこう言ったら喜ぶだろうということを考えて発言してしまうんです。それがうまくいってるかは別として。一人で旅行に行くのは、人を気にしなくて済むので「本来の自分は何が好きだったんだっけ」と考えなおす時間でもあります。
 1回リセットして、本来の自分が好きなものを思い出して帰ってくる。そういった時間が創作にはもちろん、私自身にとって重要なんだと思っています。それが2年ぐらい行けてないのでもう…

――ちょっとやばいですかね。

 そういう時はゲームしてます。禅の時間みたいな感覚でずっと一人で無心でゲームです(笑)。

――旅行中に危険な目に遭ったりはしませんでしたか。

 パリを出た日に新聞社の襲撃テロがあって、「あと1日いたら、出れなくなってたな」と。そういうのは怖かったですね。
 でもなんだかんだ私は先進国ばっかり行っていて、本当に危ない国や融通が利かなくなる国には行ってない。「どうにかなるレベル」の場所で調整している自分へのコンプレックスはありますね。やっぱり怖いなって小さく縮こまってる。

 でも、そこにコンプレックスを持っても、趣味なのでそんなに真剣に捉えなくていい、楽しめればいいというのが救いですね。漫画を描いていると、日常の些細なことも深く考えなくちゃいけないっていう強迫観念みたいなものがあって、いつも心が休まらないのですが、旅行は「趣味」として割り切れます。

自分を試す場としての旅

――海外で女性の一人旅は危険なこともありそうですが、スリルがあった方がいいのでしょうか。

 知らない場所で自分がどうするのか、どう乗り越えるのかをチャレンジしてみるのが好きなのかもしれないですね。
 一人旅だと他に頼れるものもなくて、追い込まれる。そうやって、追い込まれることをある程度楽しめる自分がいるんだ、自分一人でどうにか出来るんだっていう安心感や自信を持って帰るのが好きです。

 私の母は気づくと一人で海外へ行って現地で友達を作って帰ってくるような人なんです。「女性の一人旅」云々ではなく、そういう母の影響もあって「一人の人間として生きたい」と思う気持ちもありますね。
 以前よりフェミニズムやジェンダーの話題はよく話されるようになりましたが、私もカテゴライズされた「らしさ」に沿うのではなくて、一人の人間として生きたいと思う。そういう意味でも欧州は自分の感じた違和感を肯定してくれるものが多くて好きですね。
 「海が走るエンドロール」を多くの人に読んでいただいたのも、こういった価値観が以前より社会に受け入れられてきているという背景があるんだと思います。

――なるほど。自立した人間になるという話だと、「グッドナイト、アイラブユー」も主人公の大空くんが欧州の一人旅を通して成長していきますよね。ご自身の経験とも関連していますか。

 高校一年生の時に似たような経験があって、漫画でその時のことを追体験という感じですね。
 私も母に突然夏休みに一人でアメリカに行ってこいと言われたんです。
 当時は親としか海外に行ったことがなかったので、嫌でした。突然荷造りさせられて、飛行機のチェックインも向こうで現地の人との待ち合わせも一人で。
 しかも、アメリカの空港で荷物が出てこなかったんですよ。
 英語もそんなにしゃべったことがないから、係員の人に” Excuse me ”って話しかけるのにすごく緊張して。勇気を出して言ったら無視されました(笑)。

 そういう経験を経て、一人旅に動じなくなりました。必要だったらやって砕けるしかないと学びました。

『グッドナイト、アイラブユー』でも登場する、ロンドン・キングスクロス駅。

現地の人が何を食べて
どんな日常を過ごしているのか。
それが知りたくて旅に出ます。

旅の楽しみ方の違い、記憶に残る旅

――「グッドナイト、アイラブユー」でコンくん(主人公の友人)が「やっぱ来ないとわからないことってたくさんあるな」(2巻)と言っていますが、行かないとわからないことはあると思いますか。

 思います。けど旅行の目的によっては無理に行かなくてもいいとも思います。大学の後輩が「旅行なんてGoogleマップで全部見ればいい」と言っていて、その子はその国の歴史とか有名なもの、建築物を見て情報を知りたい。それならGoogleマップで十分で、わざわざ行く必要はないのだと思います。

 一方、私は生きてる人を見るのが好きで、「どんなものを食べて、どんなものを飲んで、どういう日常を送っているんだろう」というのを知りたい。それはGoogleマップじゃわからないので、私は旅に行きます。

 他にも旅行に対するスタンスの違いというのはあって、例えばルーブル美術館とか行った時に絵画の前で撮影する人っていますよね。
 そういう人たちはその場に行ったんだよという記録、証拠を得るのが重要なのかなって。

 どっちが良い悪いじゃないですけど、私は一人遊びが好きというのもあって、自分の中にしまっておくだけで満足してしまいます。気質の違いかもしれませんね。

――写真に撮って記録する旅っていうのは忘れちゃいますよね。写真に撮ってしまうとその瞬間に忘れちゃってもいいみたいな。

 写真に撮ってしまうと、記憶することを写真に任せちゃいますね。友達が入った風景とかは見返して「この時面白かったな」って振り返ることができます。けれど、風景写真だけ見返しても、私の場合はあまり思い出が蘇ってこないですね。動画や写真に撮るのは友達との思い出だけで良いかなと思ってしまいます。漫画の素材になる写真がなくてあとで後悔することも多いですが。(笑)

 絵が描けていいなって思うのが、旅先でスケッチするので、描いていた時のことは「あの時こういう人が通ったな」とか記憶に残るんです。あと、描いてると結構話しかけられて、現地の人と交流するきっかけにもなります。旅先を絵に描いて記憶に残すのも楽しみの一つですね。

ドイツ旅行中のスケッチノート。人物のスケッチも。

「こんな優しい人いるんだ!」って

――「記憶に残る」といえば、特に印象に残ってる街やエピソードはありますか。

 ホルツガーリンゲンというドイツの田舎街に姉が住んでいた時に、私もよく行っていたのですが、お向かいのイザベルっていうご近所さんにすごく良くしてもらったんです。

 私が英語を勉強したいと言っているのを聞いてくれて「もっと日常会話をしたほうが良い」と、「コーヒー淹れるからおいで」とか「犬の散歩に行くから一緒に行こう」とかことあるごとに呼んで、英語で話してくれました。イザベルにとっても英語は第二言語なのに、私の練習のために話してくれて、なんて優しいんだ……と。

 他にも、クリスマスが近かったので「家族にプレゼントしたいので絵を描いてほしい」とまだ駆け出しの漫画家だった私に絵を頼んでくれました。
 代金を支払うと言ってくれるので「要らない」と断っていたんですよ。そしたら、画材屋さんに連れていってくれて、「欲しい画材は全て買うから言って」と。それで画材を揃えて、絵を描いてプレゼントしたら、「プロに頼んだのだから本当はお金でお礼したいけど、あなたは受け取らないから、代わりにドレスをプレゼントするね。私の仕事場に測りにおいで」と。イザベルは自分で服飾のブランドをやっていたんです。それで、作っていただいたドレスを帰国の前にいただきました。「素敵すぎる! こんな優しい人いるんだ!」と。大切な思い出です。

――すごい。なかなかないような、おとぎ話みたいな話ですね。

 今でもFacebookとかで交流があって、漫画が出ると喜んでくれます。かっこよくて優しい人ですね。そういう出会いがあって、普段の自分なら恥ずかしくてできないような親切な振る舞いをしたり、素直な気持ちを伝えたりしてもいいんだという気付きがありましたね。

 それもあって、恥ずかしくても「みんな、親切にされたら嬉しいんだもん。それならやった方が良いよね」と思うようになりました。そういった気づきや思いがけない出会いがあるのも旅の良さですね。


たらちねジョンのコミックス

『グッドナイト、アイラブユー』
全4巻/KADOKAWA

一人きりで母を看取った大学生・大空は遺言に従って、欧州にいる母の友人達へ彼女の死を伝える旅に出る。慣れない異国で家族の記憶、真実、想いを知り、それらを受け入れられないでいたが、人々との出会いが大空を変えていく。

『アザミの城の魔女』 全4巻/竹書房
スコットランド・エディンバラ。世界を構成する「精霊」と交渉する術「魔法」を会得した魔女・マリーは魔法使い見習いの少年・テオをロンドンの教会から引き取ることに。呪われた才能を持つテオとの生活は孤独なマリーにとって新鮮なものだった。英国を舞台に繰り広げられる魔法ファンタジー師弟譚!

『海が走るエンドロール』
既刊2巻 以下続刊/秋田書店

65歳を過ぎ夫と死別し、数十年ぶりに映画館を訪れたうみ子。そこで出会った映像学科の美大生・かい によって、自分は映画を撮りたいのだと気付かされる。そして、かい のいる美大に入学し、映画制作という大海へと出航する。


掲載=THE FORWARD vol.2